第38話:村長の話③
――決して赤髪の少女が油断していたという訳ではない。
当時の魔物というのは、魔王という絶対的存在の加護下にあり、その残忍性と狡猾さが現在よりもはるかに上回っていた。だからこそ魔物は群れ、人間や獣人ほどではないにしろ連携だった動きを見せることがあった。
そして中には、予想だにしない奇襲を仕掛けてくる個体すらいたのだ。
「一匹少ない?」
少女の脅威性に気付いた魔物達が、遠巻きに彼女を囲むようにして慎重に戦い始めた。それを期に、改めて敵全体を見回した少女は、自分が散々殴り倒してきたゴブリンとオークの集団の数が頭の計算と合わないことに気付く。
頭上から微細な風切り音がするのに気付き、少女は上を見上げた。
「グガガッ! マヌケ! ジネ!!」
「んなっ!?」
頭上を飛んでいた鳥の魔物のシルエットから、ゴブリンが斧の刃先を少女の顔面に目掛けながら落ちてきたのである。かなり上空から飛び込んできたゴブリンは重力に身を任せながら、グングンとスピードを加速しながら少女へと迫った。
同時に、周りを囲んでいた魔物達も一斉に少女へと飛び掛かって来た。打ち合わせでもしていたかのような、抜群の連携タイミングだ。
「クソッ!」
既に逃げ場は無い。少女に選択の時が迫ろうとしていた。
失うのは何だ? 足か、腕か、耳か目か……それとも命。
そのどれもが、彼女は御免だった。
「上は俺がやる」
「っ! しゃあああアアッ!!」
どこからか聞こえてきた声に、少女は迷うことなく地面を殴りつけることで応えた。勢いよくえぐられた地面は土埃を上げ、飛んだ瓦礫が何体かの魔物に当たりその動きを鈍らせる。
一瞬の怯みが、魔物達の命取りとなった。
「まずはお前からあっ!!!」
群れの中で最も巨大なオークが、土煙から飛び出してきた少女の拳にその頭部を吹き飛ばされる。そこから総崩れとなった魔物の集団が、視界の悪い中一体ずつ撃墜され、その数が半分ほどまで減っていくのにさほど時間はかからなかった。
舞い上がっていた土埃が落ち、視界が晴れた先にいたのは、赤髪の少女ともう一人の獣人だった。その男の足元には両腕と首が寸断されたゴブリンの亡骸が、切り落とされた頭部と腕とがセットになって転がっている。
灰色がかった長髪を無造作に後ろへと流すそ男の手は、ゴブリンの血液で塗れていた。男の髪色と合わさって、ゴブリンの血液が付着した男の頭髪は、まるでキャンバスに絵の具を落としたかのように血のどす黒さが目立っていた。
「うええ、気持ち悪。髪触るなら手拭いてからにしなよ」
「髪の毛が固まってちょうどいい。整髪料代わりだ」
少女が向ける視線を全く気にする様子もなく、男は爪を尖らして魔物達を見た。新たな敵の登場に戸惑っているのか、魔物達は遠巻きに見ているだけで、二人にはまだまだ会話する余裕がありそうだ。
背中越しになり、赤髪の少女が声をかける。
「やけに遅かったじゃないか、待ちきれずに一人で出ちまったよ」
「別動隊がいた。熊の獣人になら任せても大丈夫かと思ったが……相変わらずの考えなしだな」
「あのねえ!」
少女が思わず後ろを向く。そのタイミングで魔物達が飛び掛かって来た。
少女は全く動じることなく、まずは先頭でやって来た猿のような魔物を蹴り飛ばした。
「あたしにはモーディっていう立派な名前があんだよ! いい加減ちゃんと呼びなよ!」
「ふん」
男は一瞬で魔物の懐まで侵入したかと思うと、その爪を喉元に突き刺し、そのまま首を吹き飛ばした。
「名前なんぞどうでもいい」
二人はその後も会話しながら、確実に魔物を屠っていった。リーダー格を倒した後の魔物の群れは動きが鈍く、二人はあっさりと敵を全滅させてしまう。
魔物の死骸に囲まれながら、少女は男の背中に向かってさけんだ。
「エルガ! 私とあんたは仲間じゃないのかい!?」
いつの間にか雲間が晴れ、夕暮れ時の赤い光が少女の頬を照らした。
途中から少女は、どう戦ったかも覚えていない。それぐらい男の態度へのイラつきが高まってしまっていた。
背を向けたまま、男は答えた。
「仲間だ。戦う上での協力者であり、パートナーだ」
「だったら……!」
「だが、それだけだ」
結局振り向くこともないまま、男は町の方へと歩き出してしまった。少女は一瞬呆気にとられたが、次第にワナワナと怒りで体が震えだした。
――絶対に私の名前を呼ばせてやる!!!
自分の中の激情にまだ名前も付けられないような幼い少女は、一目散に男の背中目掛けて駆け出した。一発ドロップキックでもしてやらなければ、少女の気持ちの行き場が見つからなかったのだ。
未だ世界が、魔王のもたらす暗黒に包まれていた時代の話だ――
「――エルガは、戦い以外には本当に無頓着な男だった。人の名前は覚えないし、身だしなみは適当だし……そのくせ私がどれだけ注意しても改めない頑固な奴だった」
「何かルーと似てるかも」
「おいおい、リン」
冗談じゃないぞ。俺はゴブリンの血を髪に塗りたくったりなんかしない。
リンの発言を受けて、モーディが笑った。
「アハハァ、それは苦労するだろう」
「そうなんです! ルーったら戦い以外のことは全部面倒くさそうにして、やろうとしないんだから」
モーディとリンがきゃあきゃあと盛り上がり始める。やれ冷たい態度に傷つくだとか、こっちの気持ちを察してくれないだとか、さながら悪口大会である。
ええと、一体何の話をしていたんだっけ?
「私も、エルガに何度も何度も詰め寄って、その度に感情をぶつけたよ。何とかアイツを振り向かせてみせたくってね。あの頃はただエルガのことが気に入らないだけだと思ってたけど……私も若かったんだねえ」
「え、えと、私は……」
「いずれ分かるさ」
急に勢いを弱めたリンは、顔を赤くして俯きそのまま黙ってしまった。俺が顔を覗きこもうとしても、表情を隠すように顔をそらしてしまう。
よく分からないが、とりあえず話はひと段落したようなのでここで口を挟ませてもらおう。
「それで、そのエルガってやつと俺は同じ種族なのか?」
「ああ。その耳や尻尾……あと何と言っても顔だちや雰囲気がね。毛色こそ違うが、その尖った抜き身の刃物のような眼差しが、いかにも狼の……エルガと同種だということを主張しているね」
語るモーディの表情は確信に満ちていて、だからこそ追加で疑問が浮かんだ。
「同種族っていうのは、見た目や雰囲気まで似てくるものなのか」
「私が知っている限りではね。納得いかないかい?」
そう言われても、俺のあまりに短い人生経験では例が少なすぎて判別しかねてしまう。ガレの村ではオプール一家を筆頭に同種の獣人の家族をいくつも見てきたが、それはやはり家族だから似ているだけだろうとしか思えない。
「同種族であるということは、歴史のどこかで血が交わっているということの証明に他ならないからね」
「同種族は皆親戚ってか」
「普通の獣人の感覚では、そういうことだよ」
オプール父もリンも、モーディの言葉を否定をすることはなかった。つまり、これは獣人の中ではある種の「常識」として受け入れられている感覚なのだろう。
だとすればやはり、エルガという狼の獣人もどこかで俺という存在と関りがあるのかもしれない。
「その男のことについて、もっと詳しく教えてくれよ」
「ああ是非もないね……と言いたいところなんだけど、あいつは本当に自分のことを語らない男でね。話せることは、結局最初で最後に、二人で人間の作った酒を飲み交わした時にやっと少し聞き出せたことだけさ」
「それで構わない」
俺が先を促すと、モーディはぽつぽつと当時を懐かしむように語り始めた――
「――俺の居た集落は、海を越えた大陸のその更に山奥にある」
「え?」
目を丸くしている赤髪の少女に向かって、男は一口酒をあおぐと不審げな視線を向けた。
「何だその反応は、お前が聞いたのだろう」
「いや……今まで言わなかったのに、何で急に」
「お前がしつこいからだ。いつまでも黙秘するよりも、答えた方が労力が少ないと判断した」
そうしてまた酒を仰いだ男の頬は、薄っすらと赤みを帯びていた。それは酔いが顔に現れただけの可能性もあったが、酒というものに詳しくない少女はその意味をはっきりと誤解し、瞳を輝かせたのだった。
「じゃ、じゃあさじゃあさ、どんな村だったんだい? どのぐらいの大きさで、どんな人たちで」
「つまらない村だ」
重く響いた男の声色に、少女は興奮が一気に冷めていくのを感じた。
男は酒を飲み、深く息をつく。器の酒に映る自分の顔を眺めながら、語る表情はどこまでも無感動だった。
「狼の獣人の生き残りどもは、戒律を重んじて村の秩序を乱さぬことだけに全力を注いだ。食事も、交遊も、家族の在り方も、その全てが制限された。種の存続だけを目的にしてしまった、誇り高き一族とやらの成れの果てだ」
「……狼の獣人って言うのは、未開の地にもほとんどいないのかい?」
「そう聞いている。……未開の地というのは、こっちの言い方だ。俺の村では『ディオスの地』と呼んでいた」
「ディオス?」
「獣人の神の名……だそうだ」
赤髪の少女は、普段よりも朗々と語る男の話に耳を傾けながら、内心は自身の気持ちを押さえつけるので必死だった。
心臓が、痛みさえ感じるほどに激しく鼓動していた。なのに、酒による興奮のせいか今はその痛みすら心地いい。
怖いような、ずっと感じていたいような、言葉にならない不思議な情動を押さえつけながら、何とか言葉を紡ぐ。
「じゃあ……私とあんたは一緒、なんだね」
「何のことだ」
「私も、自分の村にうんざりして傭兵になったんだ。前に話したろ?」
「ああ……」
男との会話は、常に少女からの一方通行だったから、少女が語りかけるのを止めてしまったら、その場で男との交流の芽は尽きてしまう。それを恐れ、彼女はとにかく持ち得る話題のすべてを男へと語っていた。
当然その中には、少女の故郷である村の話と、そこを出て行った理由も含まれていた。
「私は『熊の獣人の力は森を守るためだけに存在する』とか訳分かんないことを言う村の連中に嫌気がさした。エルガは、戒律ばかりを重んじる村の体質に嫌気がさした。一緒だろう?」
「一緒か」
「そうだろう?」
少女は男の目をじっと見つめた。いつも自分の目を合わせようとしない、どこか虚ろな男の瞳の奥。その先にあるであろう、男の心そのものに同意を求めるように。
不意に、男が少女の方を向き、お互いの視線が完全に合致した。
「っ!?」
突然の衝撃に少女がびくりと背筋を伸ばす。けれども目をそらすことはできずに、今度は少女の方がその内心までを見透かされるような気分を味わう番だった。
フッと、目を閉じて笑った男が言う。
「一緒かもな」
「だ、だよね!」
「だが、この先も同じとは限らない」
「へ?」
男にしては珍しく、笑った表情のままで彼は言う。
「俺はこの先も戦い続ける。今更自分の集落に戻ろうなどとは思わないし、他の獣人の村に住み着くようなことも無いだろう。俺は一生孤独でいる覚悟ができている」
「エルガ……」
「お前は、どうだろうな」
どこか皮肉めいたようなその口ぶりに、少女はいつも男に対して思っているような憤りが、いつものように湧き上がってくるのを感じた。
顔を真っ赤にし、売り言葉に買い言葉で子供っぽく叫んでしまう。
「私だって、とっくに覚悟はできてるさ! この先一生戦いに生きる覚悟だ! もう村暮らしはこりごりだって言ってるだろ!」
「クク、そうか。だったら精々、無謀な特攻は控えることだ。このままじゃ、そのうち四肢の一つでももげるぞ」
「腕一本になったって戦ってやるさ! またそうやって子ども扱いする!!」
表面上では分かりやすいほどの怒りの感情を発現しながら、少女の内心はこの時穏やかだった。
男が自分を見て、その内情を語り、笑顔を向けている。そのことに少女の心はこの上ない喜びを見出していたのである。
ただしその事実は今までも、そしてこれからも、だれにも語ることのない少女だけの秘密だ。
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