第21話 いざ、高級料理店

 魔王ヴェルザと勇者ハルジの決戦の日――もとい、見合い当日。

 戦場となるのは、旧市街にも近い新市街の一角にある高級料理店。その場所は元々とある貴族が愛人の為に建てた煉瓦造りの建物だったのだが、所有者が亡くなると同時に遺産相続の問題で競売にかけられ、とある商売人が買い取り、その後、料理店へと改装されて今に至っているのだとか。ヴェルザにそう教えてくれたのは、現在の職場にいる噂好きの部下だった。

 そのような謂れのある料理店の客層はといえば殆どが富裕層の人々で、その中には王侯貴族も含まれているという。ともすれば、服装には重々気を付けなければけない。

 ――気兼ねなく会話と食事を楽しめる場所を選定しました。

 王太子にヴェルザの見合い担当を命じられた侍従のニューベルグが興奮した様子で伝えてきたのを思い出し、ヴェルザは苦い顔をする。


(どう考えましても、街の喫茶店の方が気兼ねしなくて良いと思うのですが……)


 ついつい正直にそのことを伝えてしまったヴェルザを襲ったのは、七面鳥ばりに顔色を変えたニューベルグによる長ったらしい説教だった。ヴェルザの意識が一瞬暗転するほどなので、その長さは推して知るべし。


(噂だけを信じてしまうと、成金の巣窟かと邪推してしまいますが……)


 実際にその場所へと足を踏み入れてみると、想像していたことと違っていたりするものだ。

 庶民の財布に優しくない値段設定であるからこその高級料理店は、悪趣味にならない程度に煌びやかな調度品で目を楽しませ、幾人かの演奏家が奏でる柔らかい曲調の音楽で耳を楽しませ、しっかりと教育を施されている給仕たちの働きで、訪れた客に特別な気分を味わわせてくれるようだ。料理店の全てを取り仕切る支配人による落ち着いた空間の演出は、不思議と居心地が悪くない。


(ああ……そういえば……)


 ”自滅のワルツ事件”以前にはヒミングレーヴァ王女に付き従って、こういった場所に出入りする機会が幾度かあったのだと、ヴェルザは不意に思い出す。そうして知らず知らずのうちに「庶民ですけど、お金持ちの皆様のお邪魔は致しませんので。小官のことは、王女殿下の傍に立ててある長い棒だとでも思ってください」と面の皮を厚くすることが出来るようになっていたのかもしれない。変な心配などする必要がなかったと、ヴェルザは苦笑した。

 恭しい態度の給仕に案内されて待合室へとやって来るなり、先に到着していたニューベルグが白眼を向けてきた。ヴェルザは咄嗟に営業用の仮面を貼り付ける。


「……ステルキ准尉、私は言いましたよね?場所が場所なので、服装には十分に気を付けてくださいと、あれほど、口酸っぱく!」

「はい、耳に胼胝ができるほどにお聞きしましたので、そのように致しましたが……何か問題がありますでしょうか?」

「問題があるのは一目瞭然。貴女が着ているのは、男物の礼服ではありませんか!まさか、女物の礼服を所持していないのですか!?女性なのに!?」


 ヴェルザの身を装っているのは、近衛師団時代に仕立た男物の礼服で、その胸元にはヒミングレーヴァ王女から賜った胸飾りが麗しく輝いている。


『女性らしい服装が絶望的に似合わない?そうかしら?けれども貴女がそう思っていて、女装に尻込みをしてしまうというのであれば……似合って仕方がない男装をして、わたくしの傍で堂々としていらっしゃい』

『……女装?』


 そんなこんなで男物の礼服が必要になったヴェルザにヒミングレーヴァ王女が紹介してくれたのは、新進気鋭の服飾デザイナーで、ヴェルザによく似合うものを仕立て上げてくれた。その出来は素晴らしく、ヴェルザの懐から出ていってしまったお金は予備の軍服を購入するよりも遥かに多くて、彼女は涙目にならざるを得なかった。流石は王女が懇意にしている服飾デザイナー、お値段、想像以上。


「王宮や社交場の方々に小官が男装の麗人と持て囃して頂いていることは、王太子殿下の侍従であるニューベルグ殿は御存知かと」


 男物の礼服を着たヴェルザの姿は確かに恰好が良く、社交場の淑女たちの目をよく惹き、王女も自慢して回ってくれた為、ヴェルザは男装が似合う自分に自信を持っている。


「確かに聞いたことはありますが、今日は見合いの席です。女装してきてくださいよ……!」

「礼儀作法に厳しい王宮や社交場の方々のお墨付きであれば、ステルキ准尉のその服装に問題はないのでは?現に彼女は門前払いされることなく、此処まで入って来られたのですから」


 不敵に笑っているヴェルザと苦虫を嚙み潰しているニューベルグの間を割って入ってきたのは、第三の声だ。声の主は仏頂面のカウピ財務官――ハルジで、ヴェルザたちがバチバチと火花を散らしている間にやって来ていたらしい。空気を読まないと周囲に評されることが多いハルジだが、時と場所と場面によっては服装を選ばねばならないという社会常識は備えているようで、質の良い礼服を着ている。


「……ごきげんよう、カウピ財務官。貴方はステルキ准尉と違って、外見の礼節を弁えているようで安心しました。内面もそうでしたら尚、良かったのですが!……さて、主役の二人が揃いましたから、場所を移しましょうか。其処の貴方、予約席に案内をしてください!」


 ハルジの発言が癇に障ったらしいニューベルグに横柄な態度で言いつけられた給仕に予約席へと案内されている途中、きびきびと歩いているヴェルザをチラチラと盗み見る気配があったが、彼女は敢えて気付かないふりをして、光沢のある白い布が敷かれた円卓の席に腰を落ち着けた。王侯貴族も含めた上流階級の人々も利用する場だ、ステルキ元准佐の顔を知っている人物がいたとしてもおかしくはない。


「――さてさて、お互いの自己紹介も終わりましたので、私はこれで失礼します。近くの席に控えてはおりますので、用がありましたら声をかけてください。それでは、楽しい時間を過ごしてください」


 見合いの名を冠した食事会が始まり、この席を担当する給仕が食前酒を用意してくれたところで、この場を仕切るはずのニューベルグがそそくさと離脱していく。


(王太子殿下の侍従ともあろう御方が早々に職務放棄ですか……?)


 様子がおかしいと勘付いたヴェルザがニューベルグの動きを目で追う。ヴェルザたちとは別の席に着いたニューベルグの対面に、緊張した面持ちの若い女性がいるのを見つけた。ニューベルグがやって来るなり、彼女が緊張の糸を解いた様子からヴェルザは察した。


(頑なに高級料理店を利用させようとしていたのは……彼女を同伴する為ですか。あの様子からして、彼女がニューベルグ殿の知人であることは間違いなく……恋人か、或いは、これから口説き落とす予定の女性か……)


 いつだったか、ヴェルザの見合いに関する費用は王太子が私費で支払っているのだと言っていたのは、ニューベルグだったとヴェルザは記憶している。ヴェルザとハルジ、そしてニューベルグの食事代は王太子が自腹を切ることになっているが――


(他人のお見合いの席に、無関係の女性を同伴するとは……なかなか肝が据わっていらっしゃるようで)


 目一杯お洒落をしてきている若い女性の食事代はニューベルグが自費で払うことを祈りつつ、何処かのやたらと鼻の利く人物にそれとなく報告して差し上げようと考えつつ、ヴェルザは漸く視線を対面に戻した。


「……余所事に気をとられてしまいまして、申し訳なく存じます」


 ハルジがヴェルザの顔をじいっと見詰めていた。目の前の相手が別のことに気をとられていては、カウピ財務官も気に障るだろう。そう思ったヴェルザは謝罪する。


「いえ……少々気になることがありまして、貴女の顔をまじまじと見てしまっていました」

「気になる……若しかして、私の顔に何かついていたりしますか?目脂がついて……まさか、鼻の穴から何かが顔を出していたりしますでしょうか?」


 鼻毛も嫌だが、鼻糞はもっと嫌だと青くなるヴェルザに向けて、ハルジは意を決して発言をした。


「ステルキ准尉にお伝えしたいことがあります。実は僕は……貴女とお見合いをする気は毛頭無いのです」

「…………へぁっ?」


 それならば貴方はどうして見合い相手として立候補なさったのでしょうか?

 そう問いたかったヴェルザだが、想定外の出来事が起こったことで混乱状態に陥り、ついうっかり変な声を出してしまった。男装の麗人ステルキ元准佐しか知らない者が見たらぎょっとするような間抜けな表情もしている。

 前菜が未だ卓上に届けられていないのに、食前酒にすら口もつけていないのに。始まったばかりのヴェルザとハルジの見合いが強制的に終了した。

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