最終話 これからも薬剤師として

「ここに戻って来れたということは、大日の怒りもなんとか躱せたってことか」

 陽明がにやにや笑いのままに問い掛けることに、法明は一応はと頷いた。

そう、あの後、桂花に正体をばらしてしまった始末書を書くことと報告を兼ねて、法明たちは一度天界に帰っていたのだ。今日は普通に開店すると告げられていたが、実は桂花も戻って来れなかったらどうしようと冷や冷やしたものだ。

「一応ということは、但し書きがあるんだろう。それが、ただいま過剰に反応している理由かな」

「うっ」

 陽明の指摘に、法明は見事に固まった。この人、本来の姿はかの有名な安倍晴明らしいけど、どう考えても質の悪い現代人にしか見えない。陰陽師は同じ理系だからと抱いた親近感も台無しだ。何かが間違っている気がすると、弓弦にも思ったことを陽明に対しても思ってしまった。

「ははん。なるほど。緒方さんを好きだというのは天界中にばれてしまったわけか。で、あの時と同じく馬頭観音があれこれ口添えしてくれたはいいが、ややこしくなったわけだな」

「そ、それは、篠原さんが馬頭を呼ぶからでしょ」

 どうして他の人に頼まなかったのかと、法明は恨めしそうに陽明を睨む。すると陽明が驚いたという顔をする。

「なんですか」

「まさか気づいていないのか。他に誰が協力してくれるんだよ。不動明王なんて呼ぼうものなら、問答無用でお前も俺も元の場所に戻されているぞ。遠藤の企みを潰すことも不可能になるし、お前は二度と現世にやって来れなくなる。別に俺は神社勤務でも現世と繋がっているから問題ないけど、お前はしばらくの間天界に謹慎を言い渡され、緒方さんとは二度と会えなくなっていただろうさ。それを馬頭観音を呼んだことで怒るなんて、お門違いもいいところだ」

「ぐっ」

「別にいいじゃないか。今や両想いのお嬢さんと一緒に過ごせるんだ。どんな形を要求されたかは知らないが、受け入れるのが一番だよ」

「ぐう」

 反論の余地がなくなり、法明は小さく唸って頭を抱えている。そんな思い切り言い包められる法明というのは珍しい図だが、それ以上に驚きなのが、天界における仏様の間にも人間関係のようなものがあるらしいことだ。そして薬師如来である法明に協力的なのが、あの場の空気を一切無視して話を進める馬頭観音だけだったらしい。

「で、何がどうなったんだ?」

 陽明は意地悪くにやにや笑って訊ねる。その顔を見ていると弓弦とそっくりで、二人って根本的な性格はそっくりなのかしらと思わされる。似た者同士だから普段は反発し合っているということか。

「その。今まで通りに薬局をすることは可能です。大日如来は再び現世で働く許可を出してくれました。ただし、今回は人間として生を全うすること。人間の時間軸の中で生きていくこと。それが条件となりました」

「ほう」

「それってどういうことですか」

 桂花は意味が解らないと訊いてしまう。すると法明はますますおろおろとし、陽明はにやにやと笑う。

「なるほど。大日如来様はなかなかご立腹の上に意地悪でいらっしゃる。つまり、今までのように不変とはいかなくなったというわけか。彼女に合わせて同じ時間を過ごせってことだな。その先の結果は添い遂げたら考えるというわけか」

「えっ」

 つまり、法明も年を取るということか。今までのように三十代半ばの姿を取り続けるのではなく、桂花と同じように老いていく。

「それって、人間みたいになっちゃったってこと?」

「そうだな。というわけだから、緒方さん」

「は、はい」

「立派な薬剤師になって、死後は薬師如来の嫁を名乗れるようにならないとね。そうすれば、寿命を全うした後、天界でもずっと薬師如来と一緒にいられるよ」

「――」

 さらっと放たれた言葉に、桂花は卒倒しそうだった。でも、これはずっと想像していた展開でもあって――

「あの、その、大日如来様から、あなたと一緒にいていいとの許可をいただきました。代わりに人間と同じ時を生きてみよと試練を言い渡されています。ですから僕も今後、ここで五十年くらいは薬剤師をやることになりそうです。その、添い遂げてくれとまでは言いませんから、その、時間が許す限りずっと一緒にいてくださいっ」

 そして当の法明はもうゆでだこの如く真っ赤になって、さらっと好きだということを認める発言をしていた。もはやこれは結婚の申し込みに近いのではないか。

 しかもあたふたと慌てながら本音を告白してしまうなんて、本当に薬師如来だとは思えない。そして、そんな思い切り人間らしい振る舞いをされては、嫌だと言えるはずがなかった。

「と、ともかく、嫁とか添い遂げるとかは横に置いておいて、漢方薬もばっちり扱える、一人前の薬剤師を目指します。あなたに認めてもらえるように頑張りますから、これからもよろしくお願いします」

 しかし、結婚まで含めてオッケーと即答する勇気はもちろんなく、桂花はそう宣言していた。一先ず、あなたの傍にいることが相応しい人になりたい。そう思って笑顔で答えると、パンっとどこからか派手な音が響く。

「よっ、よく言ったな」

 その音の正体は弓弦の構えていたクラッカーだった。とはいえ、開店前の薬局とあって、それは中身が飛び散らないタイプのもので、だらんっとキラキラのテープがクラッカーから伸びている。

「ゆ、弓弦」

「まあ、このくらいやらなきゃ気分も変わらねえだろ。十五年越しの恋だぜ。やっと気持ちが伝わったんじゃん。お祝いしなきゃもったいないだろ。おいっ、将ちゃん。これ片付けといて」

「はあい」

 将ちゃんは素直にクラッカーの残骸を受け取ると

「薬師様、おめでとうございます」

 と言って法明をさらに真っ赤にさせる。もちろん横にいる桂花も同じくらいに顔が赤い。

 将ちゃん、意味が解っておめでとうと言っているのだろうか。それは疑問だが、心から祝福して嬉しそうにしているのは笑顔から伝わってくる。

「ほら、篠原も用事が終わったんだったらさっさと帰れよ。お前には立派な神社が一条にあるだろ。いつまでも薬局で油を売っているんじゃねえよ」

「はいはい。別にあそこだけが俺の居場所じゃないんだけどね。それじゃあ、また怪しい気配を感じたら来るよ。道満も懲りずにすぐに動き出すだろうからね」

「来んな。二度と来んな。自力で解決しやがれ。平安から続くお前の因縁だろうが、自力で抑え込めよ。消すのが無理ならお前がずっと相手をし続けなきゃいけないんだ。観念して悟れ」

「またまた。菩薩に悟れって言われてもねえ。なんだかちぐはぐな感じがしちゃうよ。しかも俺はこれでも神様だし悟りは必要ないかな。それに同じく京都の平安を守る者同士。これからも協力関係でやっていこうよ」

「嫌だね。もう二度と協力しねえから来るな。薬局の敷居をまたぐな」

「追い出そうとしても無駄だよ。すぐに来るって。じゃあね」

 陽明はにこにこと弓弦も揶揄うと、今度こそ本当にバイバイと手を振って帰っていった。

 はあ、本当にあの人って安倍晴明なんだと、今のやり取りで納得させられる。今もなお、彼はこの京都を守っているのだ。それも陰陽師として、あの晴明神社を本拠地として、道満と戦い続けている。

「台風が去ったみたいだな」

「ええ」

 陽明がいなくなると薬局の中はいつものように静かで、四人は何だか変だとくすくすと笑い始めてしまう。ああよかった、本当にいつもどおりだ。

「さあ、始業時間ですよ。最初の患者さんがいらっしゃいます」

「はい」

 こうして将ちゃんという新たなメンバーが加わって、蓮華薬師堂は今日も開業時間を迎えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蓮華薬師堂薬局の処方箋 渋川宙 @sora-sibukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ