7.日本ゾーンのレストラン2

 大学の授業は午前中で終わり、透一は地下鉄に乗って万博会場の方面へ向かった。今日のバイトのシフトも午後からだ。


「おつかれさまです」


 いつも通りに西エントランス棟のレストランに着き、濡れた傘を片手に入り口をくぐる。


 しかし店内の方はいつもと違い、中年男性の店長ではなく見知らぬきちんとした雰囲気の女性が取り仕切っていた。

 ナチュラルブラウンのスーツスタイルの制服に万博のシンボルマークをあしらった緑色のスカーフを首に巻いているので、おそらくVIPアテンダントなのだろう。


 女性は透一に気付くと、はきはきと自己紹介と事情を説明した。


「おはようございます。都築さん、ですね。私は外国賓客担当アテンダントの久野です。本日はライティア共和国のナショナルデーとして、ライティア共和国商業大臣のダニエル・プラサ様にご来場いただいています。昼食会場が変更になり、本日の午後二時よりこちらのレストランで味噌カツ定食をお召し上がりいただくことになりました。ご協力お願いいたします」


 透一は「え、あ、はい」と優秀ではない返答を返し、きびきびした雰囲気に急かされつつ更衣室で着替えて戻った。


 ナショナルデーというのは大名古屋万博に参加する国がその文化や習慣を紹介する記念日で、各国の要人が参加して記念式典を開催したり、文化イベントで伝統芸能を披露したりする日のことだ。

 どうやら今日はライティア共和国という国のナショナルデーらしいが、透一はその国がどこにあるのかも知らなかった。


(今が一時半だから、二時はもうすぐか。しかしご協力って言っても、何をすればいいのかわからんな)


 VIP対応のために一般の客のいなくなったレストラン内を、透一はきょろきょろと見回した。雨のために照明で明るくなった店内で、使っている人のいない多数の椅子やテーブルは乱れなく等間隔で並んでいた。


 担当として動いているVIPアテンダントは久野さん以外にも何人かいて、店長はそのうちの一人と打ち合わせをしていた。その内容に聞き耳を立てたところ、どうもライティア共和国の大臣はいわゆるスタンダードな名古屋めしをご所望したため、昼食会場が変更になったようだった。


 とりあえず指示を仰ごうと思ったその時、久野さんの高らかな声が響く。


「ダニエル・プラサ様がいらっしゃいました」


 二時からというのはあくまで予定だったらしい。準備も指示も不十分なまま、透一は異国の偉い人を迎えた。


「コンニチワ」


 通訳やSPを引き連れ片言のあいさつで現れたのは、ラテン系の中年の男性だった。

 国家の要人なだけあってスーツは高そうな生地の上等なもので、オールバックの髪型も髭をそった顔もナイスミドルという感じだ。


「タコ、ウチワ?」


 大臣は店内の装飾に使われている凧や団扇を指さしアテンダントと和やかに会話しつつ、ゆっくりと席についた。


 多分あとはきっと偉い人たちが全部やるのだろうとたかをくくっていると、後ろから店長がやってきて透一の肩に手を置く。


「都築くん、これ運んでくれる? やっぱり若くて元気な地元出身の子の方が、絵になると思うし」

「……はい。わかりました」


 透一は自分は尾張名古屋ではなく三河碧海の人間であり、名古屋名物を食べる場には微妙にふさわしくないのだと思ったが、店長の指示に素直に従った。ちなみに店長は東北の人だ。


 カウンターに置かれているのはこんがりと香ばしく揚がったとんかつにこってりと赤黒い味噌がかかった味噌カツの定食だった。店長が一から仕込んで手作りした一品……ではなく、セントラルキッチンの工場で加工されパン粉をまぶされた状態でパックされた肉をフライヤーで揚げただけのものだ。


 工場で一括加工された食品による料理を提供するファミリーレストランは、一九七〇年の大阪万博のアメリカ館に併設されたセントラルキッチン方式のレストランが人気を博したことをきっかけに日本中に広まった。

 朝鮮半島で紛争が起きていた頃に米軍相手の仕事を多く引き受けていた九州の商会を前身とした機内食メーカーが、アメリカ人スタッフからノウハウを学びながら大量生産のハンバーグを提供したのが、そのアメリカ館のレストランである。


 賓客である異国の大臣がチープなファミレス料理を食べるのは一見おかしく見えるが、そうした歴史を踏まえればそれなりに由緒正しいのかもしれない。


(俺は味噌カツよりも天むすの方が好きだけど、あれは元々は三重のものだしな……)


 透一は味噌カツと味噌汁、白米、小鉢の載ったトレイを持ち、普段よりも慎重に運んだ。


 ちょっとした日本代表の気持ちで、大臣のいるテーブルの方へと歩く。


 するととんかつの匂いに気付いた大臣がにっこりと笑いかけてきたので、透一も微笑み返してトレイをテーブルに置いた。


 これでお役目終了だと、透一はさっさと退散しようとした。


 しかし、人当たりの良いナイスミドルな異国の大臣は、おしぼりで手を拭きながら外国語で何やら透一に話しかけてくれた。


 英語でも何語でも何を言っているのかさっぱりわからなかったので、透一は隣にいた久野さんに目配せをして助けを求めた。


 すると久野さんは、慣れた調子で通訳をしてくれた。


「ご職業は? 学生さんですか?」


 透一は早く終わりたいと思いつつ、しかし失礼にはならないように受け答える。


「はい、大学生です」


 久野さんは透一の返答を外国語に訳して、大臣に伝えた。


 さらに大臣はまたもうひとつ透一に質問して、久野さんが訳した。


「あなたのdiscipline……、大学では何を学ばれていますか?」

「えっと多分、人文地理です」


 そういえばディシプリンってタイトルの洋楽があったよなと思いながら、透一は言った。自分の専門が何であるのか、あまり自信を持って言うことはできなかった。


 大臣は久野さんから透一の答えを聞いてにっこりと笑って二言三言言うと箸を手にとった。


「素晴らしい。地理は私達の生活にとても役に立つ学問です。頑張ってください。と、大臣は仰っています」


 久野さんが、大臣の励ましの言葉を訳して伝える。


 透一は「ありがとうございます」とかしこまって、やっとその場を去った。


「イタダキマス」


 後ろで大臣の声がする。


 カウンターの前まで戻って振り返ると、大臣は箸で美味しそうに味噌カツを白米と一緒に食べていた。


(八丁味噌は名古屋じゃなくて岡崎が発祥だって、英語でなんて言うんだろうな)


 透一は八丁味噌のことは多少知っていても、英語は苦手だった。


 大臣は味噌カツも味噌汁も残さず平らげ、次のパビリオンを見に立ち去る。


 SPもVIPアテンダントもいなくなり、やがてレストランは日常に戻った。

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