崩壊(一)

「青田!!」

 志藤の絶叫が空虚な駐車場に響いた。辺り構わずその声で周囲を圧倒するかのように。そして自らの声と競うように青田の側へと駆け寄り、その両肩を掴む。青田の命が消え失せるその瞬間――それを目撃してしまうのだから、それは当然だった。

 しかし青田は志藤の声に応じることなくボトルを手放し、さらに膝を屈しその場で崩れ落ちて行く。両肩を掴む志藤もそれに引っ張られ、そのまま身体ごと青田に覆い被さってしまった。だが、そんな事を気にしている場合では無い。何としても青田の命をつなぎ止める。志藤にはもう、その望みしかなかった。

 もはや「俯瞰」も何も無い。

 そんな二人の様子を、やはり変わらぬ歪んだ笑みを湛えて永瀬が見下ろしている。自らの超人ぶりを改めて確認し、優位性が満たされているのだろう。やがてその喉からは笑い声が――

「――先輩。ご心配お掛けしました」

 青田の声がする。いつもと変わらぬ声が。今までの様子は何だったのかと叫びたくなるほどあっさりと。当然、永瀬の笑い声は聞こえてこない。笑みすらも失われていた。それは志藤も同じで……

「何を飲んだ?」

 いや青田に近づいていた分、志藤には出来る事が多かった。青田が膝を折った時に手放したボトルを拾い上げると、残ってた「内容物」を左の手の平の上に広げる。そして舌先でそれを確認すると――

「……水、だな」

「はい。正確には関東の少し硬度が高い軟水と言うべきなのでしょうが、有り体に言って『水道水』です」

 青田は再び感情の見えぬ表情で、永瀬を見据えた。

「――では、これからサービスタイムです」

「サービス……タイム?」

 先ほどまでの余裕を失った永瀬が、オウム返しに青田の言葉を繰り返した。その間に青田は志藤に離れるように指示を出し、永瀬と真正面から対峙する形を整える。

「ゲームですから、これから永瀬さんは自らの前のボトルを選ぶことになる。しかし、永瀬さんはどうにも迂闊なところがあるようですから、現在どういう状況なのかは正確には理解されておられないのでしょう。そこで俺が整理して差し上げます。サービスとは、まさにこれ」

 感情は見えない。見えないがただ言葉を並べるだけで青田は永瀬を嘲っていた。もはや永瀬の反応すら青田に影響を及ぼさない。今の状況自体が永瀬を見放していることを悟らせるように。

「まずここから始めましょう。永瀬さんは俺のズルを見破りました。それによって改めて状況を元に戻し、さらに俺に仕掛けが施されたボトルを飲ませることに成功した可能性――だが、その可能性はこうやって俺が生きていることで、完全に否定されます」

「『生きている』って、お前――」

「先輩。お小言は後で。では次の可能性、つまり他のパターンの検討に移りましょう」

 一瞬だけうんざりした表情を浮かべ志藤を制すると、青田は説明を続けた。

「俺のズルは確かにあり永瀬さんがそれを見破ったところまでは同じ。ですが、俺自身がボトルの選択を間違えていたパターンですね。永瀬さんの四本のボトルに滑り込ませるべき危険なボトルを間違えて、ただの水と交換していたという可能性。まったく俺も人のことは言えない。何て迂闊なんだ……だが、このパターンであるなら間違いなく俺の『運』は良いようですね。永瀬さん。貴方よりも」

 永瀬は一声も出せないでいる。なぜならこうして青田によって状況が整理されることによって、確かに青田の「運」の強さが証明されてしまったのだから。そこに何かしらの仕掛けがあったとすると、少し前までの青田の様子と矛盾してしまう。

 だからこそ永瀬は「推理」によって青田が何かしらのミスをしたと――つまり現状は青田の「運」の強さで形作られていると理解してしまったのだ。

 だがそんな永瀬に救いを与えるように青田の説明は続く。

「例えばこんなパターンもありますね。俺は確かに何かを仕掛けていた。だが永瀬さんはそれに気付くことが出来なかったとします。この場合、現在の状況を説明するなら『永瀬さんの前のボトルは毒入りだけ』という理解がもっとも妥当なところでしょうね。俺に容赦する理由は何も無い。実際に死ぬところだったわけですし……あるいは永瀬さんが『そうする』ことを俺が読み切っていたかも知れない」

 決して確定させない青田の説明。永瀬の目に迷いがありありと浮かんでいた。眼鏡越しの瞳が泳ぐ。

「もちろん、このパターンもありますね。俺はそこまで上手くやれなかった。つまり永瀬さんの前にあるボトルには確かにただの水道水のボトルがある。四分の三は毒ですけどね。今までの永瀬さんなら問題にもならない確率なんでしょうが――永瀬さん。貴方は間違えた」

 青田は身を乗り出した。目を爛々とさせながら。

「どうして俺の小細工を見破ったとき、シャッフルさせなかったんですか? 『運』の勝負であるなら、俺に勝ち目はなかった。それなのに永瀬さんは俺の策を見破ったと思い込み、調子に乗って『策』のステージに自ら上がってしまった。見破ったと思い込んでいる危険なボトルを、俺に飲むように強制してしまった。俺はシャッフルするようにと忠告もして差し上げたのに」

「それ……は」

「俺が苦し紛れに誤魔化そうとしていると思われたんですか? どちらにしろ貴方のミスですよ。自分に都合の良いように物事を捉えすぎです。『運』に頼りすぎた弊害がここにあります。そして、そんな弊害を抱えた永瀬さんが『策』で俺に勝とうなど――」

 そこで青田はウエストコートの胸元を両手の親指でビッと引っ張り形を整え、そして姿勢も正し、永瀬を爛々と輝く目で正面から見据えた。そして改めて言葉を突きつける。

「――笑止!」

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