感想と差異(一)

 志藤が青田の家を訪ねてからおおよそ一週間後――


 青田の運転するスズキの軽自動車がヘッドライトで闇を切り裂いてゆく。時刻は日付が変わる頃。深夜ではあるのだが東京においてこの時間帯を果たして「深夜」と呼んで良いものかどうか。交通量は確かに減ってはいるが閑散と言うほどでは無い。そして青田はやはり姿勢良く軽自動車を駆っていた。同乗者は志藤に永瀬。

「この車は青田さんの?」

「いいえ。俺の同居人名義の車です。俺としてはもう少し形の良い車が好みなんですが、日本では使い勝手が悪すぎますしね」

 助手席に座る永瀬が青田に話しかけると、青田はいつものように丁寧に返事をした。それに誘われるように永瀬はさらに質問を続けた。

「やはり外車ですか?」

「そうですね。やはりイギリス車には形の整った物が多いです。ベントレー社のフォルムは大変よろしい」

「そちらがお好みですか……しかしまぁ、確かに日本ではちょっと使いづらいかも」

「でしょう?」

 我が意を得たりとばかりに青田が頷いてみせる。後部座席に座る志藤は疲労困憊といった風情でそんな二人の様子を見つめていた。傍らの席には一抱え程の箱が蹲っている。そのせいか志藤はさらに身を小さくしており、そのまま後部座席で船を漕ぎはじめそうだ。しかし、その目だけはしっかりと開かれている。端的に言えば一種の狂気を思わせるような表情ではあった。

 この三人を乗せた軽自動車の目的地は――足立区のパチンコ店だった。


 永瀬と青田の対面は午後八時に始まった。食事に最適な時刻というわけにも行かなかったが、それには様々な理由がある。元々、この日は青田による「実地検証」が予定されていた事がその理由の一つ目。そして青田の使い走りであれこれと動き回っていた志藤が永瀬と連絡を取っていなかったことが二つ目の理由。しかも、そうと志藤が気付いたのは永瀬から連絡が入ったから――であったので、言い訳のしようもない。だがそれでも志藤は言い訳を並べ、ついには今日の青田との予定も明かした。

 後はもう、必然の流れのままに対面の予定が組まれてしまい、志藤は永瀬と先に待ち合わせして足立区の半分バーのようなイタリア料理店の前で青田の登場を待つことに。この時点で志藤はすでに疲れ果てていたようで口数も少なく、それでも永瀬に頭を下げていた。そんな志藤の様子を見てしまうと永瀬も強くは責めることが出来なかったのだろう。それに出で立ちに差がありすぎて周囲から見ればいらぬ誤解を招きそうな「絵」が出来上がることを危惧したという側面があったとしても。

 永瀬は相変わらずの着道楽でダブルのジャケット。色はレディッシュ。アンダーには薄手のダークグレーのシャツ。そしてボトムスは千鳥柄。気温が下がったことによって色々選択肢が増えたようだ。今回は青田の要望で車は置いてきている。一方で志藤は開き直ったように灰色のパーカーに一見ジャージとも見違える――もしかすると本当にジャージなのかも知れない――黒のボトムス。夜であってもしっかりとした光沢を見せる永瀬の革靴と対比させるように、志藤の履くスニーカーは夜の闇に傷を隠しているかのよう。

「志藤さん、お身体大丈夫なんですか?」

「……青田が、ですねぇ」

「すいません。お待たせしました。駐車場がなかなか空いて無くて」

 志藤が永瀬に何事か説明しようとしたタイミングで青田が姿を現した。然して、その出で立ちは永瀬をして思わず息を呑んでしまうほどに――様になっていた。

 頭髪がきっちり整えられ七三に分けられている事はともかく、ほぼ完璧とも言えるだろう。真っ白なカッターの上からライトグレーのウエストコート。そんな風に上半身はしっかりと姿勢が整えられ、袖さえもアームバンドでさらに形を整えてられていた。トラウザースはウエストコートよりも濃いグレー。そして足下は黒の革靴。全体をそうやってモノトーンでまとめた上で、ネクタイの瑠璃色がしっかりと差し色として機能していた。とどめに鈍い光沢を放つネクタイピン。

 イギリス服はしばしば「着ている者が服に体型を合わせる」とも揶揄されるほど難物だが、青田は完全にイギリス服を従えていた。普段、やたらに姿勢が良いことが幸いしている。

「青田……わざわざ着替えてきたのか?」

 志藤が疲れたようにそう尋ねると、青田はますます真っ直ぐになり、こう返した。

「それはそうですよ。担当編集に会うわけですから。しっかりした服装で臨む。これが常識というものです」

 確かにそんな青田の主張に間違いは見られない。見られないのだが……

「あ、あ、そうでした。快談社の永瀬と申します」

 ようやくのことで永瀬が懐から名刺入れを取り出し、自らの名刺を差し出した。それを「頂戴します」と言いながら青田は丁寧に受け取るものの、その「続き」が無い。

「すいません。慌てて着替えてきたので自分の名刺は忘れてきてしまいました。何、俺の名前が印刷されているだけの紙切れです。まずは会うことが大事。そうではありませんか?」

「自分で言ってどうする。それより検証の準備は? 武部さんからは早めに承諾の返事を貰えたが、虎谷さんが当たり前に難物だ」

 そんな青田と志藤のやり取りを見た永瀬は堪えきれないといった風情で吹き出してしまっていた。そのまま笑いの発作に襲われたのか身体をくの字にして、ひとしきり笑う。やがてそれも収まったところで永瀬は眼鏡を外して涙を拭った。

「す、すいません。青田さんって、こういう方だったんですね。まず実在していることを喜びましょう志藤さん。それに青田さん。担当編集というのは?」

「先輩……本当に失念していたようですね。それに実在? ともかく予定時間まではまだありますから、その件も含めて説明させていただきます。帰りは俺が送っていきますからアルコールも適度にどうぞ」

 その青田の言葉に永瀬は笑いながら頷き、二人並んで背後の店に乗り込んだ――志藤を置き去りにして。

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