話が決まったあとで、部屋での一幕
1ヶ月程度の2人暮らしが決まってしまった。
あまりにも突然のことで、ぼうっとしながらベッドにうつ伏せに倒れ込んだ俺は――
「うぐぉぉぉおおおおおおおおおおっ!?」
枕に顔をくっつけて声が漏れないように全力で叫んでいた。
恭介さんと母さんにはちゃんとするって言ったけど、ほんとにこれでいいのか!?
好きな子と、2人暮らしだぞ!? え、マジで!? え!?
抑えられぬ興奮でベッドの上をひとしきりドタンバタンと暴れ回って、ようやくパタリと動きを止めた。
その瞬間を見計らったように、部屋の扉がノックされる音が響く。
「ユキくん、今ちょっと大丈夫?」
「い、いのり!? だ、だいじょう……いや、ちょっと待ってくれ!」
部屋に招き入れる前に、やっておかないといけないことがある。
俺はベッドから飛び起きて、机の上に置いてあった消臭スプレーを手に取り、自身も浴びる勢いで部屋中に撒き散らし始めた。
おし、ひとまずこれでいいか……!
「悪い待たせた、入っていいぞ!」
「お邪魔しまー……運動でもしてたの? 汗だくだけど」
「まあ、ちょっとな」
激しく動きすぎたかもしれない。
汗がだらだら出てきやがる。
窓を開けたいところだが、今は動きたくない。
「ってなんかこの部屋消臭スプレー臭いよ!?」
「気にしないでくれ。それよりなにか用があったんだろ?」
「う、うん……お風呂空いたよって言いにきたのと、あとはさっきの2人暮らしの件についての話をしようと思って」
いのりのふわふわとしたセミロングは湿っていて、風呂上がりにそのまま俺の部屋に寄ったという容貌だった。
「とりあえずどっか適当な所に座ってくれ」
「うん、分かった」
いのりはとてとてと部屋の中を歩き、俺の座っている位置から近いベッドを背にするようにぺたんと腰を下ろした。
俺の傍を通りがかった際に、ふわり、ととてつもなくいい匂いが俺の理性をくすぐっていったということを、ここに記しておこう。
この匂いだけで俺は飯が食える。むしろ白米をおかずに匂いを食べるまである。最高にキモい。
「……ほらクッション」
「あ、ありがと」
「で、だ。2人暮らしの話だよな。髪まだ乾かしてないみたいだし、本格的な話は後日でいいか。今日は軽い話だけで済ませようぜ」
「私は別に大丈夫だよ?」
「風邪ひいたらどうすんだ。いのりがよくても俺が認められません」
「はーい。えへへ、なんかユキくんお兄ちゃんみたい」
お、お兄ちゃん……だと……!?
くっ、もう100回ほど言ってほしいところだが、長話はさせないと誓ったばかり……! ここは心を鬼にして我慢することにしよう。
「か、からかうなって。いいから話進めるぞ」
「はーい。やっぱりお兄ちゃんだ」
ッシャア2回目ェ!
俺は表面に出さないように気を付けつつ、心の中で盛大にガッツポーズをしながら、口を開く。
「けど話す内容って大体家事の分担とかルールとかの話になるだろうし、確実に長話になるから、これと言って話すこともないんだよな」
「そう言えばそうだね」
「あまりに急に決まったせいでまだ地に足がついてない感じがする」
「それそれ。私も同じ感じ。だからユキくんとちゃんとお話しておきたいって思ったのかも」
地に足をつけてない感じがしていたのに興奮でベッドの上で暴れ回っていたことは墓場まで持っていこう。
「にしても明日から準備して、日曜の朝には出るって随分急な話だよな」
本来の出張の日より1週間ぐらい早く前入りして、恭介さんと母さんはのんびり旅行記分でも味わうつもりらしい。
いくら俺たちを信用してるからって、人の気持ちも知らずにのんきなもんだ。
俺はこれからの1ヶ月、理性が飛ばないようにするために般若心経でも覚えようかと考えているぐらいなのに。
「でも私、ちょっと楽しみなんだ」
「え?」
楽しみって……まさか俺と2人で暮らすのが!? もしそうなら今すぐ結婚申し込んで2人で暮らしていく未来を確約させたいところ!
「今までずっと親と一緒に暮らしてたから。たった1ヶ月でも子供だけで生活出来るんだよ? だからわくわくしちゃってるんだ」
あ、はい。もちろん違いますよねそうですよね。
「あ、もちろんさっきの迷惑をかけすぎるんじゃないかってこともあるし、楽しみなだけじゃなくて不安も結構あるんだけどね」
「まあ、あんまり肩肘張りすぎてると疲れるし、緊張してると失敗しやすくなるからな。考えすぎないようにしようぜ」
「うん。よろしくね」
「ああ、こちらこそ」
お互いに頭を下げ合ったのがどうにもおかしくて、俺たちはどちらともなく相好を崩した。
「というか悪い。長話をさせないって言っておきながら、結局結構長話になった」
「ううん。緊張とか不安とかほぐれた気がするし、ユキくんと話せてよかったよ」
いのりは立ち上がり、外に出るべく扉に向かって歩いていく。
俺はその背を座ったまま見送る。
「おやすみ、ユキくん」
扉の前で立ち止まったいのりが、こっちを振り返り、そう口にした。
「ああ、おやすみ」
俺の返事を聞いて、軽く微笑んだいのりが扉を静かに閉めた。
部屋は静寂に満ちてしまい、そのせいで風呂上がりのいい匂いの残り香が気になって仕方がない。
「……さて、俺も風呂に入るか」
呟きながら、クッションを片付けようと手に取って、取り落とした。
なぜならクッションから人肌の温もりが伝わってきたから。
……よく考えれば、さっきまでここにいのりが座っていたん、だよな?
「――……だぁりゃあ!!」
汚いものを扱うという意味ではなく、俺は自分の理性を守るために窓を全開にし、換気扇を回し、残り香を吹き飛ばす作業を始めた。
クッションは明日洗濯することと、いつもより風呂を長めにとって、部屋の換気を完璧にしておくことを心に決めて、急いで部屋をあとにした。
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