第10話:約束

――ファングボアを討伐――

――イビルフライを討伐‐俊敏:1を入手――

――ファングボアを討伐‐頑丈:3を入手――

――ニードルワームを討伐‐毒耐性:1を入手――


「ふぅ……こんなもんか」


この辺りにいた最後の魔物――棘の生えたデカい芋虫――に止めを刺して一息つく。


「毒耐性」か。見た目からして明らかにヤバそうだったので、ひたすら遠距離攻撃で体力を削りきったのだが、その判断は正解だったのだろうか。


あいつが毒を持っていたのかどうかは、判断しかねるけどなあ。毒を持っている敵を征したから「毒耐性」なのか、毒に強い敵を倒したから「毒耐性」なのか分からない。


他には、イノシシの魔物を倒したら「頑丈:3」が、滅茶苦茶すばしっこい虫の魔物を倒したら「俊敏:1」が手に入った。やはりだが、倒した魔物のイメージに近いスキルが手に入るようだ。


あともう一つ分かったのは、「頑丈」の率が結構高いことから、スキルにも手に入れやすいものと手に入れにくいものがありそうだということだ。そして、レベルはだんだん上がりにくくなっていくということ。


始めはゴブリン1体で「頑丈:1」が手に入ったのに、それが「2」になるまでにはゴブリン数匹が、「3」になるためにはゴブリンより明らかに手ごわいファングボア2体が必要だった。もしかしたら、まものの強さによっても上がりやすさが変わったりするのかもしれない。


……まあ、全ては考察に過ぎない。全く別の要素があるのかもしれないし、まずはやはりあの犬耳の少女に話を聞いてみよう。この不思議現象についても、この世界の獣人からしたら常識の可能性もあるわけだし。


そろそろ戻るか。そう思った時、背後から上がった声に俺は反射的に飛びのいた。


「へえぇ~すごいじゃん。これ全部きみが殺ったの?」

「……っ、お前!」


構え、睨んだ先にいたのは、一番最初に出会ったあの女だった。


馬鹿な、何も聞こえなかった。周囲には何も気配が無かったというのに。


「どこから現れやがった」

「どこからって、ん~……ここから?」


黒いローブ姿の女は、自分が立っている地面を指さし、ヘラヘラとした笑みを浮かべた。


それから、俺が屠った魔物の死骸を眺めながら「ほわー」やら「おお、グロい」やら、呑気に辺りを見物し始めた。完全にこっちを舐めた態度だ。


こいつ、分かってるのか? 今俺は、檻の中にいる訳じゃない。力だってつけた。出会った時とは、状況がまるで違うのだ。


そのムカつくにやけ面、凍り付かせてやる!


「ざけんなっ!!」

「おおっ?」


ぼーっと突っ立ている女に対し、風の斬撃を放つ。女は、さして慌てるようなそぶりもなく、ぴょんと飛びのいて斬撃の軌道から逃れようとした。


だが、それこそが俺の狙いだった。女が飛びのいたその先、着地するよりも早く俺は飛びかかり、その肩口辺りに向かって切りかかる。


まずは戦闘不能にして、そこから脅してでも話を聞きだすのが目的の一撃だ。とは言え、全力の一撃でもある。


それをこともあろうに目の前の女は、ローブから突き出した腕一つで難なく受け止めやがった。


「んなっ!?」

「……痛いね」


盾もなければ鎧もない、服すらない完全な素の腕だ。表面の皮膚が切れたのか、たらりと血が流れ出てはいた。だが、俺の爪はまるで鋼鉄にでも切りかかっているかのように、それ以上食い込まずにビクともしなかった。


女と目が合った。先ほどまでのヘラヘラした笑みはいつの間にか性質が全く変わって、まるで獲物を目の前にしているような狡猾な笑みが張り付いている。


「っっ……!?」

「ふふふふふっ」


背筋に悪寒がぞくりと走り、慌ててその場から飛びのく。女は、血が流れ出る自分の腕を見つめ、さも嬉しそうに笑っていた。


「本当に凄いね。一回魔物をけしかけただけでこんなにも強くなる。流石は私が見初めたヴォルス」


女が、聞きなれない単語を口にする。


「ヴォルス? それが俺の名前か?」

「えー? んふふふっ、どうだろうねー。あの子犬ちゃんにでも聞いてみたら」

「テメエ……っ」


どこまでもこちらを小馬鹿にしたような態度には、本当に腹が立つ。


見下しやがって。許せねえ、何とかしてあの笑みを引っ越せてやりたい。


「怖い顔しないでよー。せっかく可愛い顔してるんだからさ。えがお、えがお!」

「テメエの笑みを止められたら、笑ってやるよ」

「ま、怒り顔も可愛いからどっちでもいいけどー」


女が背を向け、歩き始めた。


チャンスだ! 油断している奴に向けて斬撃を放ち、そのあと今度は牙で――!?


そこまで考えて、体が全く動かないことに気付いた。どれだけ力を入れても、脚が一歩も動かず、喋ることすらできない!


遠ざかりながら、女が半身だけこちらに向けて手を振った。


「ふふっ、どうやって私に勝とうか考えてるね。感心感心。その調子でどんどん強くなってよー」


結局俺が動けるようになったのは、女の姿が完全に見えなくなってからだった。



「あ……お、おかえり」

「ああ」


少女と別れた場所まで戻ってくると、彼女は背もたれにしていた木の幹から立ち上がり迎えてくれた。


律義に待っていてくれたのか。まあ、彼女からすればまだまだ安全とは言えない森の中だ。今ここで魔物に対抗できる俺から離れるという選択肢はあり得ないのだろう。


だが、あの女はこの子のことも知っているようだった。どこかから見張っているのだろうか。


だとしたら、この子のためを考えたら、一緒にいない方がいいのではないか。そんな考えさえ頭をよぎる。


「……」

「どうしたの? 大丈夫?」


黙って見つめる俺を心配してか、顔を覗かせて心配そうな目を向けてくる少女


「なあ、ヴォルスって何だか知ってるか?」

「え? 知らない。あなたの故郷?」

「いや……」

「私の故郷はね、オルノーって言うのよ。ここからずっと東の方の……」


……ダメだ。やはりどうしても、彼女が持つこの世界の知識が必要だ。俺は、あまりに何も知らなさすぎる。この世界のことどころか、自分のことすら分かっちゃいないのだ。


あの女が何か企んでいて、この子を巻き込んでしまう可能性があるとしても、俺は俺自身のために、彼女と離れるという選択肢を取ることができない。


何て情けない。


自分の故郷のことについてつらつらと語っていた少女が、ふいに喋るのをやめた。


「どうしたの、悲しいの?」

「何で」

「だって、泣きそうな顔してる」


俺は、今そんな顔をしているのか。


どんな顔なんだ、鏡は無いのか。俺は、自分の表情を想像することさえできないのか。


くそっ、戦っていないせいだ。余計な考え事ばかりが、次から次に浮かんでくる。そのどれもが、俺の心に暗い影を落とす。


あまり顔を見られたくなくて俯いた俺の前に、少女の手のひらが差し伸ばされた。


「私、リンっていうの」

「リン……」

「あなたは?」


その瞬間、ぞっとした。


名前。それはある個体を、その個体たらしめるもの。俺にはそれが無い。


じゃあ、俺は一体何なんだ?


半ばやけになって、少女に向かって吐き捨てる。


「知らない」

「え?」

「知らない、何も覚えていないんだ。俺が誰かも、どうしてここにいるのかも、アンタの言う『故郷』ってやつがどこにあるのか、そもそもあるのかどうかすら何も分からない」

「そんな……」


少女が目を見開き、驚きの表情を浮かべた。その顔を見ていると、自分の故郷の話をしていた時のような、能天気な顔を眺めているよりは幾分か気分がいい。


だから、もっと困らせてやろうと思った。


「アンタはいいな、『自分』っていうのが分かってる。なあ、教えてくれよ。名前があるのって、故郷があるのってどんな気分なんだ」

「わたし、そんな……そんなつもりじゃ」

「だろうな!」


とうとう少女は涙を湛えながら、ふるふると震え始めた。俺が叫ぶと、びくっと肩を震わせ唇を固く閉じ合わせる。


違う、こんなつもりじゃない。俺は一体何をしているんだ。


いま彼女を泣かせて、何の得があるというんだ。今俺がすべきことは、彼女に少しでも好印象を抱かせて情報を手に入れることだ。


謝らなければ。許しを請い、協力をお願いしなくてはならない。


さあ、頭を下げよう。


「すまな……」

「じ、じゃあ、探そうっ」

「え」


少女の手が、再び俺の前にさし伸ばされた。先ほどより汗ばんで、緊張しているように震えているが、強く広げられた手のひらからは強い意志が感じられた。


瞳を潤せたままで、少女は言った。


「あなたのっ……あなたのこと。忘れちゃってること思い出せるように、一緒に探そう!」

「何で……」


それは、願ってもない話だった。だけど何で彼女の方から?


俺の態度はどう考えても最悪だったのに。


だから尋ねた。彼女には、俺を哀れに思うような余裕なんて無いはずなのだ。なのにどうして。


「あなたのこと、凄いと思う。あんなに大きな魔物に勝っちゃうなんて、きっと私のことを守ってくれるヒーローだと思ったの! ……だけど、違うんだね」

「いや……」


やはり、取り乱したのは失敗だったと思った。彼女にとってのヒーローであった方が、きっと色々と便利に進んだはずだったのだ。


それを俺は、みすみす取り逃したのだ。下らない感情に振り回されたせいで。


なかなか手を取ろうとしない俺にじれったくなったのか、少女は俺の手を無理やりに取ると、上目遣いになって俺へと迫った。


「ねえ、私とても怖いの……あなたに置いていかれて、一人になってしまうのがとても怖い」

「それは」


それは、俺もだ。


彼女にもし去られて、この訳の分からない世界でただ一人残されてしまったらと考えるだけで、空恐ろしくなる。それは、戦っている時にはとても思いつくことの無かった、孤独に対する不安だった。


やっと気が付いた。俺は、彼女に情報源として生きていてほしかったんじゃない。不安を共有する仲間が欲しかったのだ。例え、その恐怖の種類が全く違ったとしても。


「あなたの不安を、私も一緒に受け止めるから……! 私と一緒にいて、私の不安も受け止めて……。私、精一杯頑張るから」

「うん、ありがとう……助かるよ」


彼女の手を、今度はしっかりと握り返した。これが本当の、持ちつもたれつというものだろう。


俺は、彼女を守る。俺がこの世界で生きていくために。

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