認知心理学

 この分野は研究領域が広いので、筆者が経験したもののみの言及に留める。


 認知心理学とは、情報処理という観点から生き物をコンピュータ的存在として扱う心理学である。


 早い話が「人が高機能のマシンだったら?」と仮定して研究を進める分野で、ゲシュタルト心理学(ゲシュタルト崩壊なんて言葉は聞いたことがあるのでは?)なんかがこの分野に属する。


 扱うものは「情報処理」なので、認知、記憶、感覚、知覚など様々。筆者が体験した実験をいくつか紹介しよう。以下記載する単語や事例は筆者の記憶に頼るものなので多少の齟齬はあるかもしれないが、「気になった方は調べてみて」という入り口のガイドのつもりで書くのでご容赦の程を。


 ミラーの法則(マジカルナンバー7±2)

 人が一度に短期間記憶できるものの数は7±2個のものに限られる、という法則。実際に無作為に表示される数字を「とにかく覚えろ」と指示され、テンキーでその数字を入力していく、という実験なのだが多くの人間が7~9個の数字に落ち着く。稀に5個しか覚えられない人や、逆に13個くらい覚えられる人もいるが実験者の指示が悪かったか数字に強いかなど、個人差も多少はある。


 ミュラーリヤー錯視

 図示出来ないのが残念であるが、同じ長さの線分でも外向きの矢羽と内向きの矢羽とをつけると長さが変わって見える、という錯視である。気になった方は上記名称を調べてみてほしい。これについては面白い研究があるので後述。


 鏡映描写

 星の形を手でなぞるのだが、鏡越しに、しかも左右両方の手でやる。両側性転移という、片方の手でやった行動がもう片方の手にも影響を及ぼすという現象の実験なのだが、何だかイライラ棒みたいな実験なのでかなりのストレスだった記憶がある。


 両耳分離聴

 片方の耳にだけ意識を向けさせ、その耳に言葉を聞かせる。次にもう片方の耳に同じ言葉を聞かせると、意識を向けさせられた方の耳から聞こえた言葉は口にできるのに対し意識を向けさせられていない方の耳から聞こえた言葉は口にできない。同じ言葉であるにも関わらず、である。これは選択的注意という、「自分が意識を向けたもののみ情報処理される」という現象を裏付ける実験である。カクテルパーティー効果なんて言葉は聞いたことがないだろうか。雑音だらけの環境でも自分に向けられた言葉は分かる。そんな現象の再現である。


 サッチャー錯視

 顔の写真を用意する。

 この顔の写真を上下逆さまにする。そして次に、同じく上下逆さまの顔なのだが目、鼻、口などのパーツを上下逆さまにしない顔を用意する。つまり顔の中で顔のパーツがひっくり返っている画像になるのだが、後者の画像はえらくグロテスクに見える。顔の処理は普通の物体の処理と違って特殊な処理がなされることを示す実験である。


 奥行きの知覚

 これも図示できないのが残念であるが、平面と球を描いた画像を用意する。球のすぐ下に影を入れた画像と、球の下ではあるが球から少し離れた場所に影を入れた画像とを用意すると球の位置が異なるように見える。実際に球の位置は同じであるにも関わらず、だ。他にも円へのハイライトの付け方で出っ張っているようにも引っ込んでいるようにも見える錯覚などがある。



 他にも数多くの実験に参加した(笑顔と作り笑顔の弁別能力について、とか)が、ひとまずこの程度に留めておく。


 筆者がこの分野を学んで面白いと思ったことは、「人の認知能力は文化によって大きな影響を受ける」ということだ。


 例えば、日本において虹は七色だ。しかしある文化圏では虹は二色でしかなく、この文化圏の人間は色の弁別能力が低い。人種的には同じで単に生きている国、もっと言えば村の文化が違うだけなのに、色の弁別が大雑把なのだ。

 身近な例で言うと他国ではどんな雨でも「雨」だが日本は「霧雨」「小雨」「俄雨」「春雨」「時雨」などなど、雨の状態どころか季節による雨まで弁別できる。

 そして筆者が一番面白いと思ったのが先述のミュラーリヤー錯視だ。

 この錯視が起こらない人間が確認されたのである。

 ミュラーリヤー錯視は平たく言ってしまえば「奥行きの知覚」の例に近く、矢羽が外を向いている場合は奥の方に見え、矢羽が内側を向いている方は出っ張っているように見え、その結果同じ線分でも長さが異なって見えるという正に奥行きの知覚に依存する現象なのだが、これが起きない人間がいた。どういう人間だったのか。

 丸い畑を作って農業を営む部族だったのである。

 この部族は農業を生活基盤とする部族だったのだが、日常的に目にする畑が奥行きという概念の乏しい円形だったため、奥行きの知覚能力が著しく低かったのである。結果、ミュラーリヤー錯視を見せても効果がなく、「同じ長さの線分だ」と返してくるのである。


 この分野は他にもいろいろなことをやっている。人工知能の開発なんかもこの分野の背負うところだ。人間の情報処理と同じ情報処理をするコンピュータを作れば、それはもしかしたらクローンの作成に繋がるのではないか。


 実際、デジタルクローンという研究が既に進んでいる。SNSなどに投稿されたその人の生活の記録、さらには文体などから口調、文章の内容から思想や記憶などといった情報を抽出してコンピュータに吹き込む。すると、「死んだ人と同じ口調で同じ記憶を持った死んだ人『らしい』会話をしてくれるバーチャルの個人」が完成し、死んだ人間を生き返らせることができる、という研究である。チャットボットに吹き込む情報を変えるだけなのでおそらく作ること自体は今の技術を持てば容易である。問題は自分の生活史や思い出を躊躇いなく共有してくれる人がいるか、に尽きるが、FacebookやTwitterの情報を使えば本当に簡単にできてしまうのでこの技術は近い将来生活に馴染むと思う。死んだ恋人や家族と会話ができるのだ。


 他にも「神経細胞と同じ数の回路を組めば脳みそを作れるんじゃね?」という脳みそが筋肉みたいな発想から本気で回路を組み立てている研究も現在進行中である(脳みそが筋肉とは言ったが割と本気な研究なので筆者は敬意を表している)。


 人の知覚を再現できれば、例えば義手なのに触った感覚がある、なんてことを再現することも可能だ。立体映像に匂いや触った感覚を付与することも可能だし、それこそバーチャルリアリティの研究なんていうのもこの分野の負うところである。


 筆者が経験した実験で一番面白かったのは「幽体離脱の研究」だ。VRゴーグルに自分の背面を映した映像を見せたらどうなるか、という実験だったが本当に体が浮いているというか、奇妙な感覚に囚われた。


 やりやすい実験で言うと、手の人差し指と中指を交差させて目をつぶって触ると人差し指が中指に感じられたりその逆が起こったりする現象がある(個人差があり、指先を使う仕事をしている人間には起こりにくい現象ではあるが)。


 人を機械っぽく扱う分野なので、文系の人間は苦手に思うというか、人によっては嫌悪さえする学問だが筆者が思うに「一番心理学らしいことをしている」分野である。気になった方は「イリュージョンフォーラム」で検索してみると様々な錯視錯覚を楽しむことができる。絵や化粧などにも使えるものがあるので是非一度覗いてみてはいかがだろうか。

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