第4話 この感情の名前を、私は知りません。


 結局、遠慮が通じるわけもなく。剣崎 勇翔は私を家まで送るといって聞かないので、一緒に帰ることなってしまいました。


「いいですか。せめて途中までにしてください。家の前までは付いてこないでくださいよ。もしも父に見られでもしたら、父が卒倒しかねません」

「お父上は身体が弱いのか?」

「うちの両親は過保護なんです。一人娘が男を連れて帰ってきたりなんかしたら、それはもう大変ですよ。下手したら貴方、父に殺されます」

「ははは、剛毅な父上なのだな」

「笑い事ではありませんが」

「昼の弁当も、母上の手作りか。とても凝っていて美味しそうだった。愛されているのだな。……良かった」


 そう言って、ふっと微笑む元勇者。優しく細められたで見つめられては、何だか落ち着かない心地になり、私は目を逸らしてしまいました。


「良かった」というのは、前世での私には両親など存在しなかったからでしょう。正確には居たのですけど、どんな人達かも分かりません。

 魔王は世襲制ではありません。先王逝去の折に、国で一番強い魔力を持つ者が次代に選ばれるのです。私はその時、まだ赤子でした。

 生まれて幾日も経たない内に両親から引き離され、王城に連れてこられたのちは、一度も生みの親と面会する機会などありませんでした。

 だから、知らないのです。


 勇者には、そんな話をしたこともありました。それ故に出たのが今の言葉なのでしょう。

 むず痒いような、居た堪れないような……そんな空気を攪拌かくはんすべく、話題を転換します。


「……貴方は、どうしてこんな時期に急に転校なんかしてきたんですか?」

「前の学校は手違いだったんだ。お前が居るかと思って入ったんだが、居なかったからな」

「⁉ そんな事の為に、わざわざ⁉」

「当たり前だろう」

「当たり前じゃないですよ⁉」

「だって、約束しただろう。絶対に、お前を見つけ出すと」


 思わず、言葉に詰まりました。あまりにも彼の瞳が、言葉が、真っ直ぐだったから――。


「この身体に生まれ落ちて、一番最初に意識したのは、誰かを探しているという想いだった。程なくお前のことを夢に見るようになり、前世でのことを思い出した。それからは、ずっとお前を探していた。少し時間は掛かってしまったが、ようやく見つけた……」

「わっ私は、人違いだと思いますが。でも、何故探そうなんて思えたんですか? 別の世界に生まれているかもしれないのに。見つかる保証なんて、ないでしょう」

「いいや、見つかると信じていた」

「……何故です?」

「お前と俺は、深い所で繋がっていたからだ。そうした者同士は、来世でも導かれるように近しい存在になると聞く。縁というやつだ。だから、きっと近くに居るだろうと思っていた」

「何ですか、その……顔に似合わず随分とロマンチストなんですね」

「そうか? ただの事実だが」


 ぷいとそっぽを向いて、つい憎まれ口を叩いてしまう私でしたが、彼は持ち前の鈍感さで全くイヤミだとは思わなかったようです。生真面目な返答を寄越されてはまたぞろ返す言葉を失い、私は何だかしてやられたような気分になったのでした。

 今日は彼に振り回されてペースを崩されっぱなしで、何だか悔しいです。


 その後、少し先で彼と別れてから帰宅すると、出迎えてくれた母に「あら、真桜ちゃん、今日は何かいい事があったの?」なんて聞かれてしまいました。

 驚いた私が何故そう思ったのか問うと、「だって、何だかいつもより嬉しそうなんだもの」と、全く予想だにしなかった答えが返ってきました。


 嬉しそう? 私が? 勇者と会って? そんなわけ、ないじゃありませんか。


「真桜ちゃんは表情に出にくい子だけど、私には分かるのよ。母親ですもの」


 そう言って笑う母の方こそ、よほど嬉しそうで楽しそうで。私はやはり、この笑顔を守りたいと思うのでした。



   ◆◇◆



 壁に掲示された大きな紙面の前で、私と剣崎 勇翔は佇んでいました。

 そこに貼られていたのは、中間テストの結果発表学年順位上位十名の名前と、五教科合計得点の数字。


 一位、夜見野 真桜 500点。

 二位、剣崎 勇翔 498点。


「くっ! たった一つのミスで負けた……だと⁉」

「いや、勝手に勝負しないでください。受けた覚えはありません」


 盛大に嘆く剣崎 勇翔の様子に、周囲の人々もざわめいています。


「つーか、どっちもバケモンだろ。オールパーフェクトと誤答一問だけって」

「剣崎なんて、隣のクラスに遊びに行きまくってて授業サボり気味だったのに、何で点数取れるんだよ」


 本当にそれです。私なんていつも必死に努力を積み重ねてきたというのに、毎時間抜け出してきていたような元勇者が、こうして普通に並ぶことの方が解せません。


「次は、期末試験で勝負だ!」

「だから、受けませんって」


 そこに、話しかけてくる存在がありました。彼のクラスメイトの男子達です。


「よー、剣崎惜しかったな」

「でも、充分すげーじゃん。次頑張れよ!」

「ああ、ありがとう」


 剣崎 勇翔が転校してきて、数日。意外なことに周囲は彼を受け入れ始めていました。当初、型破りな行動から周りをドン引かせていた彼ですが、何だかんだ持ち前のお人好しが露顕して、その性質を好ましく思う人が増えたのです。

 それは、男子の間だけでなく――。


 パッと何かに気が付いたように、剣崎 勇翔が廊下に視線を向けました。釣られてそちらに目を遣ると、重そうなノートの山を抱えてふらふらと歩く女子生徒が居ました。おそらく、教科の係などで、教師からノートの返却などを押し付けられたのでしょう。私にも経験が有ります。


 私が何かを言うよりも早く、剣崎 勇翔はそちらに向かって駆け出すと、彼女の手からノートの山をひょいと取り上げたのです。


「え⁉」

「これはどこに運ぶんだ?」

「え、あ……二年C組の、教室に」

「承知した」

「あ、ありがとう……」


 驚いて固まっていた女子生徒でしたが、彼の意図を知ると次第に頬を染めて、ぽうっと彼の方を見上げるのでした。

 その様を私は遠巻きに眺めながら、何だか複雑な心境になっていました。


 ――何ですか、いつも来るなと言っても来て、しつこく構ってくるくせに。放置ですか。そうですか。


 むぅ、とへの字に結んでいた己が口元に気が付いて、私は慌てて〝へ〟を真一文字に戻しました。

 いや、何で私がムッとする必要があるんですか。構われない方がいいに決まっているじゃないですか。


 そう、彼の人気は女子の間でも密かに広がっていました。元々顔の造作は良いですし、あの通り優しいですし。私に対する言動の電波厨二病(と周囲から思われています)にだけ目を瞑れば、優良物件というわけです。


 私の恨み節が聞こえたわけではないでしょうが、ここで剣崎 勇翔がこちらに振り向いたものだから、思わずドキリとしてしまいました。


「夜見野 真桜、少し行ってくる。また後で」

「もう来なくていいです」


 しっしと羽虫を追い払うように手を振りながらも、私は声を掛けられたことに、どこか安堵していました。……安堵? どうして?


 彼は、優しい。誰にでも――。

 その優しさは、別に私一人に向けられたものではないのです。

 ……何故でしょう。またぞろ胸が痛みます。


 女生徒と階段を上がっていく剣崎 勇翔の背を見送り、私は暫くその場に立ち尽くしていたようです。


「夜見野 真桜さん」


 突然、名前を呼ばれて振り返ると、見知らぬ男子生徒と目が合いました。私が困惑の眼差しを向けると、答えるようにその人は続けました。


「ちょっと、話があるんだけど、いいかな?」



   ◆◇◆



「ごめんなさい」


 そう告げて、私は男子生徒の前から立ち去りました。

 その人が今どんな表情かおをしているのか、何となく見てはいけないもののような気がして、振り向かずに背を向けたまま。……見たら、嫌でも罪悪感が湧いてしまいそうで。


「まぁた夜見野が男フってるよ」


 その時、前方から聞こえた声に息を呑みました。麗城さんとその取り巻きの、三人組です。どうやら、今のを見られていたようです。

 このところ、剣崎 勇翔が私にべったりで隙がなかった為か、彼女らからの嫌がらせは大人しくなっていたのですが……。


「ちょっと可愛いからって、調子乗ってんじゃねえよ」

「転校生も手玉にとって、こっわ」

「この淫乱女」


 私はどういう反応をしたらいいのか分からず、会釈だけをして彼女らの前を通り過ぎました。

 何かしてくるかと思いましたが、予想に反して彼女らはそのまま通してくれました。それでホッとしてしまったのですが、本当はもう少しちゃんと警戒すべきだったのです。


 麗城さん達が、このままで済ませてくれるはずがなかったのです。

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