41.リザードマン


 かつて、リザードマンは、二足で歩くトカゲだった。


 突き出た口と鼻。全身を覆う鮮やかな鱗。靱やかな尾に、小柄な体。

 彼らは何者も辿り着けない砂漠の真ん中で、小さな群れを作り、身を寄せあって暮らしていた。

 僅かな草、虫や蠍を食べ、昼は岩陰の上で十分に陽の光を浴び、夜は地下の巣穴で家族と共に眠る。言葉は無く、道具も用いず。

 リザードマンは二足で歩く、ただのトカゲだった。


 それから随分と時が経った。リザードマンは言葉や道具を扱うようになった。変わらず砂漠の環境はどこまでも彼らに厳しかったが、彼らは力を合わせて暮らしていた。


 更に時が過ぎた。群れは集落となっていた。ある時、遠くへ蠍狩りに出ていた若者たちが、はるか遠くに奇妙な大きな岩を見つけた。それは灼熱の太陽の元に白く光り、まるで自分たちを呼んでいるように思えた。

 今まで狩りには何度も出ていたが、あんなものは見たことがない。引き寄せられるように、若者たちは丸一日かけてその岩の元へと向かった。

 果たして、そこに広がっていたのは、美しい水を湛えた立派なオアシスだった。見守るように畔には例の輝く岩が聳え立ち、草も虫も、四つ足の動物までもがいる、豊かな土地だった。

 彼らはすぐに集落へと戻り、長老にそのことを告げた。集落の皆はその報せにたいそう喜び、オアシスへと移り住んだ。


 村は国となり、長老の息子は王となった。食べるものが豊富になると彼らは以前より強い体を持つようになり、卵から孵る子供の数も、子供から無事に大人へと育つ数も増えた。

 オアシスへと導いた不思議な岩は、リザードマンたちに信仰というものを芽生えさせた。彼らはこの岩を敬意を込めて神岩と呼び、その恵みに感謝をし、またその力をいただくよう、五つになった子供に岩の欠片を飲ませるようになった。

 その祈りは通じたのだろう。リザードマンはかつて彼らを蝕んでいた死の病を克服した。寿命も遥かに伸び、国はますます賑やかになった。


 それからまた時代が流れた。

 何者も辿り着けないその国に、ある時、人間が現れた。

 彼らは飢え、乾き、死の淵で生にしがみつく商隊の男たちだった。

 リザードマンは彼らを憐れみ、国の中へと引き入れ盛大に持て成した。人間たちは喜び、存分に寛ぎ、傷を癒し、そしてある夜、王宮に火を放った。

 宝を奪い、商人たちは夜の砂漠を逃げていく。

 怒りと悲しみに満ち満ちたリザードマンたちは、商人たちを皆殺しにした。


 それからリザードマンたちは、何者も越えられぬ高い高い壁を国の外周に築いた。男たちは戦士として付近を通る全ての他種族を殺した。


 その頃からだ。生まれるリザードマンの姿に、変化が起こり始めたのは。


 鼻の長さが短く、顔の鱗の色が薄い個体が増えた。小柄になり、頭頂部にはこれまでは無かった、毛髪のような羽が生えるようになった。


 二足で立つトカゲの姿をした老王は、白面に冠羽を生やす自身の曾孫を胸に抱きながら呟いた。


 まるで、人のようだ。


 その後も、変わった姿のリザードマンの数はどんどんと増えていき、そしてその姿も、どんどんと人間へと近くなっていった。

 人間の血で汚されたのだと。人間に呪われたのだと、リザードマンは彼らを恐れた。

 神岩に祈り、より人に近い姿に生まれた子供は巣穴へと閉じ込めるようなった。寄り付く他種族への敵意も一層に強くなり、砂は血で汚れ続けた。


 老王より二代後の王はある夜、不思議な声を聞いた。これはきっと神岩の意思に違いないと、その声に従い、とある儀式を行うことを取り決めた。

 生まれた子供の中で殺し合いをさせ、リザードマンとしてより強い一人のみが、リザードマンとして"生まれる"ことができる。そして、神岩の欠片を兄弟たちの血肉と共にその体に取り込み、祝福を受ける。そういったものだった。


「俺も、一人生まれた妹以外の、兄弟全員を殺してここにいる。迷って壁に近づいたよそもんもよォ、相当殺したな」


 感情の読めない静かな顔でこともなげにそう言うと、ウミはパンを口に放り込んだ。


「強くなきゃ、何も手に入れられねェ。生まれることすらできねェ。躊躇ってる間に死ぬ。この迷宮はよォ、儀式の洞窟と同じだよな。前に立つ奴は全員、敵だ。やられる前にやる。誰も信じちゃいけねェ」


 しんとした静寂の中、ウミはまた一つ、パンを口に放り込んだ。


「ンで、それは全部間違っている」

「は」


 沈んだ顔で手にしたビスケットを見つめていたヨミチはぽかんとした表情で顔を上げた。ウミは、くく、と喉で笑い「間抜け面」とヨミチを見た。


「強くなくても手に入るもんはあるしよォ、殺し合いなんてしなくても、生まれていいよな。儀式と違ってここにいる俺にはお前ェらがいるし、他の冒険者どもの中にも、利害で協力出来る奴だっている」


 ウミは、大きな赤い瞳を、僅かに細めた。


「俺が人を殺せるのに大層な理由はねェ。単に慣れだ。お前ェが躊躇する気持ちのがよっぽどちゃんとしてら。お前ェは"わかってる"って言った。わかってるなら、良い。のっぴきならなくなったらちゃんと殺せよ」


 そこまで言って、ウミは心底嫌そうに、大きなため息をついた。


「つか、そもそも、儀式なんざあれこれ理由をつけただけの、ただの間引きだ。死んだ子供の肉を食うのは食料難のせいだぜ。わざわざ冬に入る前に行ってるからなァ…。くだらねェんだよ、全部」

「ああ、やっぱり、そういうことなのね」


 黙って話を聞いていたハナコが頬に手を当てて頷いた。


「外敵を徹底的に排除して、安全で豊かな土地で出生率が増え、更に神岩を取り込むことで足りていなかった栄養を補い寿命も伸びて、増え続ける人口で国内は相当苦しいことになっていたんじゃないかと思ったわ」

「流石、学者サン」


 ウミは歯の間に挟まった食べカスを爪で取り、プッと息を吐いて飛ばす。


「図体でかくなって、武器持って戦うようになって、必要な飯の量はどんどん増えて。国土は広がらねェし、広げたところでオアシスの外は一面の砂だ。俺たち戦士がよそもん殺しまくるせいで貿易もクソもねェしなァ。俺が生まれた時点で、国は相当貧しかった。一回の産卵で七個くれェ卵が生まれて、その全部が育っちまったら。まァとんでもねェわけだ。言い伝えだと山のように聳えてたらしい神岩サマもよォ、俺ン時にはハレより少しあるくらいになっちまってたなァ」

「ハナちゃんが言ってた神岩を取り込むことで…栄養がどうっていうのは、どういう意味?」


 カノウが隣のハレに耳打ちをした。体を縮こませたハレは「それはね」と口を開く。頭の上に疑問符を浮かべていたエンショウとヨミチも、スっとハレの顔へと耳を寄せた。


「多分その岩は、リザードマンが、その生態の欠陥として自力で作ることの出来ないなんらかの…栄養素を含んでいるんじゃないかな。内臓に留まり、一生をかけて少しずつ少しずつ溶け出して、その栄養素を補う…」

「若ェ奴の死体からはよォ、よく欠片が出てくんだわ。けど、年取って衰弱して死んだ奴からは出てこねェ。多分、そういうことなんだろうな」


 ウミは自らの腹を一度するりと撫でた。その肉の下、内臓のどこかに神岩の欠片が入っているのだろう。


「ウミが自分の腹から取り出したい小石っていうのはそれのこと?」


 難しい顔のハレの質問に、ウミは「あァ」と頷く。


「なんで?」

「半分割って、アザーにやる」

「アザマルに?」


 予想外の返答に、ハレは眉間に寄せていた皺を更に濃くする。


「…アイツはわけあって儀式に参加してねェ。そのせいで、欠片を飲みこんでねェんだわ。元々体が異常に弱ェんだが、最近はますますやべェ。目眩だ吐き気だ、死にかけの老人共と同じこと言いやがる」


 最後のパンを手に取ると、包んでいた手拭いの中に紙片が紛れている。そこには「ちゃんと噛んで食えよ、みんなに迷惑かけないように」という一言が綺麗な字で書かれていた。


「聞いた話だとよォ、昔の、神岩を飲むようになる前のリザードマンの寿命は二十くらいだったらしいんだわ。今のリザードマンは七十くらいまで生きる」


 パンを一口齧り、モグモグと口を動かす。手遊びに、紙片を指で弄りながら。


「ンで、アザーは今年…二十になった」


 その言葉が意味するところに一同は言葉を無くし、生真面目で頑固で優しく繊細な、そのリザードマンの痩せた姿を想った。

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