言葉だけで(四)

 果たしてイダ熊にどう返すのが適切なのか、志藤は迷ってしまっていた。別にここで青臭い主張をするつもりは無い。実際、そのような状況でもある。しかし、それを認めてしまうことがイダ熊のお気に召す回答になるか? と考えてみるとどうも怪しい。今は謂わばイダ熊という、たった一人の読者に向けてメッセージの書式を整え応募しているようなものだからだ。

 「嘘を付くのが商売」という言葉を志藤は自らの創作活動の「座右の銘」としている。逆にこだわるべきはその方向へのプライドだろう。

 志藤は改めて、そういった即物的な思いはなくて知人でもあったカチアン先生の「不自然な死」を調べているだけ。そこにやましい思惑は無いと、メッセージを送ってみた。するとすぐさまレスポンスが返ってくる。


 ――わかったわかったwそういうことにしておこうwww


 どうやら一次選考は突破できたらしい、と志藤は判断した。そしてこれでさらに踏み込んで色々と質問しても問題無いというお墨付きをイダ熊から貰った形になる。その後も、イダ熊からの煽るような混ぜっ返しに、志藤はいちいち怒って見せた。つまりは、そういった反応こそがイダ熊のお気に入りなのだろう。

 時には、そんな事を主張しながらも「最終的には出版の試みがある」と、揚げ足を高々と掲げてみたりもした。

 ここまで来ると、イダ熊も志藤のメッセージが多分に作為的である事に気付いているのだろう――いやそうであって欲しい、と志藤は祈るような気持ちでやり取りを続ける。だが、イダ熊が志藤の作為に気付いているかどうかはともかく、常に相手にマウントをとり、偉そうに相手を煽り、気まぐれに親切心を見せつけることが大好きな人物である事は間違いないようだ。

 虎谷が接触したのかどうかはわからないが、警察にとっては「鼻持ちならない人間」という印象になる事も頷ける。特に自らの瑕疵を認めるわけにはいかない組織の人間ではイダ熊相手に機嫌をとることも出来ない。不用意な発言も出来ないから自然と発言も減る。そんな相手はイダ熊にとってよほど面白く無かったのだろう。

 その点「小説家」という職業はイダ熊の相手をするのにうってつけだ。しかも今回は警察が不審死を自殺として不適切に処理した――かも知れないとなると、さらに警察の口は重くなる。そのために、いつしかイダ熊は小説家を煽る事と同時に警察への不満を並べ始めていた。恐らく虎谷はこの展開も見切っていたのだろうな――と志藤はそんな風に俯瞰しながらイダ熊にさらに付き合う。

 その内に二人のやり取りは「気ままにカーバンクル」の話に移行していった。志藤の誘導に因る部分が大きいが、それは志藤にも益があるからだ。どちらにしろ藤田に絡んでいた人間を探し出すには、まず「気ままにカーバンクル」について知らなければならないのだから。

 説明書的な説明だけでは理解出来ない部分をイダ熊に尋ねて行けば、知識を獲得すると同時にイダ熊の機嫌も良くなる。もちろん、イダ熊の「余計な言葉」は志藤を直撃するが、志藤は早々に馴れてしまっていた。それどころか恐らくここまでイダ熊に付き合った者がいないせいなのだろう。実はイダ熊のボキャブラリーが乏しい事に志藤は気付いてしまっている。そうなってしまえば、むしろ苦労するのはイダ熊に煽られて怒ったフリをすることで、志藤は創作能力でそういったキャラクターを維持するのに腐心してしまっていた。

 だがその苦心の成果もあり、聞き込み結果は上々で数名の容疑者のアテをピックアップすることに成功。イダ熊から見ても、どうも厄介者では無いかと思われる閲覧者であるらしい。課金プレイヤーでもあるからイダ熊にとっては同胞ということになる。だがイダ熊はなんの躊躇いもなくそういった人物をあげつらう。やはり一番の厄介者はイダ熊なのでは無いか、と志藤が思い直した所で無意識のままにこんな質問を投げかけていた。

 その問いとは、藤田が死ぬ直前辺り――つまり六月中旬辺りに何か気付いた事は無いか? という本来なら一番に尋ねるべき質問であった。そんな基本的な質問は警察が行っているのだろうという志藤の判断もそこにはあったのだが……

 その時のイダ熊のレスポンスに志藤は違和感を覚えた。今までは猶予時間を感じないほど即座に言葉が返ってきていたのに、今回は確実に「間」があった。直接会っていれば、恐らくは「言い淀んだ」と思えるような「間」だ。

 だが実際に言い淀んだかどうかはわからない。機械的な問題でもあるかも知れないし、志藤の気のせいという可能性もある。だがその「間」にイダ熊が隠したくなるような事柄が潜んでいるように志藤には感じられたのだ。


 ――いや。変わらない。


 結局返ってきたのはそんなメッセージだけだったのだが――どうにも志藤の脳にはイダ熊が作り出した「間」が引っかかる。だが、取りあえずはこれぐらいが潮時だろうと志藤は判断した。これ以上、イダ熊好みのキャラクターの設定を即興で詰めていく事にも限界を感じている。この後、数回は接触することになるだろうし、まずその辺りをしっかり考えなければならないだろう。

 志藤は経過は必ず伝えると約束した上で、イダ熊との接触を一段落させた。イダ熊もそろそろイベントが本格化する時間帯であることも手伝って、即座にそれを了承。この辺りも志藤の計算の内だったが、イダ熊が果たしてどう考えるか。第一、三時間もやり取りする事自体が異常事態とも言える。志藤がそう思って伸びをした瞬間、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。

「ただいま帰りました。うわ、綺麗に片付いてますね」

 奈知子の声が聞こえる。そして、いつも通りの丁寧な言葉遣いで玄関からは姿の見えない志藤に呼びかけていた。その笑顔も想像出来る。

 志藤は今日のイダ熊との接触はまず成功と考え、気持ちを入れ替えて妻を出迎えるために立ち上がることにした。

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