ウィミジカル・カーバンクル

司弐紘

居酒屋(一)

 赤褐色の塗り箸がつまむ生春巻き。透けて見えるエビの鮮やかさ。韮のみずみずしさ。そして、鼻腔をくすぐるパクチーの香り。

 箸はさらに、ニョクマムのソースに生春巻きを浸した。

 そんな風に目の前の光景を文字に起こしてしまうクセを、志藤しどう俊平しゅんぺいは「職業病だ」とさらに自分を俯瞰する。このクセが果たして仕事の役に立っているのかが、志藤にはわからない。

 そういう肝心な部分は俯瞰する事が出来ないのだから、そもそも「俯瞰出来ている」と考えている部分すら、何ら保証は出来ない思い込みであるのかもしれないのだ。

 ただ、わかる事は――

「青田を連れてきたいのなら、パクチーは食卓に並べない方が良いですよ」

「え? ああ、そうなんですか? いや、そうやって忠告いただけるって事は、乗り気ってことでいいですか?」

 そんな風に、やたらに疑問符付きで言葉を返してくるのは、志藤の担当編集である永瀬ながせ仁紀ひときだ。

 生春巻きを前歯で引きちぎるように切断して、咀嚼を繰り返している。

 健啖な事だ、と感心すべきか。はたまたナメられていると憤慨すべきか。彼が担当に変わってから半年ほどになる。正直な所、永瀬が所属している快譚社からは見切りをつけられているのだろう、と志藤は感じていた。

 永瀬は一言にまとめてしまえば随分軽い印象を人に与える。正確に言うと、人に軽そうだ、と思われる事について意に介さないという、ある種の傍若無人さがあるように志藤には思えた。

 今の時代、茶髪であることはさほどでは無いだろうが、それを逆立てんばかりに整髪している様には何やら妄執じみたこだわりを志藤は感じてしまうのだ。それに加えてツーブロックで同時に清潔感さえも感じさせている髪型。それなのにかけている眼鏡――伊達なのかも知れないが――は丸フレームで何処か胡散臭い。自己プロデュースがそういった雰囲気を目指しているのだろう。

 柄物のノーカラーのシャツの上から、つや消し黒の丈の長いベスト。現在向かい合わせで座っているので志藤からは見えないが、ボトムスはモスグリーンのカーゴパンツ。そしてその傍らの椅子には麻色のだらしない造りのショルダーバッグが、やはりだらしなく腰掛けていた。

 どんなに贔屓目に見ても社会人には見えないだろう。もっとも「職業・編集」としては有り得る出で立ちではある。まだ三十路には届いていないと聞いた覚えがあるが、出で立ちからも窺えるように随分と若く見えた。

 いやその理由は、出で立ちを検討する以前に永瀬が十分にハンサムであるという事実を受け入れてしまえば、もはや何も謎は残っていない。中性的な面差しに全体的に薄めの色素。それであるからこそ茶髪が映えるのであろう。

 その一方、自分は――

 と、志藤は我が身を省みる。

 容姿に関しての自己研鑽は積んでこなかった事は間違いない。自分の顔の作りは何処かしら大ざっぱなのだと志藤はそんな風に自分を俯瞰していた。何しろ濃い眉、一重の厚ぼったいまぶたを備えた目、顔の中央であぐらをかく鼻梁。そしてこの時刻――午後七時といったあたりだろう――になれば口元には髭が浮き上がっているに違いないと、志藤はその点については諦観の極地にあった。

 何しろ志藤がもっともコンプレックスを感じているのは、その身長。

 百六十はあるに違いないと思い込んで、身体測定が義務で無くなって以降、正確な数値を覚える事を志藤は止めてしまっていた。

 それだけにとどまらず、どうやら家系の成せる技なのだろうがに股であり、これは間違いなく職業病だと胸を張って言える猫背でもあるのだ。この上、顔の造作まで文句をつけ始めては二進も三進も行かなくなる。ただ体型だけは妻・奈知子のおかげでみっともない事にはなっていないと確信できた。ただただ感謝するしかない。

 しかし着せてくれた紺色のジャケットは果たして似合って……いやせめて無難であって欲しい、と志藤は祈らずにはいられない。九月の末という事で脇の汗染みが目立つ灰色のシャツを選んでしまった事に付いては、ただただ後悔しか無いのであるから。

 せめてこの打ち合わせ、いや「打ち合わせであった」と、振り返ってみれば評価できるようなものでありたいと、志藤は改めて強く意識した。奈知子にたいしての意地というものもある。

「青田を引っ張り出すとなれば、ちょっと面倒な事になりますよ。それにそもそも引っ張り出してきて何をさせるのか、という問題もありますし」

「いや、そこは謎を解いて貰うんですよ。そして先生にはそれを本にして貰う。シャーロック・ホームズと同じです。この方式はイケます。実際先生は、以前はそういった風な本を書いていますし」

 そう言われてしまうと志藤としても否定しにくい。事実であるからだ。しかしそれでも、青田を引っ張り出す為のハードルは未だ高い。

 それにまず根本的な問題として――

「青田はそもそも探偵では無いですよ。それに謎が……」

「その点は大丈夫です」

 永瀬は残りの生春巻きを、急いで飲み込んでこう告げた。

「実は――不自然な死がありましてね。これがなかなか良いんじゃないかと」

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