第3話 仁義なき戦いの始まりです。


「おのれ、魔王アーク!」


 満身創痍。抜き身の聖剣を杖代わりにして、勇者、ユート・クェン・ザクリートは、よろめきながらも立ち上がりました。

 ズタボロに傷付いた痛ましい姿でも、彼のコバルトブルーの瞳から光は失われていません。変わらず真っ直ぐに見詰めてくるその目に、私が映り込んでいます。

 大きな角を有した、中性的な長髪の青年――魔王だった頃の私は、全く表情を動かすこともなく、冷たく吐き捨てました。


「諦めなさい、勇者、ユート・クェンザクリート。決着はもう付きました。貴方では私に敵いません」

「まだだ! まだ俺は生きている!」


 喚いてから、ハッと何かに気が付いたように、勇者の顔色が変わりました。


「そうだ。何故、いつもトドメを刺さない? お前に俺を生かしておく理由はないだろう」


 ほんの少しの間、私は黙してから、こう返しました。


「例えば、そこに羽虫が飛んでいるとして、貴方はそれを一々ひねり潰しますか?」


 唐突な質問に虚をつかれた様子の彼の言葉を待たずに、私は「そういうことです」と続けました。


「面倒ですし、手が汚れます。とっとと巣に帰りなさい」



   ◆◇◆



「体育か。よし、百メートル走で勝負だ!」

「とっとと自分のクラスに帰りなさい」


 六時限目。着替えて校庭に移動した私を待っていたのは、何故か自身も体操服を身に纏った剣崎 勇翔でした。


「貴方のクラスは体育じゃないでしょう。第一、同じクラスでも男女は合同じゃありません」

「む、そうだな。お前は今女子おなごなのだから、平等じゃないな。よし、分かった。俺はタイヤを引きずりながら走ろう」

「聞いていますか? 貴方、コミュニケーション能力大丈夫ですか?」

「剣崎ぃいい‼」

「あ、B組担任」


 肩を怒らせて校庭に飛び込んできたB組の担任教師の手によって、無事に剣崎 勇翔は捕獲されていったのでした。最早見慣れてきた光景です。

 あの人も担任とはいえ、担当教科の授業の方に行かなくて大丈夫なのでしょうか。B組の先生の苦労を忍びながらも、私は内心で盛大な溜息を吐いていました。あれから今日一日、ずっとこんな調子です。


 一時限目で連れ戻されたにも関わらず、二時限目の始まりには、彼は再びうちのクラスに来て――。


 二時限目、国語。

「よし、教科書の朗読をどこまで詰まらずに読めるか勝負だ!」

「剣崎ぃいい‼」


 三時限目、音楽。

「よし、どちらがより上手くリコーダーを演奏出来るか、勝負だ!」

「剣崎ぃいい‼」


 四時限目、英語。

「よし、英単語の意味を幾つ答えられるか、勝負だ!」

「剣崎ぃいい‼」


 五時限目、現代社会。

「ゆるキャラの出身地当てクイズで勝負だ!」

「それ、何かもう関係なくないですか?」

「剣崎ぃいい‼」


 ――そんな感じで。毎時間うちのクラスにしれっと現れてはしょうもない勝負を申し込み、駆け付けてきたB組担任に連行されるという一連の流れを幾度も繰り返してきたのでした。


 尚、昼休みも。私が教室に居づらくて人気の無い裏庭で一人お弁当を広げていたところを発見され、弁当早食い競走を申し込まれたのは言うまでもありません。

 勿論スルーを決め込みましたが、休み時間ばかりは誰にも彼の拘束力はなく、B組担任の助けも入らなかった為、無限の気まずさを味わう羽目になりました。


 流石にもう疲れました。前世も大概でしたが、前世にも増してしつこさが増している気がします。どうしても私に勝たないと気が済まないのでしょうか。ならば、一度彼の言う勝負を受けて、負けてみるのも手かもしれません。

 ……とも思いましたが、手を抜いたらたぶんバレて怒り出しそうです。それもまた面倒ですね。


 全ての授業を乗り越え、いつも以上の疲労感に包まれた私を待っていたのは、いつも通り麗城さん達による掃除当番の押し付けでした。


「じゃあ、あとよろしくね」


 くすくすと笑い声を立てながら、彼女達は早々に教室を辞していきました。他のクラスメイト達も後ろめたい表情で視線を送ってはきたものの、別段何かを言うこともなく、それぞれ部活に帰宅にと散っていきました。

 箒を片手にぽつりとその場に一人残された私は、ふぅと嘆息し、床を掃き始めました。


 まぁ、このくらいの嫌がらせなら、可愛いものです。今の所暴力などに発展する様子もありませんし、耐えられないこともないでしょう。

 麗城さんが何故私を目の敵にするのか、その理由は分かっています。後から噂で知りました。私が彼女の憧れの先輩に告白されたのを、断ったから……らしいのです。


 言われてみれば入学式の直後、二年生の男子生徒に呼び止められて、突然「一目惚れした」だの「付き合わないか」だの言われて、「無理です」と返した記憶があります。

 その時の相手がどうやら、麗城さんが中学時代から好意を向けていた同中出身の先輩だったらしいのです。


 彼女はお金持ちのお嬢様で、早くもスクールカーストの上位に君臨している為、状況は悪化の一途を辿りました。誰も麗城さんには逆らえないので、今では私に話しかけてくる人は存在しません。


「掃除か。よし、雑巾がけ競走で勝負だ!」


 ……ああ、例外が一人居ましたね。

 いつの間にやって来たのか、今日だけでも散々見た剣崎 勇翔の顔に、私は何だか脱力してしまいました。


「貴方も本当にしつこいですね。自分の教室の掃除はいいんですか」

「当番ではなかった為、あとは帰宅するのみだ」

「なら、とっととに帰ったらどうですか」

「送っていく。お前は今女子だからな。女子を無事に家まで送り届けるのが男子の務めだ」

「何ですか、それ。必要ありませんけど」

「それから、これ」


 不意に目前に突き出されたものを見て、私は目を丸くしました。(実際には、表情は動いていないでしょうけど)

 爪先に〝夜見野〟と書かれたそれは、間違いなく私の上履きだったからです。反射的に受け取って、私は唖然と零しました。


「これ……どうして」

「無くしたと言っていただろう。見つけておいた。変な所に捨てられていたぞ」

「わざわざ探したんですか?」

「無いと困るだろう」

「…………」


 呆れたお人好しっぷりです。


「……そういう所、変わりませんね」

「うん? 何か言ったか?」

「いえ、私は貴方の敵じゃなかったんですか? 敵に塩を送るような真似をしていいんですか」

「困っている者に、敵も味方もないだろう」


 ――ああ、本当に変わらない。

 込み上げてきた懐かしさに、胸を締め付けられるような感覚を覚え、私はそっと顔を俯けました。

 蚊の鳴くような声で「ありがとうございます」と謝意を告げると、剣崎 勇翔は生真面目な表情をほんの少し緩めて、わずかに微笑みました。

 それがあまりにも優しくて。私の胸は一層痛みました。


 この痛みは、きっと前世からのもの。

 ――貴方は勇者で、私は魔王。貴方の倒すべき最大の敵。

 どれだけ近付いても、絶対に手を取り合うことは出来ないのです。

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