第20話:魔の手

「僕はオプールって言うんだ。気軽に『ルー』って呼んでおくれよ!」

「……俺の名前もルーなんだが」

「えっ」


ネズミの獣人オプールとの自己紹介は、そんな最悪な滑り出しから始まった。


「あ、あだ名が被ることなんてよくあることさ! 君の本名を教えてくれよ!」

「いや、ルーが本名。全部」

「えぇ!?」


口をあんぐりと開けながら体をのけぞらせ、両手を上げて驚くネズミの獣人。言い忘れていたがこいつは、さっきから仰天するときにはずっと同じポーズで驚いている。これがまた絶妙にウザい。


「な、なんてことだ……。今日から君には別の名前で生きてもらうしか……」

「何でだよ、お前のあだ名を変えればいいだろ。よろしくな『プー』」

「ああっダメだよ! 僕が『プー』なのは非常にマズい!! もう本当に、色々とマズい!!」


何を言っているのか全然分からん。


もう面倒くさいので、とりあえず普通に本名で呼ぶことにした。


「それで、君は?」

「……っ」

「君の名前を教えておくれよ!」


オプールは、ずっと俺の後ろに隠れるようにしていたリンへと顔を覗かせた。


それに対するリンの態度はおどおどとして、普段の明るくお喋りな様子とはまるで別人のようだ。俺と口論になってからずっとこんな感じで、俺以外の相手だったら気持ちを切り替えられるのかと思ったらそうでもないらしい。


しかし、不躾とすら言えるリンの様子を見てなお、オプールは愛嬌のある笑みを浮かべて引かなかった。なかなかめげない奴だ。


「リン……」

「リンちゃんだね、よろしく! 僕はオプール。気軽に『ルーその1』って呼んでおくれよ!」

「何で俺が『その2』なんだこら」


まだ諦めてなかったのか。どんだけあだ名で呼ばれたいんだよ。


こいつ、初対面からふざけすぎじゃないか? 


「んくっ……んふふ」

「リン……?」


驚いた。


俺の後ろでリンが声を押し殺しながら笑っていた。肩をプルプルと震わせながら、おかしそうに瞳を細めて頬を緩ませている。


嬉しそうに微笑んだり、声を上げて喜んだりといった表情を見たことがあったが、これは初めて見る笑顔だった。


鳴れない状況に唖然として、思わずこの事態をもたらしたのであろうネズミの獣人の方を向く。俺の視線に気づいたオプールは、こちらの方へウィンクをし、親指を立ててポーズをキメていた。


こいつ……やるじゃねえか。


なぜか俺は、オプールに対して称賛するような、嫉妬するような、複雑な感情を抱いたのであった。



何はともあれ、自己紹介を済ました俺たちは、互いの状況について話しを進めていた。


こちら側の事情はおおまかに、俺たち2人とも元は奴隷の立場だったこと、そこから脱出し、今はリンの故郷である東の村「オルノー」を目指していること、この町「ネイブルグ」にはその途中で立ち寄ったことなどを話した。


主に俺が説明したが、記憶喪失のことについては触れなかったしリンも口を出してはこなかった。その辺りを掘り下げても面倒だし、必要もないという俺の判断を彼女も尊重してくれたのだと思う。


話を聞きながら、オプールは深々と頷き難しい表情をしていた。


「奴隷かあ……辛かっただろうね。実は、僕の父さんと母さんも元は奴隷だった立場から逃れた獣人だったんだ。というか、僕の住む集落はそういう獣人たちが集まってできた場所なのさ」

「奴隷から逃れた人たちの、村……?」


リンが、信じられないといった感じの表情を浮かべ、オプールの言った言葉を反芻する。何やら彼女なりに思うところがあるようだった。


「そうさ。元々奴隷だった人たちがたまたま集まって、家族になって子供を産んで……そうやってできたのが僕の住む「ガレ」の集落さ」

「そんな……、だってみんな元々の故郷があるでしょう? 帰ろうとは思わなかったの!?」

「リン」


口調が荒くなっていくリンを呼び止める。だがその表情は、信じられない、というよりは信じたくないといった色味を帯びて、険しいまま変わらなかった。


彼女にとってオプールの語る両親の話は、今の俺たちにとって他人事とは思えないリアルな内容だった。ともすれば、俺たちの行く末すらそこに含まれているのではないかと思えるほどの、現実的な話だ。だからこそ余計に、故郷を目指す彼女はそれを受け入れ難く感じるのだろう。


だが、奴隷から逃れた獣人が、みんながみんなリンと同じ状況だとは限らないのだ。俺はオプールの語り口から、何となくそれを感じていた。


「帰るべき故郷がみんなにあるとは限らないのさ。例えば僕の両親の元居た村は、口減らしのために子供を人間に売るということが頻繁に行われていて、父さんと母さんはその売られた子供同士だったそうだよ」

「……!」


「ネズミの獣人は、繁殖力が高いからね」などと、自虐的に語るオプールの話にリンは絶句する。故郷を愛する彼女には、村の仲間を売る獣人がいることがにわかには信じがたいのだろう。


「他にも、帰る村がそもそも人間によって破壊されていたり、村で迫害されて奴隷身分に落ちていたり……そんな帰る場所の無い人たちが身を寄せ集めて逃れた場所が『ガレ』の集落なのさ。だからこそ、僕たちの結束はとても強いんだ」

「……なぜそこまで話す? 俺たちにそれを知らせてどうしてほしいって言うんだ?」


辛そうな顔をしながら饒舌に話すオプールの姿に、俺は違和感を抱きつつあった。


オプールの語った内容はかなり重たいもので、おいそれと他人に話すようなことではないはずだ。ましてや、通りすがりの素性も知れないお子様二人になどなおさらである。


俺の問いかけに対しオプールは、辛そうな表情のままでこちらに頭を下げてきた。


「……だから言ったじゃないか。僕の家族と、仲間を助けるのを手伝ってほしいって」

「助けるって……?」


リンが恐る恐るオプールに依頼の続きを促す。しかしどうやらリンも俺と同じく、おおよその見当はついているのではないかと思う。だが、できればそうであってほしくないとも思っているのだ。だからこそ、オプールにそれを否定してほしかった。


だがやはり、俺たちの予想はオプールの抱えている問題を正しく察知してしまっていたようだ。


「……集落が人間に襲われたんだ。そして、仲間達があの城壁の向こうへ連れられて行ってしまった。そこに、僕の家族もいるんだ!」

「……っ!」


俺もリンも息をのむ。


ようやく逃れたと思った、奴隷という立場。しかしどこまでいっても俺たちは、その首輪につながれてしまっているのだろうか。


「……いやっ」


反射的にリンが声を上げる。それはきっと、オプールの仲間がどうでもいいとか、関わるのは面倒だとかそういう意味合いではないのだろう。もっと根本的な、奴隷という身分と人間という種族に対する、拒絶だ。


俺たちの前で頭を下げている獣人は、その言葉を受けてより一層必死に頭を上下させた。


「……っ、君たちにこんなことをお願いするのは、あまりに無神経だし虫のいい話だってことは分かってる! だけど、ダメなんだ。僕一人では、どうしたってこの森から飛び出してあの城壁に立ち向かう勇気が出ない……!」

「それで、ちょうど通りがかった俺たちも道連れって訳か?」

「……っ、そ、そうだ!」


我ながら、ずいぶん意地悪な言葉をかけるもんだと思う。だが、コイツが言っていることはそれぐらい言われて然るべきことだとも思うのだ。


何の保障もなく、ただ死地に飛び込むのが一人では怖いから巻き添えになってくれと、そう言っているのだ。しかも、見た目自分よりも年下の子供相手に。


それが自覚できているのであれば、自分のしようとしていることを恥じらい、反省して、止めようとするだろう。普通であれば。


だが、オプールはそれでもなお躊躇うことなく、一心不乱に俺たちに食らいつき続けていた。


「だから君たちに僕の事情を話した。……同情してもらうためだ! 君たちが優しそうな女の子たちだったから、それを利用したんだ! 自分がクズだと思う、けどそれでも家族を助けたいんだ! 一人じゃ無理なんだ……無理だった」

「うーん……」


個人的には、こういうなりふり構わず正直なやつは嫌いじゃない。それに、こいつの仲間たちを助ければ、情報や物資面で何かしら俺の方にだって利益があるかもしれない。丁度、そろそろ人間相手に自分の力がどれだけ通用するかも試したかったところだ。


だが、どう考えたってリンを同行させていくことはできない。奴隷身分に戻ってしまうかもしれない危険のある所に、それも人間の町の中に自分から赴くなど、どうひっくり返っても彼女には無理だろう。今だってもう既に涙目になって、足が少し震えているぐらいだ。


かといって、リンをこの場に一人置いていくのだって不安が残る。何たってここは人間の町の真ん前なのだ。


仕方がない、ここは俺がきっぱり断ろう。ここで俺がリンに話を持ち掛けてしまえば、優しい彼女はオプールに同情し、首を縦に振ってしまう可能性がある。


俺は意を決し、未だ耳と頭を垂れ下げているオプールへと、その背中越しに声をかけた。


「オプール。悪いけど、やっぱり俺たちじゃ無理……」

「そうそう……オメェらみたいな非力な獣人は、大人しく人間様に捕まっとくのが一番だぜェ……?」


突如横から入り込んできた、低く、紙をぐしゃぐしゃと握りつぶしたようなくぐもった声に、瞬時に俺は飛びのき距離を取って構えた。


だが、その行動が最善の選択でなかったことが、すぐ目の前に展開されていた光景からすぐに判明した。


「ルー……!」

「確かに上玉揃いだなァ、わざわざ俺様が呼び寄せられたのも分からァ」


暗闇から突然現れた男が、一瞬でリンの量腕を鎖で縛りつけ、吊り下げるようにして拘束していたのである。身の丈2メートルに迫ろうかというその男は、限りなく黒に近い濃紺の鎧に身を包み、肩に棘のついた鉄球を抱え、片手でリンを縛る鎖を持ち上げていた。


「リンっ!!」

「ああァ? オメェ何でビビんねえんだ、生意気だなァ?」

「何を……っ」


気付けば、拘束されているリンだけでなく、俺の横にいるオプールですら地面に崩れ落ち、歯をがくがくと鳴らして怯え切っているようだった。


おかしい。いくらあの男の風体が厳めしいとはいえ、この怯えようは異常だ。


目の焦点すらズレてしまっているようなオプールへと、激励するように声をかける。


「おい、オプールしっかりしろ、どうしたんだ!」

「ひっ……あ、あいつだ」

「何?」


何とか俺の声に反応したオプールは、震える手を必死に伸ばしながら目の前の男を指さした。


「……あいつが、僕たちの村を襲ったんだ。あいつと、あいつが連れて来た人間たちが!!」

「あァん……?」


男はオプールの指摘を、誇るような笑みを浮かべて受けとめていた。











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