5.手を繋いで歩きませんか?-4

 向かった先は、離れに近い裏庭でもアルヴィドとお茶をした中庭でもなく、前庭の方だった。

 屋敷の前に広がる大きな庭は壁や木々などの遮蔽物もあるが、よその屋敷から見ようと思えば見えてしまう。常に注目の的であるエルヴィーラは気にしないかも知れないが、彼女と一緒にいる事を面白半分に覗かれるのは厭だった。

 しかし、その憂鬱はすぐに終わる。


「≪防げ≫」


 エルヴィーラが一言唱えれば、肌がピリピリする程の魔力が展開し、敷地全てを包み込んだ。

 門番や庭師たちがギョッとしてこちらを見、エルヴィーラの姿を認めるや否や何かを納得したかのように目配せをし合う。敬礼をした後、彼らは業務へと戻って行った。


「エルヴィーラ様、今の魔術は……」

「防衛と目眩まし、防音の要素を組み合わせた結界です。これで外から我々の姿は見えませんし、盗聴もされません。襲撃があっても防げます」

「はわぁ……」


 今の一節以下の呪文で、多重効果のある結界を広範囲に張れる事実が恐ろしい。

 魔導術は決まった文言を唱えれば誰にでも使える術だが、魔術は本人の才能センス独自性オリジナリティに左右される。術式を組み上げる器用さはもちろんの事、それを展開させる魔力も必須だ。術式を現象じゅつとして反映させるには、【世界】に対して「今からこう云った効果のある術を使いますよ」と宣言する必要もある。

 つまり、蝋燭に火を点けるとか、暑いからささやかな風を起こすくらいなら一節程度で足りるが、術の効果が強く広い場合、【世界】へ認めさせるために長い文言が必要となる。

 もしもランヴァルトが今エルヴィーラの張った結界と同効果の術を使おうと思ったら、術式を組み上げるのに最低一時間は掛かり、二十節以上の文言を唱えなくてはならない。そもそも一人では魔力が足りないけれど。


(アルヴィドから聞いてたけど、本当にとんでもないなぁ……)


 エルヴィーラの魔力量を始めとした戦闘能力に関しては、二通りの噂がある。

 一つは、「金儲けや開発の才能はあっても、魔力はほどほどで大して強くはない。だから大勢の護衛で周囲を固めている」と云うもの。

 もう一つは、「彼女の才能は留まる所を知らない。魔力も桁違い。戦闘能力も高く、一度暴れ出すと周囲への被害が甚大なため、護衛たちが代わりに戦うようにしている」と云うものだ。

 優勢な噂は後者の方。アルヴィドも「前者は僻みから来る希望的観測。現実は後者しかありえない」と云っていた。

 本当に、何でも出来てしまう人だ。


「さて……まずはあの婦人の話をしておく事にしましょうか」

「ベック夫人の……?」

「あの女はもうベックを名乗れません。“正当な”ベック夫人は他にいます」

「え?」

「……最初から話しましょうか。あの女――元ベック男爵家夫人スサンナは、よくも悪くも“あの時代の”貴族の女です。勉学よりもドレスの流行、学生時代は格上の令嬢の取り巻きに、夫の影を踏まず男を立てる、常に控えめで貞淑な妻であり続けた。別に悪い事ではありません。私たちの親世代と云うのは、それが当たり前だったのですから」

「そうですね……」


 フロード王国が男女差別の意識が低い傾向にあるのは事実だが、それは昔からずっとそうだったと云う訳では無い。

 男は外で戦い、女は家を守る。男は横柄に振るまい、女は黙って耐える。いわゆる男尊女卑が常識である時代の方が長かった。

 それも仕方の無い事で、男と女では体内を巡る魔力経路が異なる。男は攻撃に特化しやすく、女は守りに秀でている事が多かった。腹の中身が違うのだ、そう云う男女差はどうしても出てしまう。

 そしてこの世界には魔物という人類の天敵が存在し、国同士で争う事も多い。つまり攻撃能力の高い男に戦って貰わないと困るのだ。

 厭な話だが。女が一人に男が十人と、女が十人に男が一人では、子の増え方に顕著な差がでる。これについてランヴァルトの母は、「男はたくさん死んでも一人生き残ればいいけど、女がたくさん死ぬと国が滅ぶ」と云っていた。

 つまり男尊女卑と云う概念の裏側を見ると、「女は大人しく男を立てて気分をよくしてやるから、男は戦いに行って文句云わずに死ね」になるのだとか。怖い話になった。けれどそれは男尊女卑の真実の一つなんだろうなぁ、とランヴァルトは思う。

 男だって戦うのは怖い。怪我をすれば痛いし、死ぬのは厭だ。でも妻のため、家族のためなら仕方ない。その守るべき妻が自分に尽くし立ててくれるなら、男としてやらねばならぬ、逃げては男が廃る、となる訳だから。男側のプライドを刺激する方法を、女性側はよく分かっていると云う事なのだろう。

 怖い話になった。


「スサンナは貴方のご母堂マティルダ様の、王立学園における後輩です。マティルダ様にとっては偶然、スサンナにとっては幸運で縁が出来、学生時代は同じグループだったそうで。マティルダ様率いる派閥にお情けで入れて貰った訳ですね」

「学生時代に仲が良かったとは聞いていましたけれど……」

「仲の良かった先輩後輩なら、そこら辺に溢れていますよ。マティルダ様にとってスサンナはその他大勢、たくさんいる取り巻きの一人に過ぎませんでした。王女と子爵令嬢ですからね。対等のお友達ではありません。格差は当然ありました。けれどマティルダ様は取り巻きには優しい方で、スサンナは慈悲に満ちた気高い王女殿下に心酔していたようですから、幸せな学生生活ではあったのでしょう」


 なにか棘があるように感じた。それは本当に小さく、些細なものだったが。

 首を傾げるランヴァルトにエルヴィーラは微笑んだ。「少し、歩きましょうか」と云ってくれたので、広い前庭へ散策に乗り出す。当然、彼女をエスコートして。

 ちょっとしたデートみたいだ、と思ったが、話の内容に艶はない。


「その縁は、マティルダ様がグランフェルト家へ嫁いでも続きました。家に帰らない放蕩で碌でなし夫へ腹を立てていたマティルダ様は、気晴らしのため頻繁に茶会を開き、学生時代の“お友達”を集めては愚痴っていたのですね。その流れで貴方様とアルヴィド殿、そしてモニカ嬢は出会い、縁付いた訳です」

「……えぇ。母主催の茶会で、二人とは親しくなりました」

「夜会ではなく茶会なあたり、マティルダ様のお育ちの良さが出てて微笑ましいものです。浮気をする夫相手に自分も浮気をするのではなく女を味方につけるあたり、マティルダ様は愛嬌がおありです」

「えぇと、はい……そうですね……」


 ここで気付いた。エルヴィーラが結構イラついている事に。

 ただ、そのイラつきはランヴァルトへは注がれず、ここにいない母達へ向けられている気がした。

 一定の距離を保って後ろから付いてきている護衛双子へチラっと視線をやると、ヘイスは苦く笑って、ヴェルトは肩を竦めた。どうやら間違ってないらしい。


「あくまで私が手に入れた情報です。十年以上前の話ですから、精度も低い。それを踏まえてお聞き下さい」

「は、はい」

「その茶会でマティルダ様は、スサンナに云ったそうです。「モニカさんはとっても可愛いわね。ランヴァルトのお嫁さんに欲しいくらいだわ」、と」

「ほあっ?!」

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