第47話 その時

今までのイライラをすべてぶちまけるように、隣の家にまで届く声で



「あんたなんか母親じゃない!」



と。



一気に怒鳴り散らすと、その後には怖いほどの沈黙が私たちを包み込んだ。



唖然として私を見つめる母親。その母親をにらみつける私。



次の瞬間、母親は小刻みに震え始めた。



「お母さん?」



両目を見開き、カタカタと震える母親に、私は眉を寄せる。



「ダメよ……そんな子じゃないわ……カルシウム……ちゃんと取らせなきゃ」



呟くように小さくそう言う。



「どうしたの?」



不安になり、一歩近づく。



すると、母親は弾かれたように台所へ向かい、冷蔵庫からパックの牛乳を持って来たのだ。



「え?」



私が眉を寄せる間もなく、「飲んで!」と叫び、私の口の中に牛乳を流し込んだのだ。



私は思わずむせ返り、口から牛乳がこぼれだす。



「もったいない事しないの! 飲みなさい!」



母親の、真っ赤に充血した目が私を離さない。



無理矢理口をこじ開けられ、大量に牛乳を流し込まれる。



牛乳が気管に入り息が出来ない、喉がつまって胸が苦しい。



しかし、母親は「飲みなさい、あなたはそんな子じゃないの……」とずっと呟いていた。



思えばその日から、母親の様子は変わって行った。



学校に顔を出さなくなって、部活も好きな事をやらせてくれる。



その変わりに毎週怪しい占い師のもとへ通わされたり、通販で色んな薬を買い、私に飲ませるようになった。



それでも、私はバレーがしたかったから文句は言わなかった。



母親が学校に来ないおかげで私の変な噂も消え、友達だって出来た。




高校卒業を間近にして、母親は私にこんな薬を飲ませるようになっていた。




「痛みを感じなくなる薬?」



いかにもうさんくさいその薬は、毎週通っている占い師から買ったものだと言う。



黄色い箱には≪傷みを快楽へ≫と書かれていて、中には真っ赤な楕円形の薬が40錠ほど入っていた。



「これを一日二回飲むのよ。あの占い師がね、ケガをするかもしれないっていうから。あなたも痛いのは嫌でしょ?」



そう言いながら、母親は微笑んだ。




笑ったその口からは黄ばんだ歯が覗いて、私は思わず顔を背けた。



もう、昔の母親の面影なんてどこにもない。



ボサボサの髪に何週間も着ている服。



化粧もとっくの前に剥げていて、唯一顔に残っているのは一部のファンデーションのみ。



「お母さん……」



いい加減、やめてよ。



そう言いたかった。けれど、私はグッとその言葉を飲み込んで「飲んでみるよ」と笑顔をつくる。



母親がここまで変わってしまったのも、私のせいなのだろうか?



あの時、怒鳴ったりしたから?



どう考えてもうさんくさい占い師、それさえ信じきってしまうなんて……。



私は、赤い薬を口の中に入れて、あふれ出す涙と一緒に飲み込んだ。



せめて、父親が迎えに来てくれれば。



そう思うが、今は母親を一人にする方がよほどこわい。



この人は一人ではダメなのだ。



とにかく、何かにしがみついて束縛していなければ生きれない、そんな人なんだ。

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