第32話:脱出

【門番の本当にあった怖い話:① ―影女―】


これは私が門番の夜勤をしていた時の話です。


その日はシフトに入れる人数が少なくて、相方とたった二人で夜遅くの門番に立っていました。ちょうど三日月の夜だったんで、月明かりも薄くて、少し先も見通せないような気味の悪い夜でした。


「こんな日に二人勤務なんて、最悪だな」

「幽霊が出たら、俺が逃げるから。お前は残れよ」


なんて馬鹿話しながら、そうでもしなきゃやっていられない気持ちで二人、内心うんざりしながら門に立っていました。


しばらくたっていたら、不覚にもトイレに行きたくなってしまいまして……。


だけど、しばらく我慢していたんです。


だってね、門番が使えるトイレって、すぐ近くにある公衆トイレだけなんですけど……これがまたかなり気味が悪い。古いし、中途半端に広くて、何より真っ暗なんです。灯りの一つもないから、手探りで用を足さなくちゃならない。そんなの、嫌じゃないですか。


だから我慢してたんですけど、いよいよ辛抱できなくなっちゃって。


相方にお願いしたんです。


「ちょっと、トイレ行きたくなったからお前ついてきてくれないか」


だけど相方は当然


「行けるわけないだろ、お前ひとりで行って来いよ。門を空にするつもりか」


って答えたんです。


そりゃあそうだよなってことで、結局一人でその公衆トイレへ向かいました。


それでトイレの前に着いたんですが……明らかに様子がおかしい。


とにかく暗いんですよ、暗すぎる。


灯りのないトイレですから暗くて当然なんですけどね、それにしたって本当に何も見えない。わずかにある月明かりが建物の中に全く届いていないみたいに、中が見通せないんです。まるで黒い塊が、部屋の中ぎゅうぎゅうに押し込められているような。


――こんなに真っ暗だったかな。


不気味に思ったんですが、催しているものは待ってはくれませんから、仕方なく中に入ったんです。別に初めて使うトイレってわけじゃないですから、大体ここに扉があって、ここにトイレがあって……そうやってコトを済ませることは何とかできたんですよね。


問題は出る時ですよ。


薄気味悪いから早く出ようと思うんですけど……やっぱりおかしいんですよ。まだ真っ暗で何も見通せないんです。


普通しばらく暗い中にいたら目が慣れて、だんだん見えてくるはずじゃないですか。なのに、なんなら入って来た時よりも見えなくなってきてる。


月明かりがさしているはずの出口ですら、見つけられないぐらいで。


流石におかしい。


――これは何だかまずいぞ。


焦って私は、記憶の限りの出口の方へ向かいました。外に出てさえしまえば大丈夫。そう思って駆け出したんです。


なのに出れなかった。さっきまで出口だったところまで、真っ暗になっていたんです。


おかしい、ここは出口で……月明かりが入ってきていたはずで……そう思ってジーとそこを見つめていた時に、気付いてしまったんです。


暗闇からこちらを見つめる、白い二つの点がそこにありました。


「うわあっ!?」


私は思わずしりもちをついてしまって、目の前から目が離せなくなったんです。そうすると、そこにあったのは暗闇ではなく、真っ暗な人影だったことにようやく気付いたんです。


私が出口にたどり着けなかったのは、そいつが出口に立って通せんぼをしていたからだったんです。


不思議と、女だということは分りました。真っ暗でシルエットしか見えなかったはずなんですが……目の形とか雰囲気で伝わってきました。


そいつはゆっくりこちらに近づいてきて、私の方へ手を伸ばして――そこで私の意識は途切れてしまいました。


気付いたら朝でした。


急いで相方に知らせようと門まで戻ったんですが、そこで相方も気絶していまして……。



【門番の本当にあった怖い話:② ―悪魔の少女―】


相方がトイレに行って、薄暗闇の中一人で門番をしていたんだ。「こんな時にのんきにトイレなんか行きやがって」って、頭の中でさんざん愚痴を吐いていたっけ。


だって、夜の門番ったら本当にヒマで、そして薄気味が悪い。門の外はすぐ森で、そこではたまに魔物だって出る。滅多にないことだし、弱い魔物がほとんどだから大丈夫とは言え、やっぱり物音には敏感になる。


木々のざわめく音、虫の鳴き声、遠くから聞こえる獣の雄たけび……その中に不審な物音はないか、常に気を張りつめる。そうしていると、一人でいることも相まって、何かがこっちに近づいてきてるんじゃないか……そんな想像まで掻き立てられて少しも安心できない。


不意に、後ろから足音が聞こえた。


当然驚いて、すぐに後ろを振り向いた。


誰だ……? 


こには、小さなローブ姿の子供が立っていた。


驚いたね。こんな時間に、小さな子供が門に用事なんて普通はあるはずがない。ビクッ……として、見間違いかとも思ったが、そこには確かに子供が立っていた。


息をする音も聞こえるし、何より気配がしっかりとそこに人がいると知らせてくる。そうすると少し俺の方も冷静になってきて、声をかける余裕も出てきた。


「おい、こんな時間に子供が何の用だ。家に帰りなさい」


ちょっとした虚勢もあった。わざと強い口調で注意をした。


――子供に見える?


聞き返してきた声は、少年なのか少女なのか分かりにくい、だけど確かに子供の声だった。だから俺は


「ああ、見えるよ」


と何気なく答えたんだ。


……今思えば、それが間違いだったのかもしれない。


その子がおもむろにローブを取り払った。するとそこにあったのは――


薄暗闇でもわかるような、パックリと開け広げられた大口に、真っ黒に研ぎ澄まされた巨大な牙。その手には、人の者とは思えないような太く、長い黒い爪。


――これでも?


俺は瞬時に、そいつがただの子供などでは決してないことを悟った。すぐさま剣を取ろうとして……自分の体が全く動かなくなっていたことに気付いた。


なぜかは分からない。ただ、鎖にでも縛られているかのように、身動きが取れない。


目の前のそいつが獰猛な笑みを浮かべて、俺へと近づいてきて――。


気が付いたら、俺は相方に頬を叩かれて起こされていた。辺りはもう朝だった。


俺たちは二人とも、このことについて誰にも言わないでおこうと決めた。だって、どうせ誰も信じてなんてくれないだろうし、第一門番が朝まで二人とも意識を失っていたなんて話したら、俺たちクビになっちまうよ。


だから、この話はここだけの秘密にしておいてくれ。



【自警団調査報告:サムガン氏邸集団失踪事件】


ある朝、城壁都市「ネイブルグ」において、奇怪な事件が発覚した。


町に滞在していた奴隷商サムガン・モアヘッド氏の別宅にて、大規模な失踪事件が発生したのである。


サムガン氏本人と、その私兵24人、加えてその倉庫内にいたと思われる獣人奴隷が全員、忽然と姿を消した。


馬車も二つ無くなっていたため、初めはただ町を出ただけに思われていたが、いくつもの不審な点があったことがこの事件を謎めいたものへと昇華させた。


まず、目撃証言にあった馬車だけでは、私兵・奴隷合わせた大人数を運び出すには不十分であったと見られること。


檻は鍵であけられているのではなく、何か非常に鋭利なもので切り取られるようにしてあけられていたということ。(なお、調査したところこの檻を寸断するのには非常に大掛かりな機器、もしくは最上級の魔法でなければ不可能とみられている)



そして、何人か取り残されていた兵士数名が、呆然自失となってうわごとのようにつぶやいていた言葉などである。


「ばけもの……、何もできない、何もきかない……みんなきざまれて、やかれて、殺され……ば、ばけも」


……その日の夜勤に当たっていた門番に事情を説明し、何か見たり聞いたり、出入りする者はいなかったかを聞いたのだが、二人とも一瞬で顔を真っ青にした後にそろってこう言った。


「俺たちは何も見なかった」


今なお、サムガン氏、加えてその私兵の行方は捜索中である――。





俺は、獣人ひしめき合う馬車の中、画面に表示される文字列をぼうっと眺めていた。


――魔狼の祝福-「魔狼」のみが条件を達成した個体に与えることができる特殊スキル。成長の可能性が与えられる代償として、その魂が「魔狼」に鎖づけられる――


へー、俺って狼の獣人だったんだぁ……じゃなくて。


読めば読むほどに思う。これって結構とんでもないこと言ってないか?


「魔狼」って! 何だそのいかにも禍々しそうな名称は。


「成長の可能性」って何だ。あいまいな表現は不安を掻き立てられるからやめてほしい。


「魂が鎖づけられる」って、もう何かいかがわしいな! 凄く良くなさそうな気しかしないよ!


ため息をつくと、横からリンが顔を覗かせてきた。


「ねえ、『魔狼』ってやっぱりルーのことなんだよね」


そう言うリンの目線は、しっかりと俺の前に出ている画面の方へと向けられている。そしてそこに表示されている文字列をしっかり目で追っていた。


あの日……リンの奴隷紋を解除した後に続けて訳の分からないスキルが表示された時に、今までとは全く違った事態が二つ起きた。


一つは、俺にしか見えなかったこの画面を、リンも見ることができるようになったということ。


そしてもう一つは……。


「ああ、たぶん」

「じゃあ、この『魔狼』が何か調べたらルーのことも分かるってことだよね。一歩前進?」


軽く言ってくれるねこの子は……。俺はもうおっかなくてビクビクしてるっていうのに。


リンは俺の無反応にもお構いなくといった感じで、今度は自分の方に画面を表示させ、それを眺め始めた。


「でも、私の方に表示されてる『魔狼の祝福』の説明、微妙に違うんだよね」


「ほら」と俺に見せつけるように身を寄せてきたリンの、俺の物とほとんど同じ画面をのぞき込む。そこにはこう記されていた。


――魔狼の祝福-「魔狼」によって与えられた特殊スキル。成長の可能性を得、その成長は「魔狼」へと魂のつながりによって寄与される。――


リンの方には同じような説明が、与えられた側の視点で表示されていた。


ていうか、当たり前のように使いこなしてるのな……。


あの日以来、リンの方にも画面が表示されるようになったのだ。そしてそれは、リンの意志によって自由に出し入れでき、俺もそれを見ることができる。


そして――これが最も重要な点なのだが――やはりこの画面は他の獣人には見えない。そのことが、このことの異常性をはっきりと明示しているようであった。


事態が判明してすぐ、俺はすぐに「魔狼の祝福」なるものを解除する術がないかを模索するとリンに告げた。しかし、帰ってきた反応は激しい拒絶だった。


『嫌よ! だって、この画面が見れるようになったのって、この「魔狼の祝福」っていうやつのおかげなんでしょ?』


俺は、画面の文字列にある「鎖づけられる」といった言葉や、「条件を達成した」タイミングなどから、このスキルから「奴隷紋」と同じようものを感じた。だから、リンにそんなものを与えてしまったとしたら、今すぐに解除したい旨を伝えたのだが、彼女は頑なだった。


『私、ルーと同じものを見たいから!』


そう言われてしまったら、俺はすごすごと引き下がることしかできなかったのである。


隣で自分の画面に目を落としているリンの顔を覗き見る。嬉しそうにほおを緩ませ、目を細めているその様子はまるで贈られたばかりの宝物でも眺めているかのようだ。


何だか、ますます不安になってきた。俺自身の「黒い力」のことも、リンの身に起きている現象のことも、もう何か色々。


俺たちは現在オプールの村へと向かっている。東へ向かいたい俺たちからしたら完全に寄り道になってしまうのだが、休ませてくれるということだし、俺も彼らから話も聞きたいしで、護衛もかねて同行中だ。


途中まで街道を行き、最寄りまで近づいたら森の中を歩いていくらしい。結構遠いようで、ネイブルグを脱出してからもう半日は馬車で進んでいる。


不意に画面を閉じたリンが、顔を近づけて俺に声をかけてきた。


「ねえルー、オプールの村ってどんなのかな?」

「んー、規模がどれだけかも聞いてないからな。そんな大きくはないと思うが」

「私、お風呂があったら入りたいなー!」


機嫌よさそうっすね……まあ、ここしばらく緊張続きだったしな。


多大なる心配事は内に秘めつつも、実は少し俺も初めて訪れる獣人の村を楽しみに馬車に揺られていた。


突然馬車が止まった。揺れる衝撃に、幌の中が一転騒めきに包まれる。


オプールが慌てた様子で中に飛び込んできた。


「ルー、魔物だ! 協力してくれ!」


やれやれ、忙しいこった。


立ち上がりながら、内心とは裏腹に自然と口角が上がってしまう。やはり俺は、うだうだ悩んでいるよりも戦っている方が気楽でいい。


幌の中から飛び出し、俺は爪に力を込めた。

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