彼と彼女の朝食模様

 目を閉じていても、瞼の裏側まで突き抜けてくる明るさを認識して、自分の意識が浮上してきたのが分かり、薄らと目を開けた。


「……朝、か」


 カーテンの隙間からピンポイントに顔に当たってくる日光を恨めしげに睨み……まっぶし!? 

 よく考えなくても日光なんて睨めるわけなかった。

 バカなことをやったせいで、寝ぼけていた意識は即座に覚醒してしまった。


「アラームの30分前じゃねえか……」


 傍に置かれたスマホの画面を見て、ぼやいた。

 もう一眠りしようにも、目が冴えてしまって寝られそうにない。


 起きるか。ちょっと手の込んだ朝食でも作るって思えばいいしな。

 仕方なく、身体を起こしてリビングに向かう。


 そう言えば、今日から本格的にいのりと2人での生活が始まるわけだが……思ったよりは落ち着いてるな。

 まあ、昨日の夜またひとしきり悶え回ったし、その反動かもしれない。


「ん?」


 階段に差し掛かると、なにか音が聞こえてくることに気が付いた。

 なにかが焼けるような音と、うひゃあという小さな悲鳴のような声。


 怪訝に思いながら、リビングへと入る。


「よ、よしっ……あとはこれで……焼けるのを待つだけ、だよね?」


 そこには真剣な表情でフライ返しを持ってフライパンに向き合っている、エプロン姿のいのりが立っていた。

 

「あっ、ユキくん。おはよう」


 ……。

 …………。

 ………………。


「ユキくん?」


「そんな約束はしていないが、約束通り結婚しよう」


「え?」


 ――ハッ!?

 

「わ、悪い。ちょっと寝ぼけてた」


 エプロン姿のいのりが尊すぎて完全に意識が飛んでしまっていたみたいだ。

 早起きしてよかった。その代償にちょっとだけ心臓が止まってたような気がしないでもないが、安いもんだろう。


「あはは、いつもより起きてくるの早いもんね」


「たった30分だけだけどな。そっちも早起きだな」


「うん。せっかくだし、簡単な朝ご飯でも作ってみようかなって思って。練習にもなるし」


「へえ、なにを作ってるんだ?」


「え、えっと……め、目玉、焼き?」


 なぜ疑問形?

 俺は近づいてフライパンの中を覗き込む。


「目玉はどこだ」


「そ、そのぉ……割る時に失敗しちゃって」


 フライパンの中には黄身が潰れて失明した目玉焼きの姿が。

 

「まあ、卵って割るの結構難しいからな。俺もたまにやるし」


「ほ、本当に?」


「ああ。片手で割るとたまにそうなる」


「か、片手……? わ、私は両手でこれなのに……片手……?」


 いかん、余計なこと言ったか。

 しゅんと落ち込むいのりを見て、俺は自らの失言を悟った。


「気にするなよ。大事なのはやってみようって行動することだ。ちゃんと失敗から学んでいけばその内そういうのも減ってくるよ」


 腹に入れば一緒のことだしな、と付け加えながら、食パンを2枚トースターに放り込んだ。 


「せ、せめてここからは失敗しないようにするから!」


 言いながら、いのりはフライ返しを持ったまま、フライパンをジッと見つめ始めてしまった。

 

 そこまで真剣にならなくてもいいのにな。可愛いけど。

 しかつめらしい表情で目玉焼きを見守り続けるいのりの様子はとても微笑ましい。


「とりあえずベーコンも焼いとくかな。ちょっと隣いいか?」


「……!」


 お、おう……すげえ集中してらっしゃる。

 返事が戻ってきてないが、冷蔵庫からベーコンを取り出して、小さめなフライパンを空いているコンロで熱し始める。


「アイスカフェオレも作っとくぞ?」


「……!」


 やっぱり返事はもどってこないが、ベーコンを焼く作業と並行して、手早くアイスカフェオレを作っていく。

 なんだろう、返事がこないとめちゃくちゃ虚しい。

 別に無視されてるわけじゃないんだけどな……。


 俺が感じている虚しさを紛らわそうとしたわけじゃないだろうが、タイミングよく鳴ったトースターの焼き上がりの音が、俺にはなぜか慰めの音に聞こえた。





「いただきます」


 ほどなくして、朝食が食卓の上に並べられた。

 いのり作の目玉焼きに、俺が用意したトースト、ベーコン、アイスカフェオレといった、まあ学生の朝にしては手が込んでると言えなくもないメニュー。


「い、いただきます……!」


 いのりが緊張した面持ちで、俺を見る。

 

「……そこまで見られると逆に食べづらいんだけど」


 食べづらいだけで、見つめられて嬉しくないとは言っていない。

 むしろもっと見て欲しいまであるが、それはそれ、これはこれだ。


「ご、ごめんねっ」


「まあ、自分が作った料理を誰かに食べてもらう瞬間って緊張するよな。分かる」


 俺は期待に応えるように、不格好な目玉焼きに箸を伸ばし、掴んで口に入れた。

 ジャリジャリっという目玉焼きには似つかわしくない音が口内で生まれた。


「なんというか、カルシウム豊富な味がするんだが」


「うっ……か、殻が入ってたみたい……だね……」


 俺に倣って目玉焼きを咀嚼したいのりが、涙目で口元を抑えながら俯いた。

 

「焦がしてないし、最初にしては上出来だろ」


「うぅ……甘やかさないでぇ……」


「ほら、これでも飲んで落ち着けって」


 コップをスッといのりの方に押し出すと、いのりはこくこくと控えめに喉を鳴らしながらカフェオレを飲み始めた。

 

「いやーそれに、実は俺、ちょうどカルシウム摂りたいって思ってたところなんだよー」


「えっ?」


「ほら、あれだ。身長伸びないからさー。いっそのこと牛乳に卵を殻ごとぶち込んで、ミキサーにでもかけて飲んでやろうと思ってたところなんだよ。だからちょうどよかった、ありがとう!」


 ニッと笑ってみせると、いのりは俺をきょとんと見つめ、やがて吹き出した。


「ぷっ、あはははは! なにそれー! 棒読みだし!」


「とまあ、凹んでるよりも笑顔でいようぜってことを言いたかったんだよ、俺は」


 失敗したことをいつまでもくよくよと悩んでても成功に近づくわけじゃないしな。

 それなら笑って次に向かって走る方がよほどいい。


「それに、言っただろ。出来るようになるまでちゃんと教えるってさ。だからスマイルスマイル」


 笑っていた方が、いのりは100倍ぐらい可愛いからな。

 好きな子の泣いている顔はなるべく見たくないもんだ。


「うんっ! ……ユキくん、ありがとっ!」


「っ……!」


 かといって、やっぱり満面の笑みっていうのも心臓に悪い。

 輝くような笑顔を目にした俺は、胸の鼓動を誤魔化すように、カフェオレをすすった。

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