17.西三河の朝2

 二〇〇五年五月十三日、金曜日、朝。


 薄手の掛布団で寝ていた透一は、目覚まし時計のアラームの音で目覚めた。気温がぐんぐんと上がる初夏の寝起きは、少し不快な暑さがある。


 携帯を見てみると、ブレノンからのメールが入っていた。透一は寝起きのぼんやりとした頭で、メールを読み上げてみる。


「昨日は急だったけど、付き合ってくれてありがとう。無理のない範囲で、これからもどうぞよろしく……」


 ブレノンからのメールは、こうした文面に絵文字を混ぜた軽い雰囲気のものだった。どうぞよろしくというのは、サフィトゥリのことを見張って調べてほしいということだろう。

 思いっきりスパイみたいなメールのやりとりをするのもおかしいが、このような内容ではそもそも連絡を取る必要性が感じられない。


「もしかしてあいつは実は、俺の新しい友達か何かなんだろうか」


 透一は布団から起き上がり、ブレノンのことを不思議に思った。本物の職業軍人のはずだが、接しているとまったくそんな気がしてこない。相手に軍人らしさがないのだから、自分が軍隊の協力者になったという実感もわかなかった。


 透一は着替えて朝ごはんを食べ、アルバイトに出掛けた。


 秘密を知りテロの危険を教えられたとしても、日常はつつがなく続くのだ。


 ◆


 バイト先のレストランのロッカールームに着くと、直樹もいた。どうやら今日は同じ時間のシフトだったらしい。


「おはよ。俺のアドバイスは、デートの役にたったか?」


 直樹は会うなり、楽しそうに透一に見て笑った。サフィトゥリと万博を見て回った日から、直樹に会ったのは今日が初めてだ。


 サフィトゥリとの関係は思ったのとは違う方向に転がりつつあるが、透一はきな臭い事情があることを感じさせないよう平常を装って答えた。


「おかげ様でうまく行ったぞ。デートとか抜きにして、未来館がめっちゃ良かったわ」

「ああ、あれ。うちのばあちゃんも感動しとった。俺は観覧車が一番だな。家族と乗っても面白かったが、カップルで乗るとやっぱりいい雰囲気になるのか?」


 一見軟派な長髪色黒の男子学生にしか見えない直樹だが、言動は祖母思いの庶民的な男である。


 透一がごく普通に外国人に恋しているだけだと思っている直樹は、当然のように恋の進展を茶化して尋ねた。


「まあまあ、な」


 観覧車のゴンドラでサフィトゥリとしたキスを思い出し、気恥ずかしい気持ちになって適当にごまかした。記憶の中の口づけは妙に濃厚で、実際よりも甘く情熱的に感じられる。


「まあまあ。異国の美女とまあまあの関係になったのか」


 直樹は適度に透一をからかって笑ったが、それ以上は根掘り葉掘り探ることはしなかった。直樹はものすごく性格が良いわけでも、話が面白いわけでもなかったが、どこまでもちょうど良い距離感の友人でいてくれることはありがたかった。


 その後、制服に着替えて働けばそこそこは忙しく、透一はしばらくサフィトゥリのことを考えない時間を過ごした。

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