第46話 その時

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


私が幼い頃、母親の富子は一人っ子の私にいやというほど愛情を注いでいた。



買い物へ行くときも、友達と遊ぶときも、部活動だって、通学路だって、すべて母親が決めて母親がいいと思う方へ連れて行かれた。



「ごめんね、この子体が弱いからお母さんと一緒じゃなきゃダメなの」



本当はちっとも体が弱い事なんてないのに、母親はそう言って私をそばに置いていた。



小学生の頃、どうしてもお菓子を食べたくて母親の目を盗んで、一口クッキーをかじった。



けれど、それはずぐに母親にバレてしまい、私は初めて怒られた。



「どうしてお母さんのいう事を聞けないの!」



と、母親は泣きながら私を見つめてた。



それを見た私は、本当に自分が悪いことをしたのだと思い、深く反省したのを覚えてる。



「そこまで言うなら一回くらい殴ればいいじゃないか」



呆れたように父親が言って、それに対して母親は



「なんて事を言うの? 虐待じゃない!」



と叫んだ。



その一言から、「お前は異常なんだよ!」と父親がはき捨てるようにいい、夫婦喧嘩が始まった。



私はどうする事もできなくて、ただ私が一口クッキーを食べたせいでこうなったのだと、こわくて、震えて何も言えなかった。



結局、両親はそれで離婚。



私を引き取る事で散々もめていたらしいけど、母親が権利勝ち取ったのだ。



その時の母親の目は自信と優越感に満ちていて、ギラギラと光っていた。



私はその目を見た瞬間、寒気と同時にこの人に逆らってはいけない、と強く感じた。



「いつか、絶対に迎えに行くから、それまで我慢してろ」




父親が別れる時、私の耳元でそう言った。



うん。



絶対だよ。



そう返事をしたかったけど、すぐに母親が来て私たちは引き裂かれた。



その年、9歳だったから、もう10年も母親と一緒に暮らしていることになる。



ずっとずっと、父親の迎えを待ちながら、母親に逆らう事なんて考えもせずに。



この時から、私は常に母親の監視の元で生活をするようになった。



学校にいる間も母親はずっと校門の所で授業が終るのを待っていて、私が少しでも変な友達と一緒にいるようならすぐに飛んできた。



そんな事をしていたから、私はすぐにクラスからのけ者にされた。



毎日毎日学校へ行くのが辛くても、それを母親に悟られないように頑張った。



もし、そんな事が母親にバレたなら、学校中を恐怖に落としかねないからだ。



中学に上がっても、それは続いた。



私も徐々に監視される毎日に慣れてしまって、周りの子の方がおかしいのではないかと、妙な考えを持つようになった。



「バレー部に入りなさい」



ある夕食どき、突然、母親がそんなことを言い出した。



「え?」



食事をする手を止めて、私は聞き返す。



「あなた、体が小さいからバレーで背を伸ばしなさい。


そうすれば、きっと綺麗なモデルにでもなれるわ」



何も迷う事なく、母親はそう言っていた。



普通の親なら冗談で言う事だろうが、私の母親は違う。



本気で私がモデルになれると、いや、モデルくらいなれて当然と思っているのだ。



けれど、意外にも私にバレーは合っていた。



放課後、体育館の隅でこちらを見つめる母親を意識しながらも、体を動かす事で随分とストレスを取り除く事が出来たのだ。




そして、母親の思惑通りに身長も急激に伸び始めた。



成長期だったせいもあるのか、中学生で170センチを超える身長。



私は母親の思い通りの背になれたのと、自分の趣味、将来バレー選手になりたいという夢まで見つけられて、大満足だった。



だから、当然高校へ上がってもバレーは続けるつもりだった。



けれど……。



「バレーはやめて、茶道部にしなさい」



またも、夕食時の事。



「え?」



私は一瞬、いやなものを感じた。



「もう背は十分伸びたわ。



それに、無駄な筋肉までついちゃて……、だから茶道部で女らしさを磨くのよ」



母親は、そう言って筋肉のついた私の体を、まるで汚い物を見るかのように眺めた。



その時は、何も考えれないほどにショックだった。



私は、母親がバレーをしろと言われたから部活に入った。



それが自分の夢にもなって、とことん頑張ろうと思っていた。



それなのに……無駄?



目の前が真っ白になるようだった。



何も感じないまま、何の味もわからないままに夕食を食べ終えると、初めて母親に対しての怒りがふつふつとこみ上げてくるのが分かった。



悔しくて、どうしようもなくて、ついに私は怒鳴り出してしまった。

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