毒(三)

 カッターシャツの胸ポケットにしまったはずが、半端に引っかかっていたのだろう。青田のスマホは箱の上でまとめられていた注射器の上に落ち、それらを散乱させる。幸いガラス製では無かったようだが、それらを拾い集めるのは手間が掛かりそうだ。

「解除を忘れたアラームか何かか? 俺がやるよ。上手い具合にパーカーのポケットに袋が入っていたし」

「それは助かります。……しかし何故袋が?」

「お前の使い走りで、手土産を持ってあちこち走らされたからな」

 そう言いながら志藤はスマホのライトを付けて、注射器を拾い集め始めた。そして多少は凝った印刷が施されたレジ袋を広げ、その中に放り込んで行く。

「永瀬さん。ちょっと足下お願いします。それに後ろも……何かありますか?」

「いえ……大丈夫。落ちてはいないようです」

「ライトも無しに大丈夫ですか?」

「別に落ちていても問題は無いでしょうし。志藤さんは細かいところを気にしすぎですよ」

 永瀬はそう言いながらも自らのスマホのライトで足下、そして自らの背後を照らし出した。そして実際に注射器は落ちてはいなかったようだ。志藤は「仕事は終わった」とばかりに注射器を集めたレジ袋を掲げながら、先ほどと同じ場所――対峙している二人から改めて距離を取る。そして自らも足下を確認していた青田が姿勢を正した。

「……取りあえずは大丈夫なようですね。先輩、ご面倒お掛けしました。針だけは注意してください」

「わかっている」

「そして先輩の細かいところまで気にする性格。俺は良いと思いますよ――永瀬さんの迂闊さよりは」

「迂闊? そうではなくて、そんな細かいところまで気にしなくて良いんですよ、

 その短い一人称には、異常なほどの傲岸不遜さが滲み出ていた。だがそれでも青田に影響は見られない。いつものように表情から感情が消え失せて行く。

「しかし、それが仇になったことは間違いない。貴方のその服、振る舞い、あるいは所持している車への設備投資、傍証は山ほどありますが一介の編集者があがなえるレベルでは無いようで――恐らく、その『運』を頼りにして資産運用を行ったのでしょう。簡単に言えば株ですね。恐らくすでに巨万の富を獲得なさっているのではないでしょうか」

「否定はしません」

 やはり超然としたままの永瀬が青田の推測を肯定した。もちろん青田もそんな永瀬の反応に構うことはない。やはり淡々と言葉を重ねる。

「さて、そうなってくると永瀬さんの身の上に降りかかってくるのは『退屈』だ。その退屈を紛らわせるために行われたのが藤田さんとのゲーム。何しろ未だ、どれほどに金を積んでも命は買えない。いやそれ以上に、この頃には永瀬さん」

「はい?」

「完全にご自身を超越者だと自覚されていたんでしょうね。何しろ何をやっても上手く行く。どんな不利な状況でも、必ず成果をつかみ取ってしまう。それが連続して起こるのですから、そう考えても無理はない」

「へぇ……」

 永瀬が感心したような声を発した。

「そこまで読み切られるとは――思った以上の『暇つぶし』のお相手であったようですね、青田さん」

「そうです。そこがまた俺に違和感を与えました。どうしてそこまで俺を引っ張り出そうとしているのか? という部分にも確かに違和感がある。だが、それも熱心な編集者、という説明で片付けることは出来るんですが、それだと別な違和感が生じてしまう」

「それも教えて貰えるんでしょうね?」

「はい。それも報酬の内と心得ています――やはり最大の違和感を覚えたのは、藤田さんのお母様に会われた時ですよ。熱心すぎるんです。もっともそれは貴方の不安がもたらしたものでもあるのでしょう。髪型の件がお母様から伝わるようなことがあれば、おかしな具合になりますから。そこで水際でそれを堰き止めるために同道した。しかし貴方の解釈では『危険な発言は何も無かった』わけです――実際、つい先ほどまでわかっていなかったご様子ですし。だからこそ、それ以上先輩に付き合っていられなくなったのでしょう。幸い、俺の実在は先輩が保証しましたからね。後は引っ張り出されるのを待つだけ」

「それでも志藤さんは頑なで、そこは確かに苦労がありましたが……それほどスリリングではありませんでした」

 永瀬はやはり陶然とした口調で、自らの行いを振り返る。青田も感情の見えない口調でそれに応じる。

「それで他の仕事を放り出すのはどうかと思いますよ。今日はご予定がおありだったんでしょう? それが俺に会えるとなったら、全て後回し。結局貴方は熱心な編集者では無かった。――それが最後の傍証です」

「私は待ち受けられていたんですね。この場所に、そしてゲームに参加させるために」

 永瀬は満ち足りた笑みを浮かべた。それを見た青田の声に感情が浮かぶ。

「俺からの説明は、ご納得いただけたようですね」

「はい。そもそも私は次のゲームに向けて『緊迫感』の大事さを教えて頂きましたし、それに――」

 永瀬はさらに笑みを深くする。

「――結局、青田さんも傍証しか掴んでいないことがよくわかりました。ですがそれだと、青田さんは私を捕まえることが出来ない。だからこそゲームへの参加を要求したわけですか」

 そう言われた青田の表情から、再び感情が沈んだ。しかし永瀬はそれに構わず、さらに続ける。

「――ゲームで私を殺すつもりがあるんですね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る