15.裏万博会場1

 二〇〇五年五月十二日、木曜日の午前十四時過ぎ。


 透一はアルバイトのシフトを終え、北ゲートに向かっていた。愛知県館のおまつり広場を通りかかると、今日は幡豆町の和太鼓の公演が行われていた。


(一昨日はあそこでサフィトゥリと、狂言を見たんだよな)


 晴天の下大勢の人でにぎわうグローバル・ループを、今日は一人で歩く。サフィトゥリとのデートから二日しかたっていないため、記憶はまだ鮮明に残っていた。

 しかし最後の観覧車でのキスがあまりにも夢見心地だったので、あれは本当に夢だったのではないだろうかという気もしてくる。


 午後からの来場者もそれなりにいるようで、北ゲートは入場前検査を受けている人で込み合っていた。


「おつかれさまでした」


 透一は普段通りに、北ゲートの従業員用の出入り口を抜ける。

 しかしリニモの駅へ行こうとしたところで、かすかに聞き覚えのある男の声が透一を呼び止めた。


「彼女とのデートは、上手くいったようだな」


 振り返ると、あの先日の奇妙な外国人の男が立っていた。今日は白いシャツにグレーのスラックスを履いて、若干フォーマルな雰囲気だ。

 北ゲート内の普段は普通の警備員が立っている場所に、警備関係者のIDカードを首に下げて立っているのだから、男は本当に万博の警備関係者だったらしい。


「この間も今日も、一体何なんですかあなたは。俺に何の用があるんですかね?」


 透一は怪訝な気持ちを隠さず、男に用を尋ねた。たとえ男がきちんとした肩書を持った由緒正しい人物だったとしても、その言動を信用することはできない。


 しかし男は透一の不信は一切無視して、話を進めた。


「今日は君を連れて行きたいところがある。ちょっと時間あるか?」

「あると言えば、ありますけど」


 なぜ名前も知らない男にどこかもわからない場所に連れていかれなければならないのかと思ったが、今日はサフィトゥリとの約束もなく午後の予定は白紙だった。


「じゃあ決まりだ。着いてきてくれ」


 そう言うと男は、持ち場らしき場所をさっさと離れて歩き出した。仕方がなく、透一は後に続いた。


 リニモの万博会場駅の前を通る道に出て、男は路肩に止めてあった車の助手席のドアを開けて透一を手招きする。非常に高そうな車種の、黒塗りのSUVだった。


「どこに連れて行かれるんですかね。俺は」

「五分もかからないから、安心してくれ」


 透一が助手席に乗り込みシートベルトを締めつつ尋ねると、男はお洒落にサングラスをしてハンドルを握り受け答えた。


(それは答えにはなっとらんから)


 不服な気分のまま、透一は座席にもたれた。足下が広々とした高級ソファのような座り心地の座席は、透一のいつ買ったのか思い出せないシャツとジーパンの普段着には分不相応な気がした。


 大名古屋万博の会場はもともとは田舎の公園であるため、車で走ればすぐに何もない山道になる。


 しばらく車が走ること数分後。進行方向に物々しい鉄製のゲートが見えた。車が近づくと、ゲートはランプを点灯させて開く。

 ゲートを抜けて進むと、本当に五分もかからないうちにどうやら目的地らしい場所に着いた。


 平らに整備されフェンスに区切られた空間を、軍服を着て銃を持った外国人が歩き、最新鋭の戦車みたいな車が走る。灰色のコンクリートで固められた建物の前には、赤地に青いX型の十字が描かれたレベル・フラッグが日本の日の丸と一緒にはためいている。


 位置的には多分万博会場のすぐ隣くらいだろうが、どうみてもそれは軍事基地だった。


「何なんですか、これは」


 急に一般人には無縁のはずの世界に連れて来られて、透一は困惑した。自分がここに連れて来られた理由よりも先に、まずこの場所が何の役割を持っているのかが気になった。


 男は車を基地全体がよく見える駐車場の一画に止め、透一の疑問に答えた。


「ここはアメリカ連合国軍の臨時の駐屯地だ。最近は国際的なテロ事件が多い。だから連合国軍が万博会場の警備をバックアップし、ついでに新技術を日本や他の外国に見せつけて売る。いわばここはもう一つのうちの国のパビリオンだな」


 男のあけすけな説明に、透一はだんだんとこの万博をめぐる裏の状況を理解した。

 アメリカ連合国は国際テロ組織と戦う世界の警察の軍事大国で、いろいろと頼りにせざるをえない日本の同盟国だ。対テロ対策で主導権を握っていても不思議ではないし、そこに商売が絡むのもありそうな話である。


「それじゃあなたも、連合国の人なんですね」

「ああ。そういえば名乗っていなかったが、俺はブレノン・ハドルストン。肩書を説明すると、連合国陸軍から万博警備遊撃隊に出向してきた軍人ってところだな」


 透一が男の姿を改めてじろじろと見回すと、やっと男は自分について語った。後部座席に放ってある灰色のジャケットを見てみれば確かに、ニュースや教科書の写真に載っているのと同じアメリカ連合国の軍服だった。


「君の名前は都築透一だろ。愛知県の刈谷市に住んで名古屋の大学に通う学生の」


 ブレノンと名乗った男は、当然のように透一のプライベートを知り尽くしているらしかった。


「なぜあなたは、俺をここに連れて来たんですか」


 背景が見えてきたところで、透一は本題に入った。男がなぜ透一につきまとってくるのかという疑問を、透一は再び思い出していた。


「まず前提として、知ってもらいたかった。きな臭い世界がほんの紙一重のところにあることを」


 ブレノンはサングラスを外しながら、世間話のように話を続けた。


「君の恋人のサフィトゥリが国際テロ組織のテロリストだって言っても、前提がなければ信じられないだろ」


 きな臭い話題には不釣り合いな明るいブレノンの声が、突然の真実を告げる。


 しかしいきなり好意を抱いている異性がテロリスト扱いされたのにも関わらず、自分でも不思議なことに透一はあまり驚いてはいなかった。


 もちろん、彼女が本当にテロリストで、飛行機で建物に突っ込むかもしれない人間だとすぐに信じられるわけではない。

 だがサフィトゥリはいつも優しげで綺麗だったけれども、同時に得体の知れないものを持っているよう見えた。その理由が彼女がテロリストだったからだと考えると、いろいろ腑に落ちるところもあった。


「思ったよりも、普通に心当たりがあるって感じの顔だな」


 ブレノンは同性として苛立ちを覚えるくらいに甘く整った顔で、透一の顔を見て笑う。


 どこか他人事のように冷静なまま、透一はブレノンが考えていることを察した。


「……それであなたは俺に、彼女のことを調べろって言うんですね」

「こうも話が早いと、非常にありがたいな。彼女はこの万博会場に爆弾を仕掛け、爆破させる計画を持っている。俺たちはその爆弾の隠し場所を着き止め阻止しなければならない」


 命令というほど強い言葉ではなかったが。ブレノンがテロ計画を未然に防ぐために透一を利用する気であるのは確かなようだった。


 自分がそれほど重大な役割を持てるほどの人間ではない気がする透一は、ブレノンに尋ねた。


「ただの大学生の俺に、そんなことができると思っとるんですか?」


 透一は現実の軍事基地を目の前にして話を聞いても、自分自身に関わりのあることとしては現実感がわかない。


 しかしブレノンは巧みに、透一をテロ計画の阻止に結びつけた。


「彼女が普通のテロリストなら無理だな。だが彼女の行動原理は、どうもごく一般的な政治的な思想を持ったテロリストとは違うようだ。だとすると案外、君のような彼女に近い視点を持った人間の方が捜査の役に立つかもしれない」


 まるで間違っていても困らないような口ぶりで、ブレノンは自身の意図を明かす。

 ブレノンの態度に真剣さは感じられなかったが、嘘や冗談で話しているわけでもなさそうだった。透一はサフィトゥリと自分の視点がそれほど近いものだとは思えなかったが、ブレノンの狙いそのものはある程度筋が通っている。


(確かにサフィトゥリは、政治的な主張のために動く人物には見えん。もし彼女が本当にテロリストなら、彼女を突き動かしとるものは何なんだろう)


 透一はサフィトゥリの常に落ち着いた言動を思い出して考えた。表面上の付き合いしかないだけかもしれないが、透一はサフィトゥリから普通のテロリストの動機とされている怒りや憎しみのような感情を見出したことはなかった。

 そうなると彼女は本当にテロリストなのか、テロリストだとしたらどこに彼女の目的があるのかが、考えれば考えるほど気になった。


「断らないよな。君は」


 ブレノンが透一の心を見通したかのように、先回りして結論を出す。


 どうやらこのサフィトゥリのことを知りたいと思う透一の気持ちこそが、ブレノンが利用しようとしているものであるらしかった。

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