42.切っ掛け


「それって……アザマル、死んじゃうかもしれないってこと?」


 ようやく絞り出されたカノウの悲痛な声に、ウミは「あァ」と頷いた。


「で、でも、その足りない栄養が入っているものなら、神岩じゃなくてもいいわけでしょ? 代わりになるもの…どうにか探せないかな?」

「そもそも栄養が、っていうのがあくまで仮説なのよ。もしかしたら、リザードマンが体内で作ってしまうなんらかの毒素を欠片が分解しているのかもしれない。魔力が絡む、もっと複雑な話なのかもしれない。そんな段階で、効く物を探すっていうのは、とても大変な作業よ」

「恐らく医学とか、そういう方面の知識が必要になるだろうけど…医学なんて修めてる人、そうそういないよね…。少なくとも自分は見た事ないな。神秘で治らないものは、もう"治らない"が普通だから」

「医者って、邪教くらいの扱いだもんね…」

「サクロ…様、に頼るのは、どうなのかなぁ?」


 ヨミチの提案に、ウミは首を振る。


「アイツはダメだ。ろくなことにならねェ予感しかしねェ」


 カノウとハレも、渋い顔で小さく頷いた。


「……となると、故郷に戻って神岩の欠片をわけてもらうのがいいのかな。ウミくんからどうにか欠片を取り出してアザーくんに分けても、結局付け焼き刃だし、ウミくんにも時間制限が課されるしで…あまり嬉しくはないよね」

「でもウミの故郷って…」

「あァ」


 紙片が、拳に強く握り込まれた。


「ま、だから、強くなるために迷宮に潜るのを決めたンだよなァ、俺は」


 ざわりと、ウミの雰囲気が変わる。中空を睨む目の中で、瞳孔が細くなる。


「強けりゃ欲しいもんが手に入る。命さえ。そうだろ? アイツらが俺にそう教えたんだぜ。それに則ってよォ、アイツが"生まれる"権利を、力で奪ってやりゃいいよな。片っ端から、連中をブッ殺してでもよォ」


 突然、ウミの中で沸き起こった強い感情に、全員が息を飲む。

 しかしウミは直後、フッと力を抜き、自嘲するような薄ら笑い浮かべた。


「でも、やめた。アザーが英雄になれってうっせーから。アイツ、故郷に夢見てってからよォ、この国で鏡集めて英雄になりゃ、故郷に帰れるって本気で信じてンだぜ。笑っちまうだろ。実際ンなの無理だ。しかもアイツ、自分は諦めて一人で残って死ぬ気でいるしな」


 くしゃりと皺のついた紙を指に挟み、ひらりと振る。


「俺は鏡を全部集める気でいる。が、国には帰らねェ。英雄になったらよォ、多少は名が売れんだろ。したら医者なんて簡単に見つかるよな。なんなら、王サマに鏡欲しけりゃアザー助けろって強請ってみっかなァ」

「ウミ…」

「それまでにアザーがやばそうだったら、ガチでハレ、俺の中から欠片取り出すのやれよ」

「本当にやりたくない…」

「やれよ」

「う……」


 大きな体を小さく縮こませたハレの背中をバシバシと叩き、ウミは立ち上がった。


「ぼちぼち行くか。こんな話しといてここで遭難全滅なんざ、笑えねェしな」


 その言葉に他の面々も立ち上がり、食事の残りを片付け、伸びをしたり体をほぐしたりし始める。

 そんな中、ハナコは一人、座り込んだままウミの横顔をジッと見つめていた。


「ねぇ。ウミは私たち人間のことが、嫌いかしら」

「ハナちゃん…?」


 突然の不穏な質問にヨミチはぎくりと顔を引きつらせる。ウミも手入れをしていた武器を下ろし、無言でハナコを振り向いた。


「ハナちゃん、会話には順序ってもんが…」

「本当に、故郷のことはいいの? このまま、同胞たちをハリボテの憎悪の中で殺し合わせておくの?」

「ハナちゃん!」

「……どういう意味だ?」


 ハナコは立ち上がると、ウミの前に立った。そしてその手を取り、無理やり引っ張って座らせると、背筋を伸ばして向かい合った。


「さっき話してくれた話で、気になったところがあるの。血が汚されたって言ったわね。それって、人間が略奪の際にリザードマンの女性を襲った可能性のことを言ってるのだと思うの。でもそんなのありえないわよ。勝手な勘違いだわ。閉じた国で、他種族と関わらずに生きてるからきっと知らないんでしょうけどね」

「……」

「血なんて、混ざるわけがないのよ。あなたたち、卵から生まれるんでしょ。人間とは子供の作られ方が違うから、そんなことあるわけがないのよ。私が考えるに…あなた達に変化が生じたのは、どうしてもそれが…"変化"が必要な状況に至っていて、その鍵を人間が持っていたから」


 ウミの瞳が細まる。

 松明の光を映して煌めく赤い瞳の中に、握れば折れてしまいそうな、細く柔い非力な人間の姿が映っている。


「砂漠に留まり、狭い国でこれからも生きていくのなら、もっと違う進化の仕方もあった。なのにあなたたちは、人に近づくことを選んだ」


 通り過ぎる"人々"が振り向く美しい容姿。それは二足のトカゲではなく、鮮やかな鱗を持つ人の姿だ。


「あなたたち、壁の外の世界に憧れたんでしょう」


 その瞬間、ウミの脳裏を砂漠の外の美しい記憶が駆け抜けた。柔らかな木漏れ日。どこまでも深い海の青。透き通る雪の冷たさ。湿った土の優しい匂い。そして、生きた人間の体温。


「……お話作りが得意だなァ」

「仮説と言うのよ」


 溢れる記憶に蓋をして、ウミは大きくため息を吐く。埃臭い迷宮の空気が鼻に匂った。

 ハナコはウミから視線をそらさない。やりづらそうにウミは再びため息を吐いて、口をつぐみ…そして、「俺もカセツを話してやる」と小さな声で呟いた。


「昔話ではよォ、人間が俺らの財産を略奪したから殺したって伝えてるけどよォ、俺ァそれだけが真実じゃねェと思ってる」


 そこまで口にし、再び逡巡する仕草を見せる。

 ウミが普段見せない表情に、エンショウとカノウは思わず顔を見合わせた。

 やがてウミは「変わらねェとな」と自身に言い聞かせるように言い、真っ直ぐにハナコを見つめ返した。


「壁の外に出て知った。俺らの国の畑と人間の作る畑、同じ形してンだわ。武器、道具、言葉。人間の文化と俺らの文化、相当似てやがる。そん中には、どう考えても砂漠じゃ生まれねェようなもんもあった。商隊の人間どもに教わったにしたって、畑の作り方なんざ一朝一夕で伝えられるようなもんじゃねェ。だろ?」


「そうね」とハナコは頷く。

 ウミは口を歪める。


「俺たちは殺した奴の肉を食う。ガキも、よそもんも。何せ、食うもんがねェからな。引き入れて、奪って、殺して、食って。…奪って、殺して、食って……」


 ふ、と短く息を吐く。そして、顔を上げた。


「……壁、壊せると思うか」

「あなたひとりじゃ無理でしょうね」


 すぱりと、言い切ったハナコは、しかし柔らかく微笑んでいる。その後ろから、エンショウが涙目で駆けてきてウミに抱きついた。


「協力するぜ! もう水くせぇよお前〜そんなん抱えて! 一人で! バカ! でもそういうとこがかっけぇんよな、ウミは! でも寂しいから少しは俺らを頼れ!」

「しっかりと話せば、アサギ様も喜んで協力してくれると思うよ。私も、もちろん協力するし!」

「リザードマンの信仰に興味があります」

「リザードマンの女の子に興味があります!」

「鏡を集めて名前を売るっていうの、かなり悪くない手段だと思うわよ。時間はかかると思うけど、少しずつ、少しずつ内と外から変えていけば…きっといつか、殺し合いのない時代が来るわ」


 心臓が跳ねる心地がした。それはかつて感じたことの無い、熱い胸の高鳴り、高揚だった。

 ウミは血肉になった、自身が殺し食らった兄弟たちを想った。


「はは…。頼りにしてるぜ」


 そう言ってウミは、歯を見せて小さく笑った。

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