第20話 彼女とご近所Ⅰ

「‥‥‥」

質問に対する沈黙は答えたくない時だ。これ以上は俺から言及は出来ない。それが、俺が決めた彼女と生活するためのルールだから。

「ごめんな、変なこと聞いて。俺夕飯作るから」

「違うの!言いたくないとかじゃないの‥‥」

彼女の表情には、自分でも戸惑っているのが分かるほど、もどかしさが滲み出てていた。

おそらく、今まで他人との関わりが無かったから、どうしたら良いか分からないのだろう。「どこまでなら言っていいのか」「本当に言っても良いのか」そんな不安が彼女の中で渦巻いているのだろう。俺はそんな浅慮を心の中に浮かべた。

彼女が今、何を思っているのかは気になるけど、今はどうでもいい。大切なのは、彼女が話す気があるという事実だ。それだけ分かれば今はそれでいい、そう思えた。

「良いよ、ルビアのペースで。俺はいつでも聞く準備できてるからさ」

「――うん、ありがとう」

彼女の顔に笑顔が戻ってきたことを確認してから、俺はキッチンへと向かった。

生姜焼きでも作ろうか。冷蔵庫から食材を取り出す。けれど、その手はどうしてか進まない。

「はあ‥‥」

無意識のうちにため息が零れてしまう。

もちろん彼女の母親の話を聞きそびれたこともショックであった。けど、悩みの種はそれとは別にあった。

彼女に外出の許可をもらったのは良い。問題は、俺がここに居られない間の彼女のことだ。いや、彼女も今年で十八歳だ。俺が一人暮らしを始めた年齢になる。だから別に、一人の間の彼女の生活に不安があるわけではない。ただこれから先、大学やバイトを始めていく上で、彼女にはどうしても一人の時間がたくさんできてしまう。

一人にしたくないけれど、彼女との時間を守るためには、どうしたって外に出なくてはならない。そんなジレンマが、不安という形で俺の首元をゆっくりと締め付けてきた。

俺は全く手が進んでないことに気付いて、またため息が出そうになるのをギリギリで堪えた。

「とりあえず、料理するか」

まあ、考えても意味のないことは考えない方が良い。そもそも外に出れるようになったのだってつい昨日のことなんだ。実際に生活してみなければその感覚も掴めないだろう。

俺はそこまで考えたところで、止まった手を動かし始めた。


 夕食の支度を終え、先に食事を済ませた俺は食器を片付けていた。

 明日は日曜日で、明後日から俺は大学に行くことができる。まる一週間以上も行ってない以上、遅れを取り戻すのは大変なんだろうな。俺はそんなことを考えながら、ふと今日の日付を思い出す。

「あれ?明日って、確か‥‥」

 俺は思い出したかのように、濡れた手を雑に拭いて玄関へと直行した。ルビアのことで外とのつながりが途絶えていたため、郵便物も溜まっていた。その中から、部屋番号の書かれている用紙を探し出した。

 明日は大家さんが季節ごとに開催している清掃活動の日であることを思いだした。去年の夏から、俺が欠かさずに参加している行事だ。

 事情も事情だし、今回は辞退させてもらおうか。そんな考えが頭の中をよぎる。だが、そんな考えは一瞬のうちに塗り替えられた。いや、むしろ逆だ。ここに居ることを許してもらえたんだ。感謝の意味でも清掃には参加するべきだ。ただ、その間ルビアには留守番してもらうことにはなるだろう。大家さんに認められたとはいえ、おおっぴらに外に出るのはさすがにまずい気がする。

「ふーん、清掃活動ね」

「どぅわぁし!」

後ろから覗きこまれていたことに気付き思わず驚いてしまう。

「そんなに驚かなくても良いじゃん‥‥」

ルビアは少し不満げな顔を浮かべている。

「ごめん。それより、明日これに参加するから、その、留守番お願いしても良いか」

「嫌」

「なんでぇ?」

ルビアの口からは、予想のはるか上空大気圏からの言葉が飛び出して、食い気味に聞き直してしまった。

「――私も参加したい、から」

「いやいやいやいやいやいや――」

「そんな全力で否定しないでよ」

この娘は一体何を言ってるの?またもや衝撃的な言葉に食い気味な返答を返した。

「この清掃活動にはいろんな人が参加するんだ。たくさんの人と関わることはルビアのデメリットに直結するんだぞ?それは難しいんじゃないのか?」

「でも、私だって大家さんに何かお返しがしたい」

その言葉を聞いて、俺は自分の口を噤んだ。ルビアも、同じことを考えていいたからだ。「大家さんに恩返しがしたい」と。その気持ちをないがしろにはできない。したくない。気づけば、言葉にしようとしていた反論もすっかり鳴りを潜め、代わりにため息が零れていた。

「‥‥そっか、そうだよな。じゃあ、大家さんに相談しないとな」

「うん!」

俺の言葉を聞いてぱっと表情が明るくなり、とびっきりの笑顔と返事が返ってきた。

何だこの生き物、すっげえ可愛いんですけど‥‥。身体を揺らしながら喜ぶルビアを見てそう思った。

正直、明日の清掃に参加させるのには賛成できないけれど、そんな顔されたら反対なんてできなかった。それに、もしかしたら彼女のためになるかもしれない。

「じゃあ、あんまり遅くなるのも悪いし、大家さんに聞いてみるか」


「――ということなんですけど、どうにかなりませんか?」

俺は大家さんに電話をかけて、諸々の事情を説明した。

『なるほどね、事情は分かりました。こちらこそよろしくお願いします』

「え、本当ですか!でも、大丈夫なんでしょうか」

『ええ、もし何か聞かれた時は私の友達のお孫さんということにしたら、角を立てなくて済むでしょう』

大家さんの提案は確かに妙案だった。大家さんの関係者なら特に疑問に思われることもないだろう。でも、それじゃあ大家さんに迷惑をかけてしまうことになる。それじゃ支離が滅裂だ。そう思うと、素直に大家さんの提案に乗ることは出来なかった。

「――本当に良いんでしょうか」

『良いも何も、清掃活動に参加してくれるのに私が反対する理由なんて無いわよ?』

何とも無さそうに大家さんは笑って話してくれた。どこか、罪悪感めいた気持ちを抱えながらも、俺は大家さんの案に乗ることにした。それに大家さんには、相談しておきたいこともあるからちょうどいい。

「――どう、だった?」

「大丈夫だったよ」

「そっか、良かった」

「明日は、日ごろの感謝も込めて頑張らないとな」

「うん」

こうして、俺たちのクリーン大作戦が幕を開ける。――何この誇大広告。

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