第20話 勇者よ何故現れたのだ

「はあぁ~~~温かいですねえぇ~~~生き返ります~~~」


 午前中の巡回を終えて戻ってきたヴェルザの冷えきった体に、駐在所内の温かい空気が染み渡っていく。今日の雪は水分を多く含んでいて、顔に触れると体温で溶け、其処に風が当たると冷たくて堪らず、気分が下がる一方だった。然し、背中を丸めて机の上の書類と長時間戦っているよりは巡回に出ていった方が良いので、ヴェルザは寒さに震えても外に出ていきたい。


「お疲れ様です、ステルキ小隊長」

「ああ……何と気が利くホルティ曹長なのでしょうか。温かいコーヒー、有難く頂戴します」


 差し出されたコーヒーを一口飲めば、熱々のそれが喉を通り過ぎて胃に向かっていくのが感じられた。ヴェルザの体は本人が思っていた以上に冷えていたようだ。


「小隊長に休憩をして頂きたいのですが、小隊長にお客様がいらっしゃっています」

「ああ……やはり、そうでしたか。表に豪華な馬車が止まっていましたので、恐らくそうなのではないかと思っておりました。……王太子殿下の侍従の御方ですよね?」

「……はい、仰る通りです。小隊長が巡回から戻られるまで待つと仰ったので、応接室に御案内致しました」


 適当な言い訳でもして追い返してくれたら良かったのに。そんな気持ちがヴェルザの表情と深い溜め息に出てしまっていたのだろう。目の前のホルティ曹長が苦笑しているし、彼の後ろに見える他の隊員もしっかりと聞き耳を立て、横目で眺めていたようで、こっそりと笑っていた。

 ――彼は真面目に仕事をしただけだ、逆恨みなど以ての外だ。

 思考を切り替えようとして、まだまだ熱いコーヒーを一気に呷り、ヴェルザは空になったカップをホルティ曹長に渡す。


「どうか御武運を」

「どうも有難う。コーヒー、美味で御座いました」


 応接室に向かうヴェルザの足取りは重いが、軍人らしく広い歩幅でつかつかと歩いてしまうので、あっという間に到着する。応接室の扉の前に佇んで深呼吸をすると、彼女は硬い木材で出来た扉をノックした。


「お待たせ致しました」

「――全くです。これほど待たされるとは思ってもみませんでしたよ」


 席を立つこともなくヴェルザを向かえたのは、小綺麗な恰好をした若い男性だ。王太子付きの侍従の一人で、ヴェルザの見合いを担当しているニューベルグは厭味ったらしく深い溜め息を吐いた。因みに見合い担当者は「心労が半端ではない、これ以上は死んでしまう」を理由に、既に二度ほど交代している。彼は三代目だ。


「王太子殿下より貴女の見合い担当を仰せつかった私を待たせるなんて……殿下に無礼を働いたも同然ですよ」

「失礼致しました、ニューベルグ殿。本日、此方にいらっしゃると予め御連絡を頂けておりましたら、小官は巡回に出ることもなく、貴殿をお迎えすることができましたのではと愚考致します」


 待たされるのが嫌なら予め連絡を寄越せ。王太子殿下付きの侍従はそんなこともできないのか――を丁寧な言葉遣いで伝えると、彼は苛立ちを露わに指で机を叩く。


「ステルキ准尉。貴官は現在グロンホルム小隊を束ねている身分ですよね?少ない人数とはいえ、人の上に立つ者であるはず。巡回など、誰にでもできる仕事は部下に任せるのが上司の務めではないですか?」

「まあ、そうなのですね。小隊長に任命して頂いてから日が浅いものですから、上に立つ者としての心構えができておりませんでした。軍人ではない貴殿に御高説を賜りまして、恐縮至極で御座います」


 上司がふんぞり返っているだけで街の平和が守られると思うなよ。と、お伝えしたい気持ちを理性の棍棒で叩きのめしているヴェルザを目にして、ニューベルグは満足そうに目を細める。彼はヴェルザの経歴をよく知らないのかもしれない――彼女は以前、近衛師団で中隊長を務めていたのだということを。


「ところで、本日はどのような御用件で此方へお越し頂いたのでしょうか?」


 まあ、見合いの件しか話すようなことはないけど。そう理解していても、敢えてヴェルザはニューベルグに問う。「今回も希望者が現れませんでした」というお決まりの台詞を吐く為だけに職場に押しかけたのだったら、嘗ての主人経由で王太子に苦情を入れる算段を立てているヴェルザに、ニューベルグはにんまりと気味の悪い笑みを向けてきた。


「喜んでください、ステルキ准尉。遂に、遂に!貴女とのお見合いを希望する勇者が現れました!」

「……はあ、それはそれは……大変喜ばしいことで……御座いますね……」


 見合い相手を勇者と称するのであれば、ヴェルザは勇者に倒される魔王か、はたまた怪物か。ヴェルザ自身が望んだ見合い話ではないので、相手が見つかったことを喜べと言われても、彼女は素直に喜べない。


(……まあ、これで面倒が一つ減るのですから……喜べると言えば喜べますかね……?)


 ヴェルザは一先ず、一々失礼な言動をするニューベルグに歪な笑みを向けて、質問をしてみる。


「相手が”猪殺しのステルキ”であることを承知の上で立候補された勇者殿は、どのような御仁でいらっしゃるのでしょうか?」


 これで苦行から解放されるのだと喜びを露わにして憚らないニューベルグに資料を手渡された魔王ヴェルザは、淡々とそれに目を通していく。


(氏名はブリュンハルズ・カウピ、年齢は二十代半ば、職業は財務院所属の役人、結婚歴のない独身男性。周囲による人物月旦、真面目に仕事をするが性格面に多大なる問題あり。補足事項、彼はカウピ商会会長子息である……)


 比較的最近、この情報に合致する人物に出会ってはいなかったか。ヴェルザは資料に目を落としたまま、黙考して――記憶の糸を手繰り寄せた。


(ああ……あの御仁ですね)


 新市街の市場で男女二人組の強請りに絡まれていたところをヴェルザが助けた男性は、勇者の氏名、職業、補足事項と一致する。彼は強請りに対して、壊れた眼鏡の弁償を求めて堂々としている人物だったので、ヴェルザの記憶の片隅に残っていたようだ。


(……然し、何故にカウピさんは私とお見合いをする気になられたのか?)


 たった一度出会っただけの人物と見合いをしたいと思う理由が見当たらない。ヴェルザと見合いをすると、彼に利益でもあるのだろうか。考えてはみるが、特に旨味が見当たらない。少しの時間を共に過ごしていただけだが、彼は”猪殺しのステルキ”と見合いをした勇者の称号を欲しがるような人物には、ヴェルザには見えなかった。


(そういえば、アトリの知人であるかのようなことを仰っていたような……?)


 眼鏡を失い、視界不明瞭となった彼を実家まで送り届けた際に放たれた、「アトリ・ステルキのお姉さんですか?」という発言が不意に思い起こされる。彼はその後に、何と続けたかったのだろうか。それを耳にする前に立ち去ってしまっていたので、ヴェルザは答えを知らない。


「ステルキ准尉、私の話を聞いていますか?王太子殿下の代理人を無視するなんて、無礼にも程が……」

「カウピさんが宜しいと仰るのでしたら、是非ともお見合いの機会を頂きたいと思います」


 少なくとも、一度は顔を見て、話をしたことがある人物とならば、見合いの席に地獄のような沈黙が訪れることはないだろう。一度だけでも見合いをすれば、王太子の面目も保たれるだろう。そこはかとなく失礼な物言いのニューベルグと顔を合わせることもなくなるに違いない。ヴェルザには分からないが、カウピ財務官にも何らかの利益が与えられるのだろう。結婚までに至ることはないだろう見合いが終われば、楽しい警邏隊生活が待っている――己が中間管理職であることを除いて。そう思っていないとやってられないヴェルザは乾いた笑みを浮かべる。

 そんなヴェルザの心情を慮ることもないニューベルグは非常に満足気な笑みを浮かべて、見合い会場の選定について話を切り出した。ヴェルザは適当に相槌は打つが、彼の話を全く聞いていない。ヴェルザの意見を求めていないニューベルグはよく分からない持論を展開しながら、見合いの場を取り仕切る算段を立て始める。


(……小隊長も大変だなぁ)


 詮索好きの警邏隊員が扉の向こうで聞き耳を立てていると、気配もなく現れた誰かが「何をしているのかな?暇なのかな?」と背後から小さな声をかけてきた。恐る恐る振り向けば、其処にはホルティ曹長がいて、額に青筋が浮いている。小刻みに震える警邏隊員はホルティ曹長にがっちりと肩を抱かれて、静かにその場を去っていく。




 ――斯くして、見合い話はあれよあれよと言う間に進展し、魔王ヴェルザと勇者カウピの休日が重なる翌週に決行することとなったのだった。

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