第37話:村長の話②

「今から30年ほど昔、魔王という魔物の王が存在し、世界が魔物によって支配されかけていたことは知っているかい?」


知っているわけがない。


すぐ横を見ると、リンは難しそうに眉をしかめながら、頭の中から記憶を引っ張り出すように首をうねっていた。


「ええと……お父さんから何か教えられたことがあるような。でも、おとぎ話みたいなものだと思ってました」

「今の世代の子はそんなものなのかい……私も歳を取ったもんだ」


モーディは大げさにがっくりとうなだれると、すぐ隣のオプール父をちらりと見た。だが、オプール父も申し訳なさそうに頭をかくだけだ。


「申し訳ありません……」

「別に謝る必要はないさ、それだけ平和になったってことだ。魔王が撃ち滅ぼされたのもそれからすぐだったからね」


モーディは大きく一つ息をつくと、居住まいを正し、真剣な表情で俺たちを向いた。


「当時の魔物は皆今よりも強く、狡猾で、残忍な連中だった。魔王の存在がそうさせていたのだと、今なら分かるよ。魔王が滅ぼされてからすぐに魔物たちは皆弱く、馬鹿になっていったからね」


立ち上がり、机から少し離れ、俺たちから全身が見える位置まで移動すると、モーディは急に服の裾を持ち上げ始めた。


「お、おい」

「見な」

「……っ!」


いきなり何を始めるつもりかと一瞬たじろいだが、それは別の驚愕となって俺とリンを震わせた。


モーディの右足は、ひざから先が無かった。そこにあったのは木彫りの簡素な義足だけだった。そして露になった足の表皮にも、おびただしいほどの傷跡が刻まれていた。


彼女は裾を戻し、傷でふさがれてしまっている自分の右目を指した。


「これも、全部当時の魔物との戦いでやられちまったものさ。まあ、私が弱っちかったってのもあるが、当時の魔物は本当に容赦がなかった」

「……詳しく、聞かせてくれ」


最初は、自分の素性に関することだけ聞ければいいと思っていた。だが、モーディの体に刻まれた鮮烈な過去の記録と、自分の知らないこの世界でかつてあったこと、それらへの興味が途端に湧いてきてしまったのだ。


すぐ横で、リンも固唾をのんで俺とモーディのやり取りを見守っていた。


再び椅子に座ったモーディが、机の上で手を組んで俺たちを見た。


「長い話になるよ、いいかい?」


俺もリンも、同時に頷いた。


モーディはまた、過去を思い出すように薄く目を閉じた。


「30年以上前、私は故郷の森を飛び出して人間の国に向かったんだ」



――空はどんよりと暗く、辺りの森からは鳥か、獣か、魔物か、どれかの喚きたてる声がひっきりなしに響いてきている。嵐の前の静けさ……などという言葉は、魔物達との戦いの前には全くの当てはまらないようだ。


「来るぞ! 全員構えろ!」


兵士たちは皆、重々しい鎧に身を包み横一列に隊列を組んでいた。それはさながら、荒野にポツンと立ち並ぶ背の低い壁のようだ。そしてその在り様は、彼らがその後方に背負う自分たちの町を、魔物の群れから阻むために存在していることを正しく表していた。


「グガッガガッガガァ!」

「ゴロズ……ニンゲン、ゴロズ!!」


森から飛び出してきたのは、ゴブリンとオークが数体、そしてそれに付き従う鳥や獣の魔物が十数体だ。


「まずいぞ……喋る魔物がいる」

「絶対に町に入れるな!!」


人語を解するということは、それだけ知識が高く、レベルの高い魔物ということである。その魔物が率いる群れということは、それ自体が強力な魔物が集まっている可能性が増すということであり、兵士たちの緊張感もまた高まっていった。


絶対にここは通さない。その強い意志で魔物達を待ち構える兵士たちの間から、一つの人影がさっそうと飛び出していき、兵士たちの度肝を抜いた。


「何だアイツは、死ぬぞ! 作戦を理解していないのか!?」

「アイツ、獣人の傭兵ですよ。最近うちの隊に移ってきた!」


何も武器を持たず、軽装の鎧の身一つで駆け出すその後ろ姿からは、頭に丸い毛の生えた耳と、臀部にちょこんとした尻尾がついているのが窺えた。そのあまりに無謀な後ろ姿に、隊の指揮を任された男は歯噛みをした。


「人手が足りないからって、作戦も理解できんような獣を自警団に入れるからこうなる! 構うな、我々は我々の作戦を……なっ!?」

「す、すげえ……」


兵士たちは一様に驚愕の声を上げた。それも無理からぬことだった。


身一つで飛び出したその獣人は、先頭で飛び込んできたイノシシ型の魔物を右拳のフルスイングで吹っ飛ばしてみせたのだ。


さらに、次から次に襲い来る魔物をかわしては殴り、蹴り、かわして、殴っていた。ここの兵士達では到底再現できないような踊るような戦いぶりに、兵士たちは現在の状況も忘れて見入ってしまう。


突如、その獣人が叫んだ。


「何匹か行ったよ! ホラ、自分たちの町を守んな人間さんたち!」


その声に兵士たちは我に返って、改めて状況を確認した。確かに、獣人の脇を抜けて何体かの魔物が兵士たちの方へと向かってきていた。だが、その数は想定した量よりもずっと減っている。


これなら何とかなる。勝利の確信は、魔物の群れを前に恐怖と緊張で固まっていた兵士たちの指揮を格段に向上させた。一切の乱れなく統率の取れた動きで、取りこぼしの魔物達を蹂躙していく。


これほどまでに魔物との戦いが順調に進んだのは、指揮を任された男をして初めてのことであった。その結果をもたらした一人の獣人の姿を、その男は改めて遠目から確認する。燃えるような赤髪が肩口のところまで伸びていて、身を動かすたびに舞い上がる様はまさに火が揺らめいているようだ。


その少女の獣人が織りなす、今この瞬間に最高に燃え盛る炎のような戦いは、その男の目にいつまでも焼き付いていた――



「当時、人間たちは長い間の魔物との戦いで疲弊しきっていてね、罪人だろうと獣人だろうと、とにかく戦力を求めていたのさ。だから、私のような素性も分からないような小娘の獣人でも、傭兵として雇ってくれる町はいくらでもあった」

「何で、わざわざ人間の仲間になったんですか?」


質問の声を上げたのはリンだった。モーディを見つめるその瞳には、どこか非難するような色が込められている。


昔の話とはいえ、人間に味方する行為というのがリンにとってはやはり受け入れがたいのだろう。それを理解しているのか、モーディの方もさして気にした風もなくリンの視線を受け止めていた。


「魔物が今より活発だったのなら、それこそ獣人の仲間と一緒に……」

「言いたいことは分かるよ。人間側の傭兵になったのだって、結局は私のエゴの部分がほとんどさ。だけどね……」


リンがすべて言い切る前に、モーディはかぶせるように当時の獣人と人間、そして魔物の関係性を語り始めた。


「獣人たちは結局、魔物と積極的に戦う姿勢を見せなかったのさ。基本的に獣人っていうのは、自分たちの村や種族だけが大事な連中だからね。それが私には退屈だった」

「あんたは……魔物と戦いたかったのか」

「おお、分かってくれるかい。流石は狼……て言うのは間違いかな。あいつも、自分の故郷に飽きて飛び出して来たって言っていたし」


その言葉に俺は心音が高まっていくのを感じた。


モーディは、一際懐かしそうな表情を浮かべて話し始めた。


「あいつとは、傭兵仲間だった。狼の獣人のエルガは、腕っぷしに自身のある熊の獣人である私にも全く引けを取らない、強くて……不愛想な奴だったよ」


俺は前かがみになって、モーディが語る俺と同種族の獣人の話に耳を傾けた。

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