第8話 憧れの人は・・・

 その夜。お寺の居住スペースの客間で布団に潜り込んだ桂花は、散々な一日だったなあと天井の木目を見つめながらぼやいてしまった。

 いや、そもそも不純な動機であの薬局に就職するから大変なことになっているのだが、でも、漢方に悩まされるのは仕方がないとして、どうして陰陽師が関わってくるんだか。謎である。それも法明にまで嫌われているだなんて、かなり不思議だ。

「いや、よく考えるとあの人も謎だったかなあ」

 そう言えばと、桂花は寝返りを打つ。

 薬剤師を目指したきっかけになった人。その人もよく考えたら不思議だったかもしれない。

 どうしてあんな場所に、白衣を着たままいたのだろう。仕事中に白衣を着ているのは当然だとしても、外で白衣を着たままというのはおかしい。自分が薬剤師になってみると、この点が謎だった。しかもあの当時、あの近くには薬局なんてなかったのに。

「ううん、仕事を抜け出して散歩中だったのかしら」

 その人に出会ったのは、このお寺の近くなのだが、小学生だった桂花にはとても遠くに感じた竹林の中だった。この先に何があるんだろうと、ちょっとした冒険心を起こしてずんずんと竹林を進んでしまい、いつしか迷子になってしまった時のことだ。




「大丈夫かい」

 周囲はざわざわとざわめく竹ばかり。昼間なのに薄暗い道が続き、どこからやって来たのか解らなくなってしまって、途方に暮れて桂花はその場に座り込んでしまっていた。そんな時、そう言って声を掛けてくれたのが、法明にそっくりな顔立ちの青年だった。

 白衣を着ていて、柔和な笑みを浮かべたその人に、桂花は警戒することも忘れて、迷子になったのだと躊躇うことなく打ち明けていた。どういうわけか、この人ならば信頼して大丈夫。そんな気がしたのだ。

 今思うと、その人に警戒心を抱かなかったのは、普段からお寺で嗅いでいるお香の匂い、沈香の匂いがしたからではなかったか。知っている匂いに安心したのではないかと、今ならばそう気づくこともあるが、ともかく、優しい顔立ちのその人を桂花はすぐに信用していた。

「おやおや。迷子になっちゃったんだ。それは困ったね。おうちはどこ」

「嵯峨野にある光琳寺。お祖父ちゃんのおうちなの」

 そう説明すると、青年は知っているよとにっこり笑って座り込んでいる桂花を立たせ、そして桂花の手を引いて歩き始めた。そこでほっとした桂花だったが、同時にこの人は誰だろうと初めて不安になる。

「そうだ。これをあげよう」

 じっと見つめていたら、その人は茶色の飴玉をくれた。きっとお腹が空いていると勘違いしたのだろう。実際にお腹も空いていたし喉もカラカラだったから、桂花は素直に受け取ると、その飴玉を口の中に放り込んだ。それは甘い味わいなのに何だか不思議な味がして、食べたことのない飴だった。しかもほんのり柔らかく、すぐに口の中で溶けてしまう。

「これはなんていう飴ちゃんなの」

「ああ、それはね、僕が作った飴なんだよ。だから名前はないんだ」

「そうなの。じゃあ、お兄さんはお菓子屋さんの人なの」

「ううん。お菓子屋さんじゃないんだ。そうだなあ、何て言えばいいかなあ、そうそう、薬剤師なんだよ。知ってるかい、薬剤師」

「薬局にいる人でしょ。お薬をくれる人だよね」

「そうそう。偉いねえ」

「そのくらい知ってるよ。桂花はもう五年生だよ」

 迷子になったことを棚に上げ、自分はもう大人だとばかりに桂花は主張した。すると、その人はくすくすと笑って謝ってくれた。

「ごめんごめん。そうなんだね。じゃあ、解るよね。薬剤師はお薬のプロ。僕は他にも色々と植物や自然にあるものを組み合わせて薬を作ることもしているんだ。それは元気になる植物から作った飴なんだよ」

「へえ。薬剤師さんって飴ちゃんも作れるんだ」

「そうだよ。普通の飴と違って、植物を煮て作るんだ」

「凄いねえ。私も薬剤師さんになろうかな」

 そんな会話をしながら歩いたのを覚えている。そしてその瞬間、桂花の中で薬剤師はかっこいい職業としてインプットされてしまったのだ。

 爽やかな、本当に法明そっくりの顔立ちのお兄さんが、時折飴を作る薬のプロの仕事。そんな認識が出来上がってしまった。

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