彼女の独白 (いのり目線)

「お父さん、忘れものはない?」


「大丈夫だよ。少なくとも大事なものは忘れてない」


 日曜日の朝。

 お父さんと私の義母になった明莉さんが大荷物を手に、玄関に立っている。

 今日はお父さんたちが1ヶ月間出張に行ってしまう日だ。


「恭介さんなら大丈夫だろ。問題はどう考えても母さんだ」


 隣に立っている、やや中性的な顔立ちの黒髪の男の子――ユキくんが、じとっとした目で明莉さんを見る。

 

「荷物を用意したのは基本私じゃなくてあんただから、私が忘れものしたらあんたの責任ってことよね」


「責任転嫁がすぎる! 確かに荷物を準備したのは俺だけど、母さんがもう少しちゃんとしてくれればいい話だろ!」


「息子がしっかりしてると私としてはつい甘えたくなっちゃうのよね。だから私は悪くないわ」


「あんた親としてそれでいいのか!?」


 朝なのによくそんな声を張れるなって感じで、ユキくんは声を上げた。

 この数週間の間にすっかり見慣れてお馴染みになってしまったやりとりに、思わずくすりと笑みを漏らしてしまう。


「はあ……もういいわ。忘れものないならそれでいいから」


「あ、そうそう優希人」


「なんだよ?」


「必要ないと思うけど、念のためにこれ」


 ユキくんは明莉さんからなにかを手渡され、即座に床に叩き付けた。


「いらんわぁ!」


 一体なにを渡されたんだろう……?

 私は床に叩き付けられたそれを見てみようとしてみる。


「――ソォイッ!!」


「あっ!」


 私がそれを覗き込もうとした瞬間、私よりも早くユキくんが、それを蹴り飛ばして、廊下の奥の方まで滑らせた。

 な、なんだったんだろう……一瞬だったから、箱の表面に書かれた0.03って数字しか見えなかった。


「もういいから早よ行けっ! 荷物車に乗せるぞ!」


 そのやりとりを見ていたお父さんが先に外に出て行くのを追わせるように、ユキくんが明莉さんの背中を押して、外へ出た。

 私も3人に続いて歩き、お父さんたちの荷物を車に乗せるお手伝いをしていく。


「いのり、優希人君、ありがとう。それじゃ、行ってくるね」


「うん。行ってらっしゃい、お父さん、明莉さん」


「いのりちゃんと仲良くするのよ」


「分かってるって。2人とも、行ってらっしゃい」


 お父さんが運転席に、明莉さんが助手席に乗った車が、静かに動き始めて、遠ざかっていく。

 私とユキくんは車が見えなくなるまで、その場に立って見送り続けた。





「じゃ、俺も行ってくる」


「うん。行ってらっしゃい。ユキくん」


 2人で朝食の片付けを終わらせると、ユキくんもアルバイトに出かけてしまって、家には私が1人だけになってしまった。

 

「私はどうしようかな……」


 なんとなく声に出して呟きながら、ひとまずは2階にある自分の部屋に戻る。

 やることを探すように、部屋の中を見回していくと、机の上に置かれたビニール袋が目に留まった。


「そう言えば、何冊か積んじゃってるし……いい機会だから読んじゃおうかな」


 袋の中の一冊を適当に取り出して、ベッドにぽふんと腰を下ろした。

 包みの袋と帯は……まあ、読み終わってから捨てればいいよね。座ったばかりなのに立つのはちょっと面倒くさいから。

 

 私はベッドの枕が置かれた方のちょっとした収納になっている部分を背もたれに、本の世界にやがて没頭し始めた。





「――ふぅ」


 やっと読み終わった。

 私は本をそっと閉じて、息をつくと、軽く伸びをして、傍に置かれたスマホを手に取って時間を確認。


「4時間、か」


 読書としては長くもなく短くもない時間だよね。

 独りごちながら、閉じたばかりの本の表紙をそっと撫でる。


 1人の少女が泣き笑いの表情をしているのが繊細に描かれた、恋愛小説。

 外した帯は少々大げさに見えなくもない言葉で飾られていた。


「……恋愛、かぁ」


 世界中にありふれたその言葉を口にするだけで、私の心にはもやっとしたものが飛来してきてしまった。

 

 実のところ……私は恋愛というものがよく分からない。

 もちろん、言葉では分かってるんだけど……言ってしまえば――


 私がこうなってしまったのには明確な理由が存在している。

 

「…………お母さん」


 ぽつりと呟いた、私がこうなってしまった原因。

 

 私を産んだ、実の母は……私が9歳の頃に、お父さん以外の別の男の人を好きになって、家を出て行ってしまった。


 その時から、私は人を恋愛的に好きになるということを疑問に思ってしまっている。

 幼い時の私は、幼心ながらに、結婚式で永遠の愛を誓いあって、大勢の人に祝福されたのに、別のことを好きになってしまったお母さんに違和感を覚えてしまった。


 もちろん今の私みたいにハッキリと考えたわけじゃないんだけど。

 とにかく、私はお母さんが浮気をして出て行く姿を間近で見てしまっているわけで……そこから未だに私の中で違和感は残ってしまっている。


 仮に自分が誰かを好きになって、付き合って、結婚もしたとして……もし自分か相手が別の人を好きになってしまったとしたら、どうするんだろ? どうすればいいんだろ?


 好きって気持ちは、永遠の愛を誓ったとしても簡単に動いてしまうものなのに、ずっと誰か1人だけを好きでい続けるなんて無理なんじゃないかな?


 ましてや私は浮気をして出て行ってしまった、あのお母さんの血を継いでる。

 

 ――自分が人を一途に想い続けられる自信なんて全くない。


 ――誰かから一途に想われ続ける自信が持てない。


 成長していくにつれ、物事をちゃんと考えられるようになって、幼い頃に感じた違和感は今となってはしっかりと言葉に変わってしまって……。

 

 そんなことばかり考えていた私は……いつの間にか恋愛的に人を好きになるということが出来なくなってしまった。


 実のところ、最初にユキくんを振ってしまったのはこのことも関わってる。

 ……あの時ユキくんに言った突然言われて、というのも嘘じゃないんだけどね。


「……いつか、分かる日が来るのかな」


 呟いたところで、答えなんて出る気配もみせない後ろ暗い考えを、私は今日も抱え続けてしまっている。

 

「あ、そろそろユキくんが帰ってくる時間だ」


 無理矢理思考を中断した私は、冷たい飲み物でも準備しておこうと、リビングに向かうのだった。

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