24.かくしてみんなは、


 ハナコは痛々しいほどに張り詰めた表情でミッシュルトを睨み、怒りを押し込めた声で、涙を封じた吐息で、言葉を吐き出した。


「私が四年かけて書き上げた論文も…! 何もかも全部盗んで…! 私からローブを奪ったのはアンタたちじゃない! アンタたちこそ返しなさいよ! 私の誇りを…!」


 ミッシュルトは、顎をあげるとその言葉を鼻で笑った。


「証拠も無いのに言い掛かりつけんなよ。困るんだよなぁ、そういう当たり屋みたいな行為」

「サヴィネズが今年に入って発表した論文! データ! 制作物! その全てが私の物よ! 恥ずかしくないの!? 人の努力を踏みにじって! 自分の実力で無い評価を得て!」

「そんなの、サヴィに直接言えばぁ?」

「アンタたちがサヴィネズを唆して手を貸してることなんて分かってるのよ!」

「おー怖い怖い。なんだそれ? 知らねぇな。僕はただ、資格もないのにローブを持って逃亡してるクソ女から学院の"誇り"を取り戻しに来ただけだぜ。お前んとこの教授があれこれ働いてくれたせいでお前、退学にこそなってないが…そんなのおかしいよなぁ? 贔屓だよな? だから僕はお前からローブを取り戻して学院に秩序を取り戻してやろうってんだよ」

「このクソ野郎…!!」


 不遜な態度を崩さないミッシュルトに、ハナコは声を荒らげる。魔力を練る。見えない魔力を、感じられない魔力を、かき集め、集め、形にする。


「お、いいのか? お前の兄ちゃん、焼き殺してやっても構わないんだぜ」


 ミッシュルトが構える炎が一際大きくなった。足元に転がる兄の体。ハナコの瞳が戸惑いに揺らめく。するとその肩を叩き、庇うようにエンショウがハナコの前に立った。


「そんなことしたら先にお前の頭に穴があくぜ。魔法って無制限に使えるわけじゃないらしいな。もうそろ限界なんじゃねぇの? 俺たちの攻撃防ぎながらヨミチくんにトドメさすなんて無理だろ」


 エンショウが、ボウガンの狙いをミッシュルトの頭に定める。ウミ、カノウもそれぞれに武器を構えた。

 静寂と、睨み合い。一触即発のひりついた空気の中、死んだように転がっていたヨミチの手が、不意に動いた。

 ボロボロの手は何かを探すように力無く宙を彷徨い、やがてミッシュルトの足首に触れるとそれを握り締める。


「おい、服が汚れるだろうが」


 ミッシュルトは舌打ちをしてその手を払おうと足を浮かすが、ヨミチの手は離れない。


「ハナちゃんがどれ程の努力をして…どんな学校に入って…そこで何を成し遂げたって……。そんなの、僕には関係ないんだ」


 うわ言のような呟きが、ヨミチの口から溢れ落ちた。


「兄貴…?」


 乱れた髪、真っ赤な顔。その中で、そっくりな黒い瞳が、じっとハナコを見つめている。


「ハナちゃんが迷宮に潜って痛い思いをしても、僕には関係ない。ハナちゃんが夢を追う過程で何か失敗したり、うまくいかないことがあっても、僕の知ったことじゃない。だって、ハナちゃんは僕とは違って、とても強くて賢くてすごい子だから。そんな子が自分でやりたいと思ったことを精一杯やってるのに、僕なんかに手出しできることは何も無いでしょ」

「何だ、急に。頭おかしくなっちまったか」


 革靴を履いたミッシュルトの足が、ヨミチの頭を蹴りつける。「やめろ」と叫んだエンショウの指がボウガンの引き金にかかった。


「でも、ハナちゃんがそういう覚悟の上で、独りで努力して自分の手で得たものをさ。寄って集って、ズルして無理やりに奪うことは……許せないよ。そんなことは、この子の兄として、とてもじゃないけど許せない」


 足首に強い痛みが走り、ミッシュルトは顔を歪ませた。恐ろしい力で足首が締め上げられている。

 慌てて引き剥がそうと足をやたらに振る。ますます強くなる痛みに魔力のコントロールを失い発現していた炎が消える。

 思わずしゃがみこみ、指で一本一本指を剥がそうとするが、腫れ上がり赤く爛れた小さな手は決してその力を緩めない。


「だから僕は妹の誇りを奪った君たちを絶対に許さないし、君たちからこの子の誇りを奪い返すと誓うよ」


 ボコッと、ミッシュルトの足首から、決定的な嫌な音がした。

 ミッシュルトが悲鳴を上げると、ようやくヨミチは手を離す。解放されたミッシュルトは這うようにして移動すると呻きながら近くの壁に寄りかかった。

 痛い、痛い。痛い痛い痛い。痛みのあまり血の気が引く。歯の根が合わない。確実に折れている。

 顔は焼かれ、足は折られた。

 こんな奴らに。こんなクソ野郎どもに!


「ほ、誇りを奪い返す? 迷宮の論文でも提出して帰り咲こうってか? 馬鹿が! お前らがどれだけ努力をしても、無駄なものは無駄なんだよ!」


 ミッシュルトは蒼白な顔に不敵な笑みを浮かべた。


「僕らはな、魔王を殺して鏡を奪い返すんだから! この功績を超えることは絶対に無理だ! どう頑張ったところでクソ女の席はもう無いんだよ!」


 勝ち誇ったようにそう叫んだ。

 その直後、ミッシュルトの寄りかかる壁、顔のすぐ横にドスンッという派手な音ともに矢が突き刺さる。

 口をパクパクとさせたミッシュルトが顔を上げると、撃ち終わったボウガンを下ろしたエンショウが腕を組み、胸を張って立っていた。




「ま、俺らは魔王もお前もぶっ倒して、鏡集めるけどな」




「そうこなくちゃ」とカノウが勢いよく挙手する。それに合わせてハレ、ウミ、ハナコも同意の腕を真っ直ぐにあげた。


「よーし可決。私たちウミ隊は鏡を目指して魔王とやらをぶっ倒しに行くよ!」

「無理に決まってるだろド素人共が!」


「おー!」といういつもの返事を遮り、ミッシュルトは食ってかかる。


「お前らみたいなクソ冒険者は魔王の情報集めるための捨て駒でしかないんだぜ! 事情を知ってるベテランたちはとっくに手を引いて他の迷宮に場を移してる! 身の程を知れ! 雑魚がしゃしゃるな! お前らみたいな脳天気なバカを見てると滑稽を通り越して怒りが湧いてくる!」

「怒りが湧いてくるのはこっちのセリフだよおかっぱバカ! 私たちの仲間を散々傷つけて! ふざけんのも大概にしなよ!」


 ズカズカと歩み寄るカノウがミッシュルトの襟首を掴んだ。勢いよく壁に叩き付けられたミッシュルトは、涙目になりながらも言い返す。


「僕にそんな口きいていいと思ってるのかよ! 僕の家は」

「家!? それがなんだ! 戸籍すら無いドワーフを舐めるなよ! 塩漬けにして樽に詰めてやろうか!?」

「生きたまま豚の餌でもいいぜ」

「カカシに括って試し斬りもいいなァ」

「迷宮のモンスターの生態観察のための餌にしたいかも」

「キチガイ共が…! おい、汚い手を離せ! 醜い顔をどけろ、ドワーフめ!」


 ミッシュルトがカノウの手からようやく逃れると、途端に大通りの方から、いつから待機していたのかマントを身につけた王国兵が数人駆けてきた。

「遅い!」と怒鳴りつけるミッシュルトの体が、兵士が広げた白い布に包まれる。


「迷宮内で会うのを楽しみにしてろよ」


 捨て台詞を吐き王国兵に囲まれ去っていくその背中に、ありったけのくたばれのジェスチャーを送ったあと、五人は深く息を吐きながら顔を見合わせた。


「家の修理代、どうしよう…」

「あっちに請求出来ねぇかな」

「…無理かな〜…」


 こうして、遭難から始まった新人パーティーが、国の秘宝を取り戻すべく迷宮の奥深くへ潜ることが今、決まったのだった。


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