臨床心理学

 さて、精神的な病歴を持つ人間なら「臨床心理士」や「公認心理師」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。病歴を持たなくても「カウンセリング」という言葉は知っているだろう。これらも心理学の用語である。今回は心理学という「学問」でありながらも、病理の理解及び心理学的知見の実用という点に重きを置いた臨床心理学についてまとめていきたい。


 臨床心理学は実践的心理学であり応用的心理学である。学問によって得られた様々な知見を、実際に目の前の人に対して実践してみよう、応用してみよう、というのがこの学問の姿勢である。もちろんそこに攻撃的な思考(心を読んでやろう、操ってやろう)はない。あくまでも「人の補助、援助、支援」などを目的としているのである。


 臨床心理学には二本の柱がある。


 一つが「見立て作業」と呼ばれるものである。心理臨床家(敢えて臨床心理士、公認心理師という単語は使わない)が来談者の心理を詳しく理解し、その理解をもとに来談者への対応、関わり方の方針、諸々の見通しを立てる作業のことである。この査定(心理査定と呼ぼう)を行う具体的な方法としては、面接、テスト、検査、様々なものがある。大雑把に言うと「どんな奴が来たか」を判定する作業であり、心理臨床家はこの査定を元に来談者との接し方の方針を決める。


 二つ目が上記査定を元に実際に来談者に対応していく行為である。多くの場合、来談者に対して何らかの援助をしていくことになる。面接、心理療法、カウンセリングなどの作業がその代表例である。


 臨床心理学の要点は以上だが、もう一つ挙げるとすれば「地域援助及びその研究」が挙げられるだろう。来談者当人への働きかけだけではなく、例えば学校や職場などといった当人を取り巻く環境へのアプローチである。この際には他の領域の専門家、地域社会との連携、協力も必要になってくる。自らの専門を突き詰めればいい他の学問と違って、専門外の知識や知見、人脈や社会性なども求められる学問である。


 さてさて、このように述べていくと、MBTIなどといった性格診断も臨床心理学で使われるのでは? と思う人もいるだろう。だがまずMBTI自体が科学的根拠に乏しいものなので扱われるケースは稀と言っていい。筆者としてはMBTIはもちろん、バームテストなどの類も眉唾だと思っているのでやや過激派かもしれないが、ある事象について統計的、観測的処理がなされていないものは科学と言っていいかという問題は大いにあると思う。


 同じような眉唾物としてアドラー心理学やソシオニクス、人格心理学や超心理学の類が挙げられる。


 まず、アルフレッド・アドラーはフロイトやユングに並んだ心理学の大家であるが当時は科学的なアプローチが皆無だったので「個人による」「何となくの」「経験則的」アプローチしか存在しなかった。故にこれらの学者が得た知見も到底科学とは言いにくく、歴史的価値こそあれ学問的な価値はあまりないように(筆者は)思う。言ってしまえばアドラー心理学を信奉する行為は「昔の学者は天動説を唱えていたんだから天動説こそ正しいんだよ」と宣っているようなもので一ミリグラムでも心理学を学んだ人間からすればおかしいことを言っているのは明白である。この手の用語は業界が消費者に金を払わせたいが故に流行らせるものであって実際の学問からはかけ離れている。


 ソシオニクスは別名社会人格学などと呼ばれ心の情報モデルや個人間の関係について扱うもののようであるがこれも科学的根拠には乏しいと言わざるを得ない。ユングの四つの性格分類に対して八つの分類を……という話は聞いたことがあるが先程も述べたようにユングの研究自体が歴史的な価値こそあれ学問的価値には懐疑的立場を取らざるを得ないものである。それに対抗して数を増やしたからと言って科学的価値が増すわけではない。これも同様に流行りを作ることで消費者に消費行動を促す、あるいは洗脳するために使われる用語であることが推測されるため容易に信じるのはよくない。


 人格心理学については筆者の態度は多少軟化する。Big FiveやMMPI、YG性格検査などは大いに価値があると思う。何せ扱っているデータの数、情報量が違う。YGは多少首を傾げる学者もおり、筆者も扱い的にはグレーだと思っているが、他の検査と並行して行う分には問題がないと思う。筆者が人格心理学の類を槍玉に挙げるのはこの分野は素人がとっつきやすく様々な亜種、亜流が存在し、そのどれもが「我こそは正しい」を主張し合っているので初心者は紛い物をつかみやすい。心理学の入門としては最悪と言っていいだろう。


 超心理学は言うまでもない。心霊現象や超常現象について扱う学問だがハッキリ言って心理学を名乗らないでほしい。この手の輩がいるから心理学が誤解される。まぁ、人間の能力の可能性(未来予知やサイコキネシス、透視など)を追うのは学問の負うところではあると思う。それらに対して科学的なアプローチを試みるのは学問として、学者としてあるべき姿勢だろう。だが『ゴーストバスターズ』くらい振り切ってくれれば筆者も「やっとるなぁ」くらいには思えるがこの手の輩には多分にして人を騙したり搾取したりする人間が発生する。やはり入門としてはよろしくない。非常に。


 臨床心理学に話を戻すと、この学問は実際に心理学的アプローチが必要な人間に対し「科学的根拠に基づいた」「統計的で」「体系的な」行為を試みる分野であって、何だかいい話風のことを言って来談者を気持ちよくする学問でも、他者を操って思いのままにする学問でもない。医者は首を傾げるかもしれないが医療的行為も多少は含まれる分野だと(筆者は)思っている。


 心に悩みを抱えた時。

 自分の特性が他人や社会と噛み合わないなと思った時。

 思春期や、発達期における当人や周辺の人を支えなければならない時。


 役に立つ学問が臨床心理学である。

 読んで字の如く「心理学」を「臨床的に」扱う学問なので、どうしてもブレたり、怪しい理論が混ざったりしやすい分野であるが、必要な学問であることは明白である。これらを学んで世界に貢献していく人は多い。

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