バイト先
「……はぁ」
家から逃げるようにバイト先に着いた俺は、制服を身に纏い、スタッフルームでため息をついていた。
「どったの早瀬ー、ため息なんてついて」
「おー……実はなー……」
俺の様子を見た湊が近づいてきた。
机に突っ伏したまま、さっき家であった出来事について湊に説明していく。
「へぇー、いのりちゃんと2人暮らし!」
「ああ、ほんと突然決まったっていうのに、母さんのせいで始まる前から気まずくなってんだよ。マジでどうすればいいと思う?」
「うーん、時間が解決してくれると思うけど、ちゃんとしっかり謝ることが大事なんじゃないの? わざとじゃないのはいのりちゃんも分かってると思うし」
やっぱそうだよなぁ……。
おし、今日デザートを手土産用に取り置きしておいてもらって、それを材料にきちんと謝罪しよう。
湊の意見に頷きながら、考えをまとめた。
「お、その顔はもう大丈夫そうだね」
「ああ、どうなるかは分からんけどな。助かった」
「ふふんっ、晴花ちゃんにもっと感謝しろぉ!」
「いやマジでお前に相談して気が楽になった。ほんと、ありがとな」
「お、おう……自分で言っておいてなんだけど、照れなくそこまでストレートに言われるとなんかこっちが照れるな」
湊は言葉通り、照れたように視線をふいっと逸らし、頬を指で軽く掻いていた。
自分で感謝しろって言っておいて、変な奴だな。
「うぃーっす……ってなんだ湊、顔赤くね?」
「だぁーっもううるさい見るな指摘するな! 別になんでもないから!」
制服に着替えてスタッフルームに入ってきた玲央に様子を指摘された湊はうがーっと叫び声を上げた。
「おい、なんかラブコメの匂いがするんだが」
「気のせいだろ。鼻腐ってんじゃねえの?」
「はんっ、お前じゃあるまいし」
「「……っ!」」
お互いにネクタイを掴み合い至近距離でガンをくれ合う。
こいつには一度骨の髄まで教えておいた方がよさそうだ。どっちが上なのかということを。
「お前ら店で騒ぐんじゃねえ! 減給するぞ!」
玲央と取っ組み合っていると、店長が注意をしながら、スタッフルームに入ってきた。
「違うんですよ店長、こいつがお宅の娘さんとラブコメしてた気配が――」
「――おうこらいい度胸だな早瀬ェ……!」
「店長落ち着いてください。包丁は首に添えたらダメなものなんです」
減給もそうだが、物理的に首が飛ぶような展開はNGでお願いしたい。
息を荒く吐き出す店長を刺激しないようにしながらどうにか距離を取った。
「もーっお父さんそういうのやめろって何度も言ってるでしょ?」
「しかし晴花! 父さんには晴花が産まれた時から世の野郎どもから晴花を守るという大事な指名があるんだ! 邪魔をしてくれるな!」
「うん正直うっとうしいしキモい」
「うっと……キモ……!?」
娘から言われたくないセリフトップ5にランクインするであろう言葉をはかれた店長が、膝から崩れ落ちた。
「あれ店長息してるか?」
「五分五分ってところだな。まあいつものことだし大丈夫だろ」
「そうだな。最悪俺たちで蘇生すればいいしな」
この店ちゃんとAED設置されてるし。なにも問題はない。
「あたしの付き合いはあたしが決めるって何度も言ってるんだけどね」
「まあ、父親として娘を心配するっていうのはよく分かるんだがな。オレの場合、妹がいるし」
「あれはいきすぎ。娘として言わせてもらえば、もうちょっと適切な距離を保ってほしい。いつまでも小さい子供じゃないんだから」
湊は床に蹲る店長を一瞥し、鼻を鳴らした。
「なんか早瀬も雨梶も子供が女の子だったらああなりそうだよね」
「「否定は出来ん」」
恐らく店長のようにキモいと言われて床に沈むまでがワンセット。
娘を持った世の中の父親の悲しき性だな。
「あ、やばっ。開店時間じゃん! 早瀬、雨梶、行くよー」
時計を仰ぎ見た湊が俺と玲央の背をポンッと叩き、スタッフルームから表に姿を消した。
「――娘に、触るなァッ!」
「やべえバーサーカーが蘇生したァ!?」
そもそも俺たちが触ったんじゃなくて湊から触れてきたんですけど!?
なんて言い訳は恐らく今の店長には通用しない。というか日本語が通じるかも怪しい。
「店長落ち着いてください! もうお客が入ってきます! ……おいやべえぞ優希人! 店長目がマジだ! あの目はオレたちをここで確実に仕留める気だ!」
「分かってる! 仕事が回らなくなるし気絶させるのはマズいよな! でも気絶させずにあれをどうやって抑える!?」
包丁を手に、ゆらゆらと揺れている店長を目前に、俺たちはいつ飛びかかられても対応出来るようにしながら、口早に言葉を交わす。
「ムスメニ……サワル……ナァ……!」
「おおおおおマズいマズいマズい! 言語能力を失いかけてやがる!」
「クソッ、こうなりゃオレたちも手段を選んでられないか……! 念のためスタンガン装備しとくぞ」
こくりと頷き合い、もはや人の形を成していないような容貌に変わってしまった店長を見据える。
――来るっ!
空気の張り詰め方が変化し、店長だったものが襲いかかってくる気配を察知した俺たちは回避のために足に力を込めると、
「あなた? もう開店時間ですよ? あら?」
緊張感が膨れ上がって最高潮に達した空間に似合わないのんびりとした声が響いた。
俺と玲央は揃って声の方に視線を向け、戦いの終息を悟り、身体から力を抜く。
「早瀬くんも雨梶くんも、晴花が遅いって文句を言っていましたよ」
「「は、はいっ! 今すぐ仕事を開始します!」」
俺と玲央が2人揃って背筋をピンと伸ばして、鍛えられた軍隊のように統率の取れた動きで敬礼したのを見て、店長の奥さんは満足そうにくすりと笑った。
「さて、それであなたはなにをしているのですか? お客様を待たせて、あまつさえ大切な従業員に手を上げようとするなんて」
「ヒッ!? ち、違うんだ! 俺はただ、晴花の身の安全を守ろうとしてだな!?」
バーサーカー状態だった店長も、奥さんの冷ややかな圧を込められた声によって即座に正気を取り戻したようだ。
「お、おいお前ら! 助けてくれ!」
店長が助けを求めて俺たちを見る。
俺と玲央は顔を見合わせ、
「さ。行こうぜ優希人。仕事の時間だ」
「そうだな玲央。あまりお客さんを待たせるもんじゃないしな」
躊躇なく見捨てることを選んだ。
「お、お前らァ!? ……ヒッ、わ、悪かった! 許してくれぇぇええええええ! ぎゃあああああああ!」
店長の叫び声を背後から聞きながら、俺たちはスタッフルームをあとにした。
どうか強く生きてくれ、店長。
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