26.喧嘩


 会って二度目の名前も知らない冒険者に、わざわざ地図を書いて渡してくれると言うのは、どういう心持ちなのだろうか。

 ウミ隊も鏡を集めると決めた今、同じ目標を目指すいわばライバル同士だというのに、そのお人好しっぷりは半ば狂気の域にある。

 そんな究極の善人から受け取った手書きの地図を頼りに辿り着いた先にあったのは、小さな石の扉だった。パッと見れば、少し窪んだレリーフの施されたただの壁のようにしか見えない。


「内広場の所の大きな石扉は特別だったみたいね。元々はあそこにも巨大な……魔王と呼ばれるようなモンスターの居室だったのかも。討伐されたか移動したかで空いた空間をああして利用してるんだわ」


「あの部屋に居座るサイズの生き物ってもう…なに?」と白目を剥くヨミチの隣でカノウが扉に触れる。

 すると少しの振動があった後、扉は奥にガポッと引っ込み横にスライドして開いた。


「触れた物の僅かな魔力で勝手に開くんだわ。無駄に凝ってるわね。知能の低いモンスターでも出入りできるようにしてあるのかしら」


 感心するように言うと、ハナコは扉の向こうを覗き込んだ。

 同じような暗闇が吹き溜まり、黴臭い空気が流れ込んできている。


「とりあえず、知らない場所だし迷わないよう右手の法則でいこうか」


 カノウの提案に従い、前衛後衛のそれぞれ右端に立つヨミチとハレが壁に手を着く。

 躊躇なくスタスタと歩き出したウミを先頭に、全員が、自身にとって未開拓となるゾーンへそろりと足を踏み入れた。


「あ、扉だ」


 入って少し歩いた段階で、カノウが左前方を指さした。


「こっちにもあるよ」


 ハレが後ろから、長い腕を伸ばして右の奥を指す。


「前の方、道も別れてんな…」


 エンショウが、暗闇に向かってよく見える目を懲らす。

 迷宮入口から内広場までとは違い、こちらは扉があちこちにあり、分かれ道も多く、入り組んだ構造をしているようだ。


「とりあえず今日は、扉を開けたり脇道に入ったりはしないどこうか」


 全員の脳裏に、遭難の記憶が蘇る。尋常でない迷いっぷりは妨害込みの結果ではあったが…それでもあの恐怖はなかなか消えるものでは無い。「賛成」と手が上がり、案は可決される。


「この先どんどん入り組んでいくだろうし、地図とか書いた方が良さそうだよね」

「そうだね。じゃ、頼んだよエンショウ」

「え、俺?」


 カノウからの突然の指名にエンショウは怪訝な顔をする。


「なんで俺ぇ?」

「だって盗賊じゃん」

「関係あるかそれ。登録会の講座では地図書くなんて習わなかったぜ」

「習ってないわけないよ。私はそう教わったもん。どうせ寝てたんでしょ。エンショウ、ほんと大事なとこ聞いてなかったりするよね」

「はぁ?」


 エンショウはムッと眉間に皺を寄せた。カノウも引かずに「地図を書くのは盗賊の仕事って、私は講習で教わったよ」と嘯く。


「そもそも地図の書き方なんて俺知らねぇよ」


 基本的に何事も前向きに取り組むエンショウであるが、地図を作成するという行為に限っては渋りたい理由があった。無論、カノウの物言いが癇に障ったという部分もあるが。

「知らねぇことはやれねぇよ」とわざとらしく肩を竦めるエンショウに、「それなら調べればいいでしょ」とカノウは言い返す。

 言い合いが過熱していくのを引き止めるようにハナコが「地図の書き方、色々方法はあるけど」と口を開いた。


「迷宮探索では歩数で書き込む人が多いわね。方眼紙を用意して、一マスを一歩とかって決めて、六歩歩いた地点の右にドア、そこから三歩で右に曲がり角…って具合に書き込んでいくの」

「それってつまり、一歩の幅を同じにしなきゃいけないってことだろ? 戦ってる最中とかも今何歩目まで歩いたから〜とか数えてなきゃいけないって…。普通にだりぃ。俺そういうの苦手なんだよ。…数字とか…」


 数字。

「そういえばお金の計算も苦手だもんねぇ」とヨミチがあからさまな憐れみの表情をエンショウへと向けた。

 そう。エンショウの弱点は、極度に数字に弱いことだった。金銭にしろ、歩数にしろ、数字が関わるとなると途端に頭が回らなくなってしまう。

 そもそも、学校など無い山間にある閉鎖的な村の中で爪弾きにされて育ったため、教育というものをまともに受けていない。

 そんなエンショウからすれば地図を書く、という行為が自身にとってどれほど難しく疲れる行為か想像に易かった。


「なぁ、ハレ。お前代わりに」


 エンショウがそう呼びかけて首を回した瞬間だった。

 ふと。ウミが躓くように、前へと転けた。あまりにもウミらしかぬ鈍い動作に、思わず笑いが込み上げる。

「どうしたんだよ」とニヤニヤしながら顔を覗き込もうとしたエンショウは、ウミの身体の違和感に気が付き、動きを止めた。


「やられた」


 しゃがみこんだウミの抑えた右足が、ぱっくりと裂けている。伝う血が足元に血溜まりを作り、それは見る間に広がっていく。

 ヨミチとカノウがすぐさま盾を構えてウミを左右から守るように立ち、その隙にハレがウミを抱え後ろへ引っ張り出す。


「なんだろ!? なんか…飛んでる!」


 カノウがそう呟き、手にした剣を前方でやたらに振り回す。

 しかしその先に手応えはなく、代わりに腕に決して浅くはない傷がつき、血飛沫が噴いた。


「燃やし尽くすわ」


 ウミが抜けたスペースにハナコが滑り込む。瞬く火花が暗闇に光を走らせ、宙空を素早く飛び回る植物の葉のような形をしたモンスターの影を捕える。


「しゃがんで!」


 ヨミチとカノウが慌てて伏せた瞬間、火花は空気を飲み込み爆発的に膨れ上がった。ハナコが腕を振ると、それは前方へと勢いよく射出され、全ての葉を飲み込み、消し炭へと変えると消失する。

 独特の焦げ臭い匂いと、煙。葉状の敵、ブラッディリーフが沈黙する。

 安堵するように小さく息を吐いたハナコを……ウミが背後からいきなり抱き締めた。


「ちょっと…!」


 その直後、煙の中を猛スピードで駆け抜けてきた何かがウミが突き出した剣を避け、その腕に歯を突き立てた。


「ネズミ!」


 咄嗟に振り下ろされたヨミチの棍棒が巨大ネズミの頭蓋を殴る。が、ネズミの動きは止まらず、勢いのままにヨミチの体を吹き飛ばす。


「もう一匹! 来てるぜ!」


 エンショウの警告に身構えたカノウが、更に奥から駆けてくるネズミの姿を認め、その首に狙いを定め剣を振り上げる。

 引き付け、引き付け…今!というタイミング。剣を振り下ろした。


「…あれっ!?」


 感触がない。それどころか、剣の重たささえ唐突に消えた。

 遠くで、石の地面に金属が叩きつけられた硬い音が上がる。あろう事か、流れた血で滑り剣が手からすっぽ抜け、前方へと飛んで行ってしまったのだ。


「何やってんだよ!」


 エンショウは、ヨミチに覆い被さり歯を鳴らすネズミをボウガンで狙いながら苛立った声を上げた。

 二匹目のネズミは、ウミが腕を庇いつつ振るった尾を軽々と避けると、丸腰で立ち尽くすハナコへ、鋭い黄色い歯を見せながら襲いかかった。

 ハナコは咄嗟に小さな火球を打ち出す。それはネズミの鼻面を焦がし甲高い悲鳴を上げさせることに成功するが、行動を止めるには至らない。

 ネズミの歯が、爪が、ハナコ目掛けて振りあげられる。

 エンショウは一匹目のネズミの頭を撃ち抜きながら、視線を二匹目へ向ける。

 腕を伸ばすが…どうしようもない。ハナコを突き飛ばすことも、ネズミに体当たりをすることもできない。届かない。

 その時、エンショウの背後から巨体が躍り出て長い腕を伸ばした。それは伸び絡まる汚れたネズミの背中の毛を鷲掴みにすると、もう一匹のネズミへと思い切り叩きつける。

 ハレだ。

 自分の上からネズミが退くと、ヨミチは起き上がり棍棒を二匹のネズミの頭へと力の限り振り下ろした。


 剣を拾ったカノウが戻ってきたのは、一連の戦闘が終わった後だった。


 ハレがウミの傷を治癒していて、その脇でヨミチ、ハナコの兄妹が辺りを警戒しつつ休憩をとっている。

 エンショウはネズミの前歯の根元を糸鋸で削っていて、戻ってきたカノウに気がつくとじろりと視線を向けた。


「カノウも戦士なら、戦士の仕事ちゃんとやれよな」


 カノウの丸い顔つきの中に、厳しい色が浮かぶ。


「悪かったよ。……エンショウも、盗賊なら素材集めは程々にしてちゃんと宝箱も見てよね」


 売り言葉に買い言葉である。「へぇへぇ」と小馬鹿にした返事をしつつエンショウは切り込みを入れたネズミの前歯を踵で勢いよく踏み折った。

 宝箱を探すより、何を作れるか想像しながらモンスターの体をばらす方が心躍るのは事実だった。痛いところを突かれエンショウは面白くない気持ちで宝箱探しに入る。


「ガキが。くだンねェぞ」


 治癒の済んだ脚の調子を確認しつつ、ウミが吐き捨てる。

 だが二人は聞こえないふりでもするかのように、何も答えずそれぞればらばらに座り込んだ。

 武器の手入れと、腕の手当てをし始めたカノウに背を向けるようにエンショウは宝箱を探し始める。壁に穴がないか、巣らしき物がないかと目を皿にして探していると、ネズミが飛び出してきた通路の隅にそれを見つけた。

 比較的、大きい。

 これは期待できるかもしれないと考えながら、箱の外面を眺め回す。罠のヒントが無いかと探すと蓋に空いた穴を見つけた。

 こういう時は大体、ここから尖ったものが飛び出してくるタイプが多い。つまり、毒針か石弓の矢だ。

 穴のサイズ的に…毒針か。

 エンショウは、冒険者登録会で習った、よく分かる罠外し講座の内容を思い出しながら推理をする。こんなに分かりすく設置された罠など、引っかかるはずもない。


 まぁ結局、モンスターの仕掛ける罠なんて大した事ねぇってことだな。


 鼻で笑いながらちゃっちゃと罠を外していると、不意に指先にチクリとした痛みと、痺れるような感覚がした。


「…あ?」


 見ると、指先に小さな傷ができて薄らと血が出ている。直前に触れていた場所へ目を向ければ、小さな針が仕込まれていて、その周りに円形で文字が刻まれていた。

 ……スタナー!


「どうしたの」


 未だ不機嫌そうなカノウが、宝箱の前にしゃがんだまま硬直しているエンショウに声をかける。


「…なんでもねぇよ」


 強がって見せたが、内心に広がる焦り。毒とはまた異なる、呪いや魔法に近いもの。身体を蝕み痺れさせ、行動不能に陥らせる危険なもの。

 幸い、弱いものらしく今は大したことの無い痺れであるが…ここからどこまで進行が進むか分からない。


 地上へ戻るまで隠し通せるか。


 エンショウは苦い顔をして、傷を隠すように人差し指を強く握りこんだ。

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