5 諦めが肝心

 俺とシスティリア(とアイシャ)は、牧草地でのんびり過ごした後、暗くなる前に村へと戻ってきた。

 村の洗い場で弁当箱を洗い、ばあさんの家に行って弁当箱を返す。


「美味しかったです。ありがとうございました」


「お粗末様でした。お嬢さんのお口に合うかとも思ったんですがねえ」


「初めて食べる味でしたが、とても美味しかったです」


「そうかいそうかい」


 ばあさんはただでさえ細い目をさらに細めて、システィリアにうなずいた。


 そのばあさんに、


「あ、あの……っ!」


 システィリアが、何か思いつめたような顔で言った。


「おや、なんだい?」


「わたしに、料理を教えてくれませんか!?」


 ばあさんにずいっと迫って言うシスティリア。

 ばあさんがちらりと俺の顔を見た。


(ばあさんは、システィリアが押しかけてきただけだってことを知ってるからな)


 やがて王都に帰らせなければならない存在だ。

 へたに村のことに関わらせて、希望を持たせるのは酷だろう。


「そうさねえ。減るもんでもねえし、教えてやりたいのはやまやまだけども、いまはまだ無理だろうね」


「ど、どうしてですか!?」


「嬢ちゃんは、まだ代官様の奥方じゃねえ。いまの嬢ちゃんは、どこぞの大貴族の娘さんだ。その娘さんに村の料理なんぞ教えたら、娘に下賎な仕事をさせるとは何事かと言われかねねえ」


「げ、下賎だなんて!」


「嬢ちゃん、無理しとるじゃろう。これまで嬢ちゃんが生きてきた世界とこの村はてんで違う。それなのに、早く馴染まねばと焦っておるじゃろう。村の連中は気のいいやつらが揃っておるが、そんなかにトゲトゲした気持ちで入ってけば、もめごとが起こんねえとも限んねえ」


「そ、それは……」


「いまの嬢ちゃんのように焦ってる嫁は、こがん田舎に馴染めんことが多いんじゃ」


「で、では、どうしたら馴染むことができるのです?」


「気をおおらかに持つことじゃなぁ。空のように森のように、変わらずに繰り返す毎日、毎月、毎年を、変わらないままで受け入れるんじゃ。

 そうして毎年毎年を積み重ねて、このばばあみてえな歳になるまで、ずっとそのままで生き続ける。

 刺激の多い都会に慣れた人には、簡単なようで難しいことなのです」


 年の功の滲むばあさんのセリフに、さすがのシスティリアも黙り込む。


「代官様みてえに、都会はもう疲れた、骨休めしてえっつって引退してくる男だって、いざ暮らしてみると、村の退屈さに嫌気がさすこともありまさあ。

 ま、この代官様は太平楽なお方ですからな。自分で薪も割るし畑仕事まで手伝うし、狩人と一緒にイノシシを獲りにいったりして、何が楽しいんだかにっこにこしておられる。この村に向いたお方じゃて」


「おいおい、ひでえな」


 そんなふうに見られてたのかと苦笑する。


「そんなわけで、嬢ちゃんに村の仕事はさせらんねえ。

 そもそも、嬢ちゃんは村の暮らしがわかっておらんだろう。

 この先どうするかは知らねえけども、まずはよっく村を見てみることですな。

 その上で、こんな田舎じゃ暮らせそうにねえ思うんなら、代官様にはお気の毒だけど、王都ば戻ったほうがよいでっしゃろう」


「お、俺はべつに……」


 ばあさんに反論しようとして言葉に詰まる。

 べつに俺がシスティリアに求婚したわけじゃない。

 勝手に押しかけられただけだ。

 でも、それを迷惑のように言うのは気が引けた。


 システィリアはしばしうつむいていた。

 まさか、泣いてるのか。

 そう思いかけたところで、システィリアが顔を跳ね上げる。


「――わかりました。そういうことなら、わたしがこの村でちゃんと暮らせるということを証明してみせます!」


 決然と言ったシスティリアに、俺は肩をがくっと落とし、ばあさんはにんまり笑っていた。






「じゃあ、さっそく村を見に行きましょう!」


 勢い込むシスティリアに、


「まあ待て。今日はもう遅い」


 牧草地はそんなに遠くなかったものの、ゆっくり弁当を食って帰ってきたせいで、いまはもう夕方だ。


「アイシャも休ませてやりたいし、システィリアが採ってきた花もあるだろ」


「そ、そうでした!」


 システィリアがはっとした。

 俺が指摘したのは、牧草地でシスティリアが採取した月待草のことだ。


(思い込むと周りが見えなくなるんだな)


 若いから……ってだけじゃなく、もともとそういう性格なのだろう。


 俺とシスティリアは、アイシャを連れて館に戻る。


 途中、システィリアに聞かれ、目につくものを説明した。


「あのくるくる回ってるのは何ですか?」


「あれは水車小屋だ。川の水流を利用して粉挽きをしてる」


「あの背の高い寸胴の建物はなんでしょう?」


「あれか? サイロだな。飼料を作ってるらしい」


「奥の方に、同じような木が等間隔に並んでます」


「果樹園だ。リンゴとオレンジが採れる。王国じゃ割と珍しい品種だそうだ」


「大変! あの畑は水没してます!」


「水が張ってあるのは水田だ。小麦と違って、水稲を作るには水がたくさんいるんだ」


「奥の平たい建物はなんですか? 柵で厳重に囲んでありますが、囚人でもいるのでしょうか?」


「あれはスライム小屋だな。農業用のスライムを養殖してる。農業用といってもモンスターには違いないから、万一に備えて柵があるんだ」


 ばあさんの言う通り、システィリアはマジで農村のことを知らなかった。


 夕闇が濃くなり、俺たちの影が大地に染みのように伸びている。


 村のあぜ道を、子どもたちがふざけ合いながら駆け抜けていった。


「代官様! こんばんはー!」


「おう、気をつけて帰れよ」


 元気に挨拶してきた村の子どもに、俺は片手を上げてそう返す。


 ブルル、とアイシャがいなないた。


 農村の平和な夕景の中で、白い名馬が所在なさげに佇んでいる。


 振り返ると、システィリアがいつのまにか足を止めていた。

 俺の数歩後ろに立ち尽くしてる。


「……システィリア?」


「え……は、はい」


 システィリアが顔を上げ、自分の足が止まってたことに驚いてる。


 俺は、しばらくためらってから言った。


「……気にするな」


「えっ、な、なんですか?」


「人はみな、生まれ育った環境がある。おまえがここのことを知らないからって、おまえが悪いわけじゃない」


「……そう、ですね」


「かといって、ここに馴染めとも言えねえんだけどな。もし王都に帰りたいなら俺に言え。俺から上手いこと誤魔化してやる」


 正直、うまく行く自信なんてないが、そう言った。

 家出したお嬢様を保護しました、そう言って素直に信じてもらえればいいのだが。


「帰りたくは、ないです。わたしは、レオナルド様の妻です」


「いや、だから勝手に妻にならないでほしいんだが」


「でも、あまりに勝手が違って……おばあさんにもお説教されてしまいましたし」


「説教っていうのかね、あれは」


 ばあさんが言ったのは、システィリアはまだ村の女じゃないってことだろう。代官の妻なら特別扱いはされるにしても、その妻としての地位すらまだはっきりしていない。

 いまのシスティリアは、ばあさんから見れば「お客さん」にすぎないのだ。


「おまえが言ったんじゃないか。この村でちゃんと暮らせることを証明してみせるって」


「そうですけど……いくら考えても、わたしがこの村でお役に立てる想像ができなくて……」


「そんなに難しいことかね? ばあさんたちは、べつに何か特別なことをしてるわけじゃない。騎士みたいに訓練されたわけでも、システィリアみたいに貴族の令嬢としてのふるまいを叩き込まれたわけでもない」


「だからこそ難しいのです。教わって身につければいいことなら努力のしようもあります。わたしは乗馬も騎射もお菓子作りも馬のお世話もそうして覚えました。

 でも、村の人たちは、生まれてからずっと村にいて、村での生活が身体に染み付いてるんです。

 もう一度生まれ直してこの村で育たない限り、わたしには真似ができないのではないかと……」


「またえらく極端に考えてんな」


「だって……!」


「だったら、俺はどうなるんだよ? 俺だって、平民出とはいえ、王都育ちだ」


「どうして、レオナルド様は、この村に馴染めてるんです? まだ代官になって日も浅いはずなのに」


「どうしてって……どうしてだろうな?」


 システィリアに言われて、考え込む。

 これまで考えたこともなかった。

 たしかに、俺はそんなに抵抗なくここでの生活を受け入れてる。


「ううん……べつに、馴染もうと努力したわけじゃねえんだよな」


 俺は首をひねりながら言った。


「そりゃ、俺はこの村の育ちじゃない。この村の存在自体、上司に紹介されて初めて知ったくらいだ。いい村だとは思ったけど、この村に馴染まなければ、とは思わなかった。

 そうか、だからかもしれねえな」


「えっ、どういうことですか?」


「うん。馴染もうとするってことは、自分は努力次第で馴染めるはずだと思ってるってことだろ? あるいは、何が何でも馴染まなければと思い込んでるってことだ。

 俺には、そういう気持ちはあんまりない。そりゃ、村のルールとか人間関係とかは尊重するけどよ。

 俺自身は所詮よそ者なんだ。出しゃばりすぎず、自分に与えられた職分を果たせばいい。そうしてる限りで、村人たちも俺のことを尊重してくれる。代官様だしな」


「所詮よそ者、ですか……」


「ああ。この村にとって俺はよそ者。この先馴染むかもしれないし、最後まで馴染まないままくたばるかもしれねえ。

 でも、しょうがねえだろ。俺の方でもしょうがねえと思ってるし、村の方でもしょうがねえと思ってる。両方諦めてるから、互いに無理な要求はしねえ」


「諦めてるんですか? おばあさんとは気心が知れてるように見えましたが……」


「ばあさんには世話になってるし、気心も知れてきたな。裏表のねえばあさんだからな。でも、こっちに裏表があったら、そこはちゃんと見抜いてくるんだ。平和な村で育ったなりに、いろんな経験を積んでんだろうな。いいことも悪いことも……いや、悪いことのほうが多いんだろうが」


「それでも、馴染んではいないんですか?」


「やっぱ、俺は村の人間じゃねえんだなって思うことはあるよ。だけど、それならそれなりに付き合い方がある。何も、相手に合わせるばかりが人間関係じゃねえだろ。騎士団にいた頃と一緒だよ」


「レオナルド様は、騎士団時代もそうだったんですか?」


「そりゃそうもなるさ。平民出の非正規騎士が、貴族のボンボンの下で働いてるんだぜ?

 俺の元の上司も嫌みな野郎だったけどよ。互いに相容れない部分があるのはわかってたから、案外もめずにやってこれた。

 もし俺が、貴族である上司に媚びへつらって合わせようとしたり、逆にあいつが平民出の非正規騎士と対等に付き合おうとしてたら、かえってうまくいかなかったんじゃねえか?」


「立場にこだわらず親しくする、わけではないのですね」


「そんなことができれば理想かもしれないけどよ。現実にはありえんわな。自分の置かれた立場、相手の置かれてる立場を考えて、礼を失しないように接すればいい。互いの立場が気にくわねえっつったって、どうしようもないんだからよ。中には、関わるにつれて仲良くなれるやつもいるかもしれねえが、基本そんな甘い期待はしないほうがうまくいく」


 俺の言葉に、システィリアが深く考え込む。


(いや、そんな深い話をするつもりはなかったんだが……)


 慰めるつもりが、つい深入りしてしまった。

 急に気恥ずかしくなってくる。


「ま、まあ、おっさんの独り言だよ。

 システィリアにはシスティリアの立場があるんだから、無理しなくていいってことだ」


 黙り込んだままのシスティリアに焦り、俺はあたふたと付け加える。


「……ふふっ」


 システィリアが急に笑った。


「な、なにがおかしいんだよ?」


「だって……レオナルド様が、昔の通りで……」


「昔? ああ、会ったことがあったんだっけか」


「ええ。レオナルド様はいつも、一人で落ち込んでいるわたしを慰めてくれたんです。一生懸命言葉をかけて、最後はいつも恥ずかしそうになって」


「お、覚えてねえよ、んなこと」


「それだけ、レオナルド様が自然体だってことです。わたしなんて全然特別じゃなくて、女の子が泣いてたらみんな同じようにしてあげるんでしょうね」


「な、なんだよ、急に」


 システィリアはぷいっと顔をそらすと、俺の先に立って歩き始めた。


「この村に、わたしの『立場』がないというのなら……わたしはそれを作ってみせます。無理に馴染もうとして自分を殺すのではなく、自分を生かせるような『立場』を」


「い、いや、そんないい風に話にまとめられても……」


 どっちかといえば、自分の立場を自覚して、おとなしく実家に帰ってほしい。


「おばあさんも、わたしは村のことを知らないと言ってました。明日から、村をよく見て回ろうと思います」


「そりゃ、止めるわけにもいかねえけどよ」


「必ず、この村にわたしは必要だと、レオナルド様に認めさせます」


「そんな決意をされても困るんだが!?」


「レオナルド様は諦めが肝心ということですから。レオナルド様が諦めてわたしを受け入れる気になるまで粘り抜くだけです」


 夕日の中で半分だけ振り返り、いたずらっぽく微笑んでシスティリアが言った。

 俺が不覚にもその笑顔に見とれてるあいだに、システィリアは小走りに館への上り坂を駆けていく。


「……まったく、困ったお嬢様だぜ」


 俺はアイシャと一緒に坂を上りながら、今後のことを思ってため息をついたのだった。

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