第2話 悪化していく

翌日になるとすでに信行の葬儀があった。

と言っても本人は死んだわけじゃないから、着ていくのはグレーのスーツだ。

隣の原田家の前で立ち止まり、玄関チャイムを鳴らすとすぐにご両親が出てきてくれた。



「この度は……」



後半をごにょごにゅと濁らせるのは通常の挨拶のときでもやるけれど、今回はやはり意味合いが少し違ってくる。

両親にとっては最愛の子供がいなくなってしまったショックが残るが、当人からしてみれば大好きな活字になれることを幸せに感じている場合もある。

だから語尾を濁らせるのだ。


活字化することは決死で不幸だとは言い切れない。

4畳ほどの和室に通されるとそこには簡易的な祭壇が作られて信行の写真が飾られていた。

もちろん遺体など存在しないので、大掛かりなことはなにもしない。

信行の写真の周りに渦高く積まれている本は、どれも信行が人間だった頃読んでいたものだ。


私も何度か本を貸してもらったことがあり、懐かしくなってつい手が伸びてしまう。

本を開こうとした時後ろから「焼香してやってね」と言われて手を引っ込めた。

ここでやる葬儀らしいことと言えば焼香くらいなものなのだ。

私は丁寧に焼香を済ませると、リビングに通された。

麦茶を出してくれた信行のお母さんに例を言って一口飲むと、緊張がほぐれていくようだった。



「信行の本はもう図書館に?」



「えぇ。昨日のうちに持っていったの。見ているとつい探してしまうから」



探すとは、本の中の誤字、または本の虫のことだ。

同じ本を何度か読んでいると明らかに誤字の場所が移動しているときがある。

それはその誤字が人間だったことを物語っていて、今は本の虫として縦横無尽に本の中を動き回っているということだった。


信行のお母さんと会話している最中にまた冷や汗が出てきて、私は慌ててポケットサイズの本を取り出した。



「蘭ちゃん……」



信行のお母さんがあまりにも切なそうな声で名前を呼ぶので、つい活字から視線を外してしまう。

信行のお母さんはその声に見合った表情で私を見つめていた。



「大丈夫ですおばさん。私、活字になるのは怖くないから」



笑って言って見せると、こらえきれないようにハンカチを取り出して目元に押し当てたのだった。


☆☆☆


信行が活字になってから3日が経過していた。

なんだか体がだるくて動けなくて、私はベッドに寝転んで天井を見上げていた。

活字中毒になった私の部屋には壁にも天井にも様々な新聞や雑誌の切り抜きがはられている。


いつでも、どんなときでも活字を視界に入れることができるようにしているのだ。

それを読んでいると体の震えも動悸も消えていくが、なぜだか力は湧いてこなくなっていた。

少しでも活字から離れるとダメになってしまったようで、ある朝トイレに言っている間に動悸が激しくなってそのまま倒れてしまった。


常にポケットに忍ばせている本を取り出す余裕もなかった。

そのまま信行と同じ病院にイン級搬送された私は、信行がいたのと同じ病室に入ることになった。

この病院では活字中毒患者の扱いはまるでベルトコンベアーに乗せられた商品のようなものなのかもしれない。


患者はみんな同じ病室へ入れられ、同じ手当を受けて、そして活字化して出荷されるのを待つ。

自分がそんな商品になったような気分で、両親が心配そうに見つめてくる中、つい笑ってしまった。


入院する際に私が選んだのは小学生の頃から繰り返し読んでいた冒険小説だった。

赤毛の女の子が男顔負けな冒険を繰り広げ、沢山の人の手助けをする話し。

冒険小説はこれまでに何百冊と読んできたけれど、結局ここに戻ってきてしまうのだ。


入院して3日目。

私の口に酸素マスクがつけられた。

空気を吸い込む力が弱くなってきていて、呼吸がとても苦しい。

入院した当初から食事は喉を通らず、点滴になっていた。

それでもここまで一気に痩せてしまうのかと驚くほどに、私の体は骨と皮だけの状態になっていた。


もう本を持ち上げる力もなくて、私は両親に頼んで本を開いてもらい、目の前にかざしてもらうようになった。

体はこれほど弱っているのに本を読む力だけは存分に残っていて、私は両親に甘えていつまでも活字を読みふけっていた。

そして一週間が近づいてきたとき、自分の体が黒ずんできたことに気がついた。



「私、活字化が随分と進んだみたい」



そう言うと洗濯物の整理をしていた母親が振り返り、泣き出してしまいそうな顔になった。



「お母さん、私も信行と同じ図書館に置いてね」



母親はなにかをこらえるように押し黙ったが、大きく頷いた。

そして、その瞬間は案外早くやってきた。

体が黒ずんできたと感じて日の夜、私は自分の体がどんどん小さくなってきていることに気がついて、か細い声を出して眠っている両親を起こした。



「蘭、蘭!」



両親の声が私の意識をどうにか人間にとどめてくれるが、体の活字化は止まらない。

体内にあるはずの骨や筋肉、内蔵などがもう存在意義をなくしてしまったかのように動きを止め、それに伴って私の体は半分ほどの大きさになっていく。

余分になった内蔵たちは自ら死滅し、汗となって勝手に体外へと排出される。


私の皮膚は更に黒さを増してきて、すでに肌色部分は見えなくなっていた。

それからまずは手足の指先がエンピツの芯ほどの太さに変化して、腕、足が同じ細さになる。

いくらダイエットをしてもこれほど細くなったことはないのに皮肉なものだと考えている家に、首も胴体も同じ太さになり、やがてそれは髪の毛一本ぶんの細さまで凝縮された。


両親の声が聞こえてくるがもう目を開けていることはできなかった。

まぶたが重たくてどれだけ力を込めても押し上げることができなくなって、やがて、私の意識はプツリと途絶えた。

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