8.従業員食堂2

 透一はシフトを終えると、今日もまた本部棟の従業員食堂へと向かった。大臣の昼食を見ていたら無性に食べたくなったので、メニューは味噌カツ丼だ。


「あ、味噌カツですね。私も空港で食べましたよ。豚の相撲取りが描かれた看板があるお店で」


 席について透一が待っていると、向かいにはサフィトゥリがカレーうどんの載ったトレイを持って座る。

 うどん出汁の上にカレールーを載せただけのタイプのカレーうどんは、ほかほかと湯気を立てていた。


「その店、超有名なんだけど俺は行ったことないわ。美味しい?」

「私が食べたものはソースが二種類ついていたので、量があっても食べやすかったですね。最後の方はさすがにちょっと、くどくなりましたけど。次は牛ひれかつに挑戦してみたいです」


 サフィトゥリはハンカチを広げて服が汚れないようにして、カレーうどんを食べ始める。どうやらサフィトゥリは、宗教上の理由で豚や牛が食べられないということはまったくないらしい。


 透一も手を合わせて箸を割り、味噌カツ丼の器を掴んだ。


 白米の上に千切りにしたキャベツ、とんかつ数切れ、赤味噌を重ねて入れた丼ぶりはずしりと重い。どて煮の味噌の絡んだ白米ととんかつ、そしてあっさりと歯ざわりの良い千切りキャベツの組み合わせは、無限に食べられそうなほどに良かった。


 丼ぶり飯をかき込みつつ向かいのサフィトゥリを見ると、彼女は今日も傾国の美女のように綺麗だった。伏し目がちな目元の睫毛は長く、見ている対象がカレーうどんだとしても優雅だ。


 また紙エプロン代わりのハンカチも伝統工芸的な幾何学文様が織り込まれたもので、異国情緒たっぷりの更紗の服によく合っていた。


「服、可愛いね。何て名前の服?」


 透一は初対面の時から気になっていたことを、尋ねてみた。しかしやはりどこかに邪心があるのか、口に出してみるとなんだかセクハラみたいな響きになってしまった。


 しかしサフィトゥリは怪訝そうな態度を一切とらずに、服の名称を教えてくれた。


「これはクバヤって言います。私の国では、まあポピュラーな正装ですね。国や地方によっていろいろデザインが違うんですよ」


 そう言って、サフィトゥリはうどんの具のかまぼこを食べた。


 しばらくすると、二人とも食べるスピードが速いのか、どちらも器は空になった。


 食堂はそれほど込み合っていなかったので、透一はサフィトゥリは帰りたそうな素振りは見せていないと信じて、話題をふり続けた。


「外国館のアテンダントって、どんなことをしとるの?」

「うちの国のパビリオンは地味な展示しかないので、基本土産物を売るだけですね。透一さんは、どんなお仕事をされてるんですか?」

「普通のフロアのバイトだから、料理出して、下げて、皿を洗って……と、特別なことは何も。でも今日は、ライティア共和国のナショナルデーだとかでそこの商業大臣が来たから少し雰囲気が違っとった」


 透一が外国の賓客の話をすると、サフィトゥリは妙に話にのる。


「すごいですね。SPとか警備隊とか、たくさんいたんですか?」

「何人かはいたなあ。でもその場を取り仕切っとったのは、VIPアテンダントの人だったから、警護のことはよくわからんかった」


 お互いの仕事の内容を話すだけの、他愛のない会話。しかしそんなうわべだけのやりとりであっても、相手がサフィトゥリであるなら無性に楽しかった。


(でもなんかあの言葉を思い出すな。何だっけあの……)


 サフィトゥリの褐色の肌と彫りの深い顔を見つめると、透一の脳裏に大学の授業で聞いた「オリエンタリズム」という言葉がよぎる。


 文学研究者のエドワード・サイードはそれまで異国趣味や東洋への憧れを指していた「オリエンタリズム」に、他者に一方的に押し付けたイメージという新しい意味を付加した。

 西洋は文化の中心であり、その外部にある東洋は理解できない野蛮な他者であるとする。劣った他者である東洋には「怠惰」や「遅れている」とか偏ったイメージを投影し、優れた西洋による支配を正当化する。

 サイードはこうした人種主義的で帝国主義的な思考を「オリエンタリズム」と呼び、批判した。


 またオリエンタリズムと似たような考え方に「環境決定論」という地理学の言葉がある。例えば「暑い国では生産効率が上がらないので文化は発展しないが、寒い国では発展する」というような結論を出せば、これは「環境決定論」的であるとして厳しく批判される。


(俺が彼女をエキゾチックで可愛いなと見惚れたり、常夏の国の人は違うなと思ったりしたら、それはやっぱりオリエンタリズムで環境決定論なんだろうか)


 南国風の服をまとったサフィトゥリを目の前にして、透一は小難しいことを考えかける。


 しかし透一自身も白人ではなく東洋人であるし、何やらサフィトゥリはサフィトゥリで透一を自覚的に他者扱いしている気がしたので、悩むのはやめた。


 そうした一瞬に透一が黙っていると、サフィトゥリは透一に尋ねた。


「透一さんは地元の人として、万博はすごく楽しいですか?」

「楽しいよ。いろいろ思うところはあっても、テーマパークみたいでわくわくするから」


 サフィトゥリは深い紫色の瞳で、透一をまっすぐに見つめている。


 万博についての個人的な評価は、透一も迷うことなく答えることができた。


「面白いのが、一番ですよね。私も面白いです。万博にはいろんな人が集まりますから」


 サフィトゥリは水の入ったコップを手に微笑んだ。ころんと、中の氷が音を立てる。


 多分きっと、透一もまたサフィトゥリに面白がられているのであろう。

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