最終話 私は、無敵の魔王です。


 目を開くと、膝を抱える自分の半身が視界に映りました。体育倉庫内、マットの上に置いたままの携帯のライトが眩く存在を主張していますが、私はそれに構うこともなく、愕然としていました。


 全て取り戻していたはずの、前世の記憶。その些細な思い違いに気が付いたのです。些細だけれども、とても大きな差異。

 いつも夢に出てきた、場面。最後に勇者あの人が掛けてくれた、言葉。


『お前を独りでは、終わらせない!』


 ――どうして。

 どうして、私は忘れていたのでしょう。

 いや、違う。あの時の私の朦朧とした意識下では、きっと聞き漏らしていた、正しく保存されていなかった。けれど、無意識下には残されていたに違いない、その記録を――今になって私の脳は、揺り起こしたのです。


 それが真実なら、勇者が私を探していた、本当の理由は。


「――ぅ、ぉう」


 不意に、頭上から声が聞こえてきました。切羽詰まったような……この声は。


「真桜ッ‼」


 ハッとして顔を上げ、視線を繰ると、私は瞠目しました。高い位置にある明り取りの窓から、彼が顔を覗かせていたのです。幻聴ではありません。


「勇者!」

「良かった、無事だな⁉ 表から回ったんだが、鍵が掛かっているようで……どうしたんだ? 出られないのか?」


 どうして、勇者がここに? 色々と疑問は湧きますが、それを言葉にする余裕もなく、私は呆気に取られて問われたままを口にしました。


「閉じ込められて……鍵は……持っていかれてしまったので、おそらく職員室にも戻されていないかと」

「そうか、分かった。こちらに手を届かせることは出来るか? この窓枠、俺の身体では通りそうにないが、華奢なお前ならいけるだろう。こちらで引き上げよう」

「……試してみます」


 心中は混乱していますが、頭は冴えていました。私はその場にあるマットや跳び箱の上部三段(障害物競走用と思われます)なんかを積み上げて、踏み台を作りました。

 その上に乗り上げてめいっぱい手を伸ばすと、何とか窓枠まで到達するようでした。換気用も兼ねているのか、はめ殺しではないことにホッとしつつ。

 内側から下ろされていたロックを上げて、硝子窓を開くと、途端に勇者の手が舞い込んで私の手を取りました。――強い力。


 彼の手は濡れていました。外はまだ、雨が降っているようです。湿り気で握り締めた掌が滑りかけると、彼はもう片方の手で私の腕を掴んで留め、一気に引き上げました。

 私の身体が窓枠を通り、全て外界に出た時――バキリと足元で何かが折れる音がして、次の瞬間、諸共に高所から落下を始めました。


「――っ⁉」


 衝撃は、不思議なことにあまりありませんでした。落下が止まったのを感知して恐る恐る目を開くと、間近に彼の顔があり、私はそのまま硬直しました。


「怪我はないか?」


 コバルトブルーの瞳が、私に問い掛けます。前世から変わらない――その深い青に魅せられたように、私は言葉もなく、こくりと頷いていました。 


 どうやら、私達は木から落ちたようです。倉庫に隣接していた木の上から彼は窓を覗いていたらしく、私を引き上げた反動と、二人分の重さ(プラス鞄)に耐えきれなかった為か、足場にしていた枝が折れて落下したという次第でした。

 その際、彼は咄嗟に私を抱きかかえて華麗に着地を決めたのです。……流石、勇者。


「済まない。約束を破ってしまった。お前が、その……見知らぬ誰かの求婚を受けるのではないかと思ったら、気が気でなくなり……戻ってきてしまった」


 どこかバツが悪そうに、言い淀む勇者。いつも迷いのない彼の珍しい表情に、私は思わずキョトンとしてしまいました。


 ――何だ、分かってたんじゃないですか。あれがラブレターだと。


 正確には、あれはラブレターではありませんでしたけれど。

 思い出すと、今しがたの勇者の発言に浮き上がりかけた気持ちが、瞬時に沈んでいきます。


「……ごめんなさい」


 ぽろりと口をいて、謝罪が零れ出しました。


「私は、また同じ過ちを犯しました。……騙されたんです。手紙は罠でした。何も疑うことなく、ホイホイと引っ掛かって……こうして、また貴方に迷惑を掛けてしまいました。前世から何も学習していませんね。私は、愚かで無知なまま……自分で自分に、呆れました」

「! ……お前、記憶を……そういえば、先程俺を〝勇者〟と」

「覚えていましたよ、最初から。私が貴方を、忘れるはずがないじゃありませんか」


 つい先程、気が付いた新事実もありますが。


 勇者が――剣崎 勇翔が、目をみはりました。それから、私の頬を濡らす雨粒を指先で拭うのです。それは、不器用ながらも、とても優しい仕草で。


 やめてください。そんな風にされたら、私は――。


「お前は愚かではない。他者を信じられるのは、お前が他者の気持ちに寄り添おうとする、優しさの持ち主だからだ。それは、お前の美徳だ。それに、例え間違ったとしても、お前はきちんとそれを正せる。自分を見つめ直すことの出来る者が、愚かなわけがない」


 やめてください。そんな言葉を掛けられてしまったら、もう――。

 雨粒が、とめどなく頬を伝い落ちて、私の視界を揺らします。彼は穏やかに微笑んで、言いました。


「だから、泣くな」


 みっともない嗚咽が喉から漏れ出しました。それでも私は、認めません。


「泣いてなんかいません。これは、雨粒です」

「……そうか、雨粒か」


 剣崎 勇翔は、私の顔を隠すように、抱き寄せました。雨に濡れて尚、温かい――私がずっと、求めていた温もりです。

 取り縋るように胸元を掴んでも、今度はその温もりは、どこにもいきませんでした。


「やっぱり、貴方でした」


 ――あの時も、今も。


「閉じ込められて、不安になった時……貴方の顔が浮かびました」


 相槌を打つように、彼が私の頭をそっと撫でました。それに励まされるように、私は言葉を紡ぎます。


「……また、見つけてくれましたね」


 いつだって、独りぼっちの私を、貴方は見つけ出して――優しく手を引いてくれるのです。

 

「約束しただろう。どこに居ても、必ず見つけ出すと」

「……ええ、貴方の執念深さは、よく知っています」


 茶化して見上げると、剣崎 勇翔は不意をかれたように小首を傾げてこちらを見ていました。その生真面目な反応が、何だかおかしくて……私は自然と破顔していました。


 誰も居ない、放課後の倉庫裏。降りしきる雨のヴェールが、私達を秘めやかに包み込んでいました。



   ◆◇◆



「よし、それでは、改めて決着を付けよう。魔王、勝負だ!」

「何言ってるんですか。厨二病ですか。人違いです。私は魔王ではありません」

「何故だ⁉ 記憶は戻っていると」

「何の話か分かりません。私は貴方なんて知りません」


 翌日の朝、登校した私を出迎えたのは、相変わらずの様子の勇者……もとい、剣崎 勇翔でした。

 昨日はしおらしく前世の記憶があることを告げてしまいましたが、私はまだ負けていません。こんな白昼堂々、大勢の人の前でそれを認める訳にはいかないのです。


「……一夜にして、記憶が失せたのか?」


 真剣に困ったような表情でそんな事を呟く彼に、私は思わず吹き出してしまいました。(尚、表情筋は相変わらず仕事をしていません)


「今、笑ったな?」

「笑っていません」


 そんなコントを繰り広げながら教室に向かう私達の前方に、ふと麗城さん達が居るのが窺えました。廊下で、いつもの三人でお喋りに興じていたようです。彼女らも私に気が付くと、口元を吊り上げて笑い掛けてきました。


「良かったね。あんた、昨日どうやってか抜け出したみたいじゃん」


 目だけが笑っていないその表情かおには、ありありと不満が見て取れました。

 何逃げてんだよ。ふざけんな。――そんな言葉が、聞こえてくるようです。

 私は一瞬臆しかけましたが、すぐに気を引き締めて、顔を上げました。真正面から見据えると、麗城さんは少し動揺したように瞳を揺らしました。


「貴女方に、伝えたいことがあります」

「……何? なんか文句でもあんの?」

「いいえ、謝りたいと思って」

「は?」


 予想外だったのでしょう。私の言葉に、彼女らは目を剥きました。


「私はこういう性格ですから、どうも無自覚に他者を不快にさせてしまうことがあるようで……。貴女方のことも、知らず傷つけてしまっていたのでしょう。それなのに、一度もちゃんと謝ったことがないと気が付きました。……ごめんなさい」

「は? え? ……は?」

「これからも、私に何か至らぬ点がありましたら、どうぞご教授ください。出来るだけ直していきたいと思いますから。ですが、出来ればもう少し穏便な手段で伝えてくださるとありがたいです。私は、貴女方とも友好な関係を築いていきたいと思っていますので」

「いや、何? 何言ってんの? 意味分かんない、こっわ!」

「い、行こう、もう」

「あんたなんて、もう知らねーよ!」


 三人組は、口々にそう吐き捨てて教室の方へ逃げ込んでいってしまいました。どうやら、怖がらせてしまったようです。……紛うことなき本心でしたのに。人間関係は難しいです。


「解決したのか?」


 後ろで見ていた剣崎 勇翔が、訊ねてきました。


「さぁ……どうでしょう」


 問題は、まだ山積みでしょう。状況が大きく変わったわけではありません。それでも、私はもう誰にも負ける気がしませんでした。

 傍には勇者あなたが居て。――決して、独りではないと、知ったから。


 貴方が居れば、私は無敵の魔王にだってなれるのです。


「だが、お前らしくて良かった。今の口上、俺は好きだ」

「好っ⁉ ……貴方、本当に……そういうことを平然と言ってしまえるの、ずるいですよね」

「どうした? 顔が赤いようだが……熱でもあるのか? まさか、昨日の雨で風邪を」

「この鈍感大王!」

「? 王は、お前の方だろう?」

「だから、そういうことは言っていません!」


 ……どうやら、まだまだ私の戦いは続きそうです。

 朝の陽光が明るく照らし出す中、私達は再び並んで歩き出しました。



(了)

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