第36話 処方は的確に!

「そ、そうですね。ちょっと無理している感じがあります」

 法明もそれは体力を消耗するだろうと、ちょっと笑顔が引き攣っていた。まったく、それだけうろうろしていたとなると、あの黒い靄がどこからくっ付いてきたか解らないではないか。桂花は溜め息を吐いてしまう。しかもその黒い靄は、今も潤平の肩の辺りでゆらゆらとしているのだから驚きだ。

「やっぱり頭痛の原因は、張り切り過ぎたせいですかね」

「そうですね。鎌倉でもそうですけど、京都でも随分と動き回られているようですし、身体に負担が掛かっているのでしょうね。それに、古都をテーマにした絵はどれも素晴らしいですが、それだけの絵を描くにあたり、自然と肩に力が入っているのかもしれませんね。意識されていないのかもしれませんが、知らず知らずのうちに緊張しているんですよ」

 そこで法明はちょっといいですかと立ち上がると、なんと、問題のあの黒い靄がある辺りに手を振れた。その靄は法明に触れられるとさっと霧散してしまう。まるで嫌がるかのように逃げて行った靄に、桂花は目を丸くしてしまった。

 ええっと、一瞬であれを祓っちゃうって、やっぱり法明も凄い霊能者ということか。凄い漢方薬剤師であるだけでなく、凄い霊能者。もう訳が分からない。というか、あの靄はどこに行ったのやら。

「ここを押されて痛いですか」

 しかし、法明はさらっと黒い靄を祓ったことなど気づかせず、何やら背中にあるツボを押し始めた。漢方薬は当然のように東洋医学に根差したものなので、ツボを診るというのも不自然ではないが、桂花には不自然以外の何物でもない。祓ったことを誤魔化したいようにしか見えない。とはいえ、押しているのは肝兪かんゆというちゃんとしたツボだ。

 その肝兪は背中の真ん中あたりにあり、肝臓疾患や眼科疾患、胃腸系の疾患、腰痛、めまい、神経衰弱、不眠症などの症状があると刺激された時に痛みを感じるのだ。

「ああっ、痛いですね。その辺りがよく凝るんですよ。整体師にもごりごり押されて揉まれるんですよね」

「そうですか。先ほどからの聞き取りを合わせて考えると、頭痛の原因の一つに、眼精疲労が取れ切れていないというのもありますね」

 そんな診断を加えて席に戻る法明だが、その前に何も言うなとばかりに人差し指を口の前に立てて片目を瞑った。思わずドキッとしてしまうその茶目っ気たっぷりな行動からは、凄い力を持っている人のようには見えない。

「ううん。そうか、力は入っているだろうなあ。かなり高評価だったし、おかげでシリーズ化も決まったから頑張らないとって気負っているからなあ。ツイッターに上げている分も反応がいいし、その分プレッシャーも半端ないし」

 一方、潤平は肩をぐるぐると回して駄目だなあとぼやいている。本当にこいつ、ちょっとはおかしいと気づかないのか。自分が憑りつかれていたなんて、露とも疑っていない感じがする。

 桂花はそっちが気になるが、霊の存在を信じていない可能性もあるから黙っておくしかなかった。いくら彼がイラストレーターという想像力を必要とする仕事をしているとはいえ、幽霊や超常現象を信じているとは限らない。だから霊に憑りつかれたなんて発想をしない可能性だって大いにある。下手に口にしないに限るのだろう。

「診断書を確認していただくと解ると思いますけど、証に関しては実証で、体力面や抵抗力という点では問題ありません。ただ、疲れやすくなっていることから、風邪などの感冒には気を付けた方がいいでしょう。ですので、頭痛はやはり神経が過敏になっているためとの所見が書かれています。このことから、必要な漢方は黄連解毒湯おうれんげどくとうが妥当ではないかとのことです。それから私の診察をプラスしますと、リラックスできるようにするお薬である柴胡桂枝乾姜湯さいこけいしかんきょうとうと、眼精疲労から少々結膜が腫れているようですので、それを緩和するお薬の蒸眼一方じょうがんいっぽう、この二つが加える必要があると思います」

 そして法明もそう感じているのか、漢方のプロとしての所見しか述べなかった。必要な薬に関して丁寧に説明するだけに留めている。

「あっ、それとお茶ももらえると嬉しいですね。これって購入できるんでしょ」

 そして問題の潤平はというと、お茶が欲しいという要求を伝えていた。まったく呑気なものだ。しかし、誰もが言わないと決定しているものを覆すつもりはさらさらなく、桂花は再び溜め息を吐くだけにしておいた。

「もちろん販売していますよ。その場合は患者さんの体調や好みに合わせています」

「そうなんですか。じゃあ、お願いします」

「そうですね。お茶は胃腸の調子を整えるものを中心にしましょうか。交感神経が優位になって過敏になっているようですから、胃腸にもそれなりに負担がきていると思います。今はまだ大丈夫のようですが、ケアは必要ですよ。ソバ茶を中心とした処方にしておきますね」

「へえ。今から楽しみですね」

「では、待合室へ。緒方さんは薬包の準備を手伝ってください」

「はい」

「ありがとうございます」

 こうしてあっさり、本当にあっさりと法明の診察も終わってしまい、潤平は満足して待合室へと行ってしまった。しかし、桂花はそれどころではない。謎が多すぎる。法明と一緒に調剤室に入ると、聞きたいことを一気に捲くし立てていた。

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