7.巻き添えの命

 迷宮の中、透き通る怨嗟の声が響いた。


「ワタシの方が先にハレのこと知ってたのニ! 仲良しだったのニ! ずっと……好きだったのニ!」


 わざと逃げきれない状況を作り、後衛を巻き込んで戦闘をし、全く別の壁に右手をつけた。

 負担の大きいリザードマンに攻撃を集め、前衛を崩して……そして私は、治癒など使えない。

 嫌という程走らせ、戦闘をさせ、ボロボロにした挙句、ハレで無いことをばらす。

 戦ってる間に死んでくれたら上々だと思っていたが……結果としてカノウの阿呆面が見れたのは、良かった。あとは、殺すだけだ。


 リザードマンの指の、ざっくりと切れている傷口に思い切り齧り付く。血が吹き出し、顔中血塗れになった。怯んだ隙に手から抜け出すと、通路の奥へ一直線に飛ぶ。

 ここは、行き止まり。けれどリザードマンに捕まっている時に気がついた。この壁には、巨大な鼠が隠れている。

 石壁の下に空いた穴に腕を突っ込むと、荒い鼻息と共に長い鼻面が飛び出てきた。腕を引くと、口の端から涎を垂らし、前歯をガチガチと鳴らしながら一匹のネズミが飛び出してくる。

 カノウと同じくらいの大きさだろうか。レダタは、ネズミに背を向けると羽を動かす。

 フェアリーは、速くは飛べない。元より、逃げきれないことはわかっていた。

 だったら自分ごと、カノウの体を食い貫かせる。


「巻き添えにして、殺してやる!」


 こいつさえいなければ、ハレが迷宮へ潜ることは無い。怖い思いをすることもない。

 こいつさえ、いなければ。この女さえいなければ、私は。

 足に、生暖かい吐息を感じ、凄まじい匂いが全身を包んだ。視界の端が暗い。羽を必死で羽ばたかせるが、間に合わない。前歯が頭上に見えた。食われる。でも、一人で死んだら意味が無い。目を丸くしてレダタを見つめるカノウへ、両腕を伸ばす。

 こいつだけは。こいつだけは、巻き添えに──


「うん。……巻き添えにしてでも、生きてもらう」


 カノウの手が、大口を開けた鼠の口の中に突っ込まれた。前歯がレダタを貫く寸前、間一髪でその体を掴み、腕を引き抜く。勢いのまま、鼠はカノウに体当たりをし、カノウの小さな体は壁に叩きつけられた。

 頑丈さは流石といったところか。気を失うでもなく、すぐさまカノウは顔を上げる。見れば、既に鼠は追加の突進の構えをしていた。慌てて身を起こそうとするが、この距離では間に合わない。鼠が走り出す。カノウはレダタを懐へ抱き寄せると、庇うように鼠に背を向けた。


 ……なんで。


 刹那、暗闇を裂き二人の脇をすり抜けた赤色。直後、轟音。

 ヂィィイィッ! という猛烈な断末魔と、地面を引っ掻きのたくりまわる激しい音が続き、やがてプスプスという音を残し静かになる。


「ハナちゃん!」


 カノウの声が、真上で聞こえた。


「なかなかやるでしょう」

「ありがとう! 流石!」


 汗で湿った不快な胸元からレダタは這い出す。眼前にはチリチリと未だ燃えている黒焦げの塊があった。振り向けば、座り込んだままのハナコが、涼しい顔で手を挙げている。

 魔法使いの、炎の魔法。それによりカノウを殺しそびれた。……死にそびれた!

 レダタは目の前のカノウの顎に拳を振り上げ、逃れようとする。


「暴れないで、危ない」

「なんで助けたんだヨ! 余計なことを!」


 手足をしっちゃかめっちゃかに動かすレダタから顔を遠ざけながら、カノウは「助けた理由なら、簡単だよ」と微笑んだ。


「あなた、ハレの知り合いなんでしょ。それなら、あなたが死んでも、私が死んでも、ハレは傷つくから」

「……ハ。それなら最初から迷宮になど潜らなければいいでショ」

「それは違う。だって、迷宮に潜ったからって必ず死ぬわけじゃないし」

「オマエらみたいなザコ、すぐ死ぬに決まってる! ハレを巻き込むな!」

「まだこうして全員生きてるよ。それに、ハレだって無理やり巻き込むつもりはないよ。断られたら仕方ないって思ってたし」

「ハレは嫌って言えない子なんだ! なんて言っても、オマエらに連れてかれるに決まってる! ワタシがついてないと、あの子は……」

「ねえ、あなたまさか」

「一旦止め」


 エンショウが、カノウとレダタ両方の口を塞いだ。

 同調するようにヨミチが大きくため息をつく。


「顔も知らない男を巡って争われてるの、しんどいゆ〜。死因が仲間内の痴話喧嘩になるのはもっとしんどいゆ〜。とりあえず、その人どうするんだゆ?」


 指示を仰ぐようにヨミチが振り向くと、未だ辛そうに身をかがめていたウミは億劫げに顔を上げた。


「なんだァ」

「この後どうするかって話だよぉ」

「あァ……? ンなの、決まってんだろ」


 ドン、と壁を殴った。その音に、全員が驚いて肩を揺らした。


「右手の法則だったかァ? それが失敗したってんなら……今度ァ左手の法則でいきゃいいだろ」


 全員の頭上に、クエスチョンマークが浮かんだ。


「それはいいけど、このフェアリーはどうすんの」

「左の壁触らせとけよ。次は離すなよなァ」

「お咎めなしなんだ?」


 流石に顔を引き攣らせ聞き返すエンショウに、ウミの方も不可解そうな顔を向ける。


「そいつがハレじゃねェことなんてわかりきってたろうが。治癒使えんならなんでもいいからほっといたら、使えねェっつーからビビったけどよォ。痴話喧嘩に関しては知らねェ、そっちで解決しろ」

「え!? ウミ、これがハレじゃないって気づいてたの!?」

「気づくも何も。そいつ、女じゃねェか」


 全員の視線がレダタを捕えた。エンショウが暴れるレダタから恐る恐る眼鏡をとると、長いまつ毛に縁取られた、形のいい綺麗な丸い目が現れた。あー! と声が上がる。

「なんだヨ! 見るなヨ!」と叫び、レダタは眼鏡を奪い返すと顔を伏せてカノウの胸元へ潜り込む。


「馬鹿どもがよ」


 ウミが呆れたように言った。


 -


「女の子って聞いて確信した。あなた、レダタでしょ」


 エンショウの発案で、スカーフを解いて作った紐で腰を縛られたレダタはその端をカノウに握られたまま飛んでいる。左手は、しっかりと壁に添えられていた。


「……だったら何だヨ」


 レダタは、不貞腐れたように答える。


「ハレがよく話してくれてたんだよ。故郷にいる、世話好きで綺麗な女の子の話」

「……フーン」

「公用語、上手いね。練習したの?」

「関係ないでショ」

「なんで? 仲良くなろうよ。友達の友達だし」

「友達の友達は他人だヨ」

「他人からなっていくのが友達じゃん」

「野蛮なドワーフなんて、仲良くなりたくないネ」

「意地悪だな」


 何が面白いのか、カノウは笑う。レダタは、腹立たしげに顔を背けた。


「お前さぁ、マジで言葉足らずってレベルじゃねぇからな! 俺とカノウがクソバカアンポンタンの役立たずなのは認めるけどよ、お前も思ったこと言わねんだったら同じだからな!?」

「あァ…」

「あ〜、じゃないんだよ!」


 他種族を上回る身体能力を持つ代償か、リザードマンは代謝が悪い。そのため、長時間連続で行動を続けると動けなくなる。負傷と出血、疲労に空腹でふらふらと歩くウミを支えながら、エンショウはぶちぶちと文句を言う。


「てか別に俺もマジでハレだって信じてたわけじゃねーし。おかしいって思ってたし。はぁー。クソ恥ずい。馬鹿じゃねーの? なんだよ先祖返りって」

「あァ…」

「あ〜、じゃねーんだよ。ホウレンソウしろホウレンソウ。マジこっから出たら……待て、なんかいる」


 エンショウが全員に静止をかける。すぐ横の通路から、異様な気配を感じた。耳を澄ますと、聞いたことのない唸り声。


「次から次へと……」


 目を凝らす。ヨミチが棍棒を構え、カノウはレダタを自分の背へ隠す。四足の動物と思しき足音がして、壁の向こうから現れたのは……


「腐った……もふもふ」


 そうとしか形容しようがなかった。腐った毛玉のような、大きな動物が群れをなし、狭い通路にみっしりと詰まっていた。


「これ、最後のダッシュな」


 到底、現状戦える大きさ、数ではない。追いつかれたらもう終わりだ、という意味を込めてエンショウは皮肉げに言う。


「なんだっけか、正しく……天国か地獄?」

「ちょっと違くなぁい」

「天国あるの?」

「生きるか死ぬかみたいなこと言いたかったのかしら」

「なんにせよ、命懸けのかけっこだなァ」

「分かりやすくていいね。追いつかれたら死亡、ゴールは、出口だよ。じゃあ……走れ!」


 全員、一斉に駆けだす。背後でもふもふたちも走り出したのを感じた。

 レダタは必死で羽を動かしながら、左手で壁をなぞる。カノウが、レダタを抱えようと手を伸ばすが、避けることでそれを拒否した。

 全員が互いを支えながらぎりぎりで走っている状態だ。途中までエンショウに抱えられていたため、レダタには余力がある。

 誰も壁になんて意識が割けていない。レダタだけが、壁を追っている。指先が摩擦で痛んでも壁から手は離さない。レダタが遅れないようカノウが紐を引っ張って前へ前へと走るため、飛行のバランスをとるだけでも大変だ。

 それでも、指は離さない。


 あなたが死んでも、私が死んでも、きっとハレは傷つく。


 腹の立つことに、カノウのその言葉があまりにもストンと来てしまったのだ。

 愛する人を悲しませたいはずがない。だから、仕方がないから、私はこの女と一緒にハレの元へ帰る。

 突然、壁に触れていたはずのレダタの手が、空を切った。目の前に見えていた壁が、幻のように消え去る。


「出口だ!!」


 思わずあげた声に、全員が慌てて足を止める。


「でかしたレダタ!」


 ぽっかりと開いた四角の穴。腐臭と共に突っ込んでくる毛玉の塊を横目に、転がるように全員が外へと飛び出した。

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