第9話 ロアとカールの最後

 セラピスの頭には、異常な量の血が昇っていた。怒りで沸騰しそうな精神を必死に押さえつけていた。自分を罵る言葉は全て罠だ、少なくともロアは愚弄を武器に使う卑劣漢だった。そう自分に言い聞かせる事でセラピスは冷静さを取り戻した。

 「エリーゼ! そうだ、あの子は!」

 「1人で皇帝を暗殺しに行ったぞ。援軍が期待できない以上、正しい判断だが、無駄だ。土地に詳しい父さん達の方が先に皇帝陛下と合流できる」

 セラピスが鼻で笑う。

 「お前の父さんなど、エリーゼの敵ではない。エリーゼ1人でも近衛兵10人分の強さがある。必ずや、皇帝の首級を手に帰還を果たすであろう」

 今度はリーマがセラピスをせせら笑った。

「村人は余所者が知らない抜け道や獣道を知っている。そこを通れば、無事に陛下は都に帰れる。お前の弟子1人がどんなに強くても、もはやどうにもならないね。仮に逃げる皇帝陛下を運よく見つけたとして、近衛兵が10人よりも多かったら、どうするわけ? 20人いても勝てるのか? お前の愛弟子は、お前より強いのか?」

 セラピスは、何も言い返せなかった。自分の置かれている状況のまずさにようやく気づいたのだ。

 「お前が馬鹿になっているだけだ! 俺のおかげで、村で皇帝を急襲する作戦は見事に失敗した。その時点でお前は負けている。俺に手下を壊滅させられる前に、皇帝を襲撃しにいけば、まだうまくいったかもしれないけどな」

 リーマは焼死したセラピスの弟子達を指差した。彼らはそれなりの猛者だった。もしも、森の出口で馬車を待ち伏せしていれば、犠牲を出しつつも、暗殺は成功したであろう。無論、リーマがその事を知っているはずはない。それすらも、セラピスの精神をかき乱す為の言葉による攻撃だ。

 「ならば、すぐにでもエリーゼに追いつかねばなるまい、今すぐに決着を付けよう。剣を抜け」

 セラピスの剣が毒々しい紫色に染まる。剣に呪いを染み込ませたのだ。かすっただけで相手の命を奪うセラピスの必殺剣だ。リーマは剣を抜こうとしない。

 「なあ、セラピス」

 「抜け」

 「俺を殺して何になる! この村はユトランドとの国境に近い、今すぐ逃げろ! セラピス、逃げろよ。お前が村でした事は許せないが、お前は俺の生涯の好敵手。こんな寂れた村で終わるな。俺やカールのように、な」 

 「記憶が戻ったのか、ロア」

 「確実に俺がロアだった記憶を思い出した」

 リーマが思いだしたのは、5年前のカールとロアの最後の瞬間だった。

 瀕死のカールを目の前にして、ロアは何も出来なかった。ロアもまた下半身を失い、生きているのが不思議な状態だった。

 「なんだよ。こんなになっても、死ねないのかよ。俺の体は」

 出血が止まり、なんと体の再生が始まっていた。同時に体全体が、崩れていく奇妙な感覚に襲われた。久しく忘れていた恐怖という感情をロアは思いだした。

 カールの側へ腕を使い、這っていくロアは気を失っているカールに言った。

 「弟、俺はもうすぐ人間ではなくなるかもしれない。お前を喰ってしまうかもしれない。早く目を覚ませ」

 ロアは自分の指を咬み切った。流れ落ちる血をエリクサーに変えて、カールの口に流しこんだ。自らの血を変化させた時、最高のエリクサーになる事をロアは知っていた。

 「カール、俺、再婚したぜ。それも俺の半分の歳の若い女だ。最高だったぜ。体が弱い女で、少し前に俺よりも早く逝ってしまったけどな。来るのが遅いぜ、お前。俺、八つ当たりで若い奴にひどい事をしてしまった。なんで早く来て、俺を止めなかった! なあ、お前は生きて帰れよ! 目を覚ませ、カール! たまには兄の言う事を聞いてくれよ!」

 「兄さん、有難う、話は途中から聞いていたぞ。兄さんのお嫁さん、見てみたかった」

 久しぶりに見たカールの笑顔は、記憶の中のそれよりもずっと弱弱しいものだった。

 「カール、良かった。俺達の可愛い孫娘を頼むぞ」

 「兄さん、有難う。でもごめん」

 カールの体から炎が生じて、ロアを包み込んでいく。カールは泣いていた。

 「兄さんの体を使って、陛下は良からぬ事を考えている。髪の毛一本、兄さんをこの世に残すわけにはいかない。俺も一緒にあの世についていくよ。兄さん」

 そこから先の事は、最初から記憶にあった。焼野原に倒れている所をバーナードに拾われたのだった。

 「何を思いだしたのか、知りたいが、時間がないようだ」

 セラピスの体が震えながら、膨張していく。異形の姿は、灰色の竜へと姿を変えた。

 「王の血と儂の知識の結晶が人間の魔物化を成功させた。お前がいればもっと早く、より完璧な技術として完成したのだが…お前の忠告を聞いて遠い異国にでも飛び立つとしよう。儂はお前よりも長生きしてみせる、また会おう」

 セラピスは大空へと飛び立っていった。

 「ふう、立つ鳥跡を濁さずという言葉を知らないのか、あいつは」

リーマが手の平を広げると村中に燃え広がろうとしていた炎が、リーマの手の中に吸い込まれていった。炎からセラピスの意思はもう感じられなかった。

 

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