震える写真

(自分にしか撮れない写真を撮ろう、決定的瞬間を)

 巻き上げレバーを親指でかけて、私は大須商店街の雑踏にレンズを向けた。

 カメラを持ち上げ、ファインダーを覗く。その瞬間、私はそこまでの興奮を一気に冷めさせる、当然の前提を思い出した。


(知らない人に許可も取らずにシャッターを切ってもいいのか?)


 スナップ写真と盗撮の違いは法的にも明白ではない。もし盗撮だと言われて通報されたら?そもそも被写体がカメラマンの存在を迷惑だと思っている写真がいい写真になるのか?フィルムは27枚しか撮れないけどここで押して良いのか?そんな不安がよぎる。

 手はレンズをフォーカスしている。カメラは雑踏に向いている。ただ、シャッターボタンにかかる人差し指だけが、押そうとする自分と躊躇う自分の狭間でどうしようもなく震えている。

“決定的瞬間”どころではない。それどころか体が動かない。


 ボスッ

「邪魔だよ」

 突っ立っていた自分は通行の邪魔になっていた。商店街の道の真ん中で立っていたことに気づく。すいませんと会釈してカメラを鞄に隠し、私は商店街を後にした。


 しばらく歩いて、私は大須観音にやって来た。人にカメラを向けることに慣れがいるので、とりあえずは観光客がいて写真を撮っていても怪しまれない場所に行こうと思ったのだ。


 まずは普通にお参りに行く。五円を投げて縄を揺らして鈴を鳴らす。目を瞑って手を合わせ、観音様の名前を頭の中で唱え、願う。

(良い写真が撮れますように)

 建物自体も立派だが、ここには素晴らしい被写体がいるのを知っている。鳩だ。餌が売っていて、観光客が繁くそれらを買って、それにとんでもない数の鳩が群がる。彼らは人を恐れない。皿を持つ腕や肩、挙句には頭の上にも容赦なく降り立つ。観光客はたまらず皿を投げ出す。投げ出された皿と餌に鳩が集まる。地面を鳩が埋め尽くす。

 私は知らず知らずのうちに初めてシャッターを切った。最初は地面の鳩に向けて。

 カチャッ

 次は最短撮影距離を攻めて。

 カチャッ

 次は飛んでいる鳩を目掛けて。

 カチャッ

 皿を持っている子供に向けて。カメラを縦にする。

 カチャッ

 鳩につつまれた子供に向かって。

 カチャッ

 ・

 ・

 ・

 ・

 はっと気がついてフィルムカウンターを見ると26を指していた。

(やばい、後1枚しか撮れない)

 グー

(お腹すいたなあ。ん、なんか良い匂い。)

 朝ごはんも食べずに来たこともあって、私はその匂いに強く惹かれた。


 たどった先にあったのはケバブ屋さんだった。

 腹をすかせた私を察知したのか、店員の熱い呼び込みが始まる。

「そこのかわいいオネーちゃん、ケバブ食べてかない?」

「あ、はい。」

 私は注文をする。

「なんか良いカメラダネー。撮って?」

「え、あ、はい。」

 私は辿々しい動作でカメラを向ける。

「はいチーズ!」

 カチャッ

「オッケーです。」

「ありがとねー」

 チャッチャ

 巻き戻しレバーに抵抗を感じる。

(あ、これが最後の一枚なんだ。)

 食事を待つ間にフィルムを巻き戻す。ノブ式のM3はなかなか時間がかる。やがてノブを回す際の抵抗がなくなって、念には念を入れてもう10回転ぐらいさせた後、裏蓋を開いてフィルムを取り出す。

(フィルムちゃんと巻けたってことで良いのかな。)

 不安になりながらも裏蓋を閉める。撮れたフィルムと一緒に鞄にしまう。

「ふぅー」

 シャッターチャンスをめぐる緊張やきちんとフィルムの巻き上げができるかと言う不安から解放されて、少し息が漏れる。

「はいチーズ ケバブね」

 店員さんのもじった言葉に思わずにやける。


「普通のケバブじゃん」


 ケバブは普通に美味しかった。座って食べたが、炭水化物とタンパク質とをひとまとめに摂取できる点で優れている。野菜も入っているから罪悪感がない。

 すぐに現像してくれる写真店に向かう。

「これ現像お願いします。」

「プリントとデジタルデータ、どうします?」

「あー、デジタルデータだけで。」

「LINEで送る仕組みなんで、このQR読んで。」

「あっはい。」

 店員さんは慣れた手つきで注文書を書く。

「ここの番号を送って。」

 すぐさまタップする。

「送りました。」

「今からだと大体3時半ぐらいになるから。それぐらいに来て頂戴。」

「わかりました。」

「お金って」

「受け取りの時に会計しますんで」

「あ、はい」


 後払いなのは少し意外だった点だ。美容院とかと同じで、成功するまではお代をもらわない文化なんだろうか。

 そんなことを思いながら、私はしばらく大須商店街を散策することにした。中古カメラ屋を少し冷やかした後、タピオカドリンクを飲んだ。


 むせた。


 写真屋に戻ってくるとネガとデジタルデータダウンロード用のパスワードの書かれた控えを受け取った。

「ちょっと露出が高すぎる写真があったので頑張ってスキャンで戻したけど、完全にはもどらない見たいんなんで容赦してね。」

 その言葉に私は不安になる。

「そうですか。」


「まいどあり。」


 私はすぐにスマホを取り出し、パスワードを入力し、データをダウンロードした。


「なんだ、なんだこれ。」

 鳩がブレている。

 子供もブレている。

「やばい、ケバブ屋どうなってるんだ、」

 ブレていない。

「なんでや。」


 結論から言うと、自分のミスである。ネガは露出が低いところから復旧するのは難しいが、露出が高いところを低くする分にはかなり余裕がある。しかも今回はブレッソンにならってレンズの絞りを最小のf16にまで絞っていた。フィルム感度は100なので晴天下なら1/125が適正なSSだが、今日は少し曇り気味だったこともあり日向では1/60、日陰では1/30まで下げていた。しかし、大須観音まで歩く間に天気は回復し、普通に快晴になっていた。それを完全に忘れて曇りの時のままの設定で撮り続けたため、露出オーバー、ブレっぶれの写真ができてしまったのだ。

(これじゃブレッソンじゃなくてぶれっ損だよ)

 我ながら上手い。

 期待せずに残りの写真を眺めていた。

(もうこういうジャンルでいいんじゃないかな、こいつらは震える写真シリーズ、うん現代芸術っぽい)

 そんなことを思いながら、写真を確認していると、ふと指が止まる。


 その一枚は、奥へ歩き去る小さな子供とそれを避けている鳩の群れを写したものだった。

 背筋の伸びてその小さな背中に見合わない貫禄を見せる幼い少年。

 それをまるで崇めるように道を開ける鳩。

 ただのスナップ写真のはずが、なんといえばいいのか、そうだ。皇帝の凱旋のように見えたのだ。あるいは旧約聖書でモーセが海を割く一場面。


(これを、自分が撮ったのか)


 スマホを持つ左手が震えていた。右手は拳を強く握りしめた。


(自分にも撮れる。撮れた。決定的瞬間。震える一枚が。)


 私は写真店に戻って、フィルムを3本買って、そのうちの一本をM3に詰め、帰り道で撮れるかもしれない、震える一枚を想像してカウントゼロまでの空シャッターを切った。

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