8.林檎と恋バナ



 紫の空の下、ごろりと大の字に寝転がった。ちらちらと瞬く星がいつもより近くに感じる。

 額を撫ぜる涼しい風が、前広場を囲む森の木々を揺らしさわさわと優しい音を立て、汗をかいた体を心地良く冷ました。

 肺の中に溜まった迷宮の空気を全て吐き切るように、深く深く息をする。瞬きをする度に、頭の中で澱む暗闇が切り取られ、目の前の美しい平凡に霧散していく。

 徐々に湧いてくる、実感。

 戻ってきたのか。


「あー…生きてる」


 零れ落ちた言葉が全てだった。

 皆、呆けたように黙り込み、ただただ空を見上げていた。



「あれ、エンショウじゃないか」


 暫く無心で地面に転がっていると、前広場に複数張られているテントの内から一人の兵士が顔を出し、一行に気づいて声をかけてきた。


「なんだ、女の子連れて遠足でも行ってきたんか」


 テントの中でわっはっはと笑いが起きるが、こちらは笑い事ではない。


「迷宮入ったら出口見失って遭難した」


 体を起こし、唇を尖らせながらエンショウは答える。本当のことだが言葉に出すと救いようがないほどマヌケだ。他の面々もようやくのろのろと起き上がり、埃を払ったり手櫛で髪を整えたりしだす。

 寝転んだ瞬間に限界を迎えたらしいウミだけが、端で口を開けて寝息を立てていた。


「ああ、軽装で入ってくなって思ってたよ。無事出てこれて良かったな」


 兵士はテントの中から小ぶりの林檎を二つ取ると、エンショウへ放る。


「見てたのか!? 止めろよ!」


 憤慨しながらもそれを器用に受け取ると、エンショウは服の裾で林檎を拭い、手で割ろうと試みる。息を詰めて力を入れるが、割れない。逆にエンショウの指の方からみしりと嫌な音が鳴ったので、早々に諦めて無言でカノウへ渡す。

 カノウはテンポよく林檎をぱかぱかと割ると皆に手渡していき、最後にウミの口にも放り込む。ウミはむにゃむにゃと何事か寝言を言った後、眠ったまま器用に林檎を咀嚼した。


「いつもの荷物運びの仕事かと思ったんだよ。今、一層は王国兵も冒険者も入って賑やかだからな」

「はあ? 中でなんて一人も会わなかったぞ」

「そんなわけあるか。奥まで行ったか?」

「奥……奥ぅ?」


 エンショウは変な顔をして首を捻る。


「扉があったろ、たくさん。一層の奥行くとキャンプできる広場があんだよ」

「扉ぁ……?」


 言われてみれば、あったような、無かったような。レリーフのようなものが彫られている壁は確かに何回か通り過ぎざまに見た気がするが……あれが扉だったのだろうか。

 気づいたか? と、他の面々を振り返るが、全員がピンと来ない顔をしている。


「あまりにも余裕が無かったわ」


 ふぅ、とため息をついてハナコは肩を落とした。

 全くその通りで、今にして思えば出口を見失った瞬間から全員相当に冷静さを欠いていた。

 遭難したばかりの時も、誰かが通りかかるまでその場に留まるとか、目が慣れるまで待ってから入り口が消えた辺りを調べるとか、今思えばやれることはたくさんあったのに。

 モンスターに襲われ、あてどもなく逃走を開始し、そのまま彷徨を続ける……。どこまでいっても山に入って遭難死する若者と同じことをしたわけだ。

 次に山岳救助のバイトをする時はあまり若者たちを馬鹿にしないようにしようとエンショウは心に決める。


「ま、結果論にはなるけど、犠牲者無しで帰って来れたんだ。上々だよ」


 明るくそう言って、カノウはハナコの肩を抱く。

 それもまたその通りで、もし扉を開けていた場合、新しい道に入り込んで更にややこしく迷う可能性もあった。最悪、その奥のキャンプ場でタチの悪い冒険者に出会い、丸腰で殺されたり捕まったりということも無くはない。

 迷宮において、法は適用されない。それは誰もが知る大前提だ。迷宮の中では何が起きても自己責任。なぜなら人が殺されようが何が奪われようが確かめる術が無いからだ。罪が証明できないなら罰も与えられない。疑わしきは罰せずの精神は、確かに大事である。

 ちなみに、迷宮内においても一部密かに定められているルールがあり、それに抵触する案件の際は国家が抱える特殊な部隊が出動して現場を片付けるなどという都市伝説もある。

 まあそんなことは、好奇心と少しの功名心で迷宮に潜るような浅い冒険者にはきっと関係ない話だ。

 ともかく、迷宮内においては仲間を含め、身を置く全員が互いの倫理観、道徳心を信じて関わるしかない。

 ま、こうして早々に殺されかけたしな、とエンショウはレダタを横目に見る。


「というか……おい、よく見たらお前ら怪我してるじゃないか。大丈夫か? 僧侶呼ぶか?」


 不意に兵士が真剣味を帯びた声で言った。どうしたどうした、とテントの中にいた残りの兵士たちも顔を覗かせる。


「こいつら怪我してんだよ」

「あちゃー。常駐の奴、ちょうど家に戻っちゃってんだよな」

「なんか薬なかったか」

「そうだ。なあ! お前、治癒使えたよな?」


 中年の兵士がテントの奥へと声をかける。

「軽くなら」という女性の声が返ってきて、足音の後に若い人間の兵士がひょこっと顔を出した。


「軽くでいいなら治すよー。ほんと、軽くだけど」


 軽く、と言いながら狭める親指と人差し指の隙間が紙一枚あるかないかくらいなのが気になったが、とりあえずエンショウはそこには突っ込まず首を振る。


「ありがとう、でも大丈夫。治療できる奴に心当たりあるから、今から行くよ」

「そうか? 遠慮しなくていいんだぞ」

「大した距離じゃないし、みんな歩けるから大丈夫。一休みできて助かったぜ、林檎もごっそさん」


 笑顔を見せ、エンショウは立ち上がった。

 治療ができる心当たり。本当の友達で、本物の僧侶の男。


「ワタシは帰るヨ」


 カノウの膝に腰掛けていたレダタが、羽を動かしひらりと下がりながら言った。


「なんで?」


 きょとんとした顔で聞くカノウに、レダタは心底嫌そうな顔をする。


「当たり前だヨ、いつまでもオマエらといる必要もない」

「ハレに会っていけばいいのに」

「……合わせる顔が無いヨ」

「それは…」


 カノウは、困ったような笑みを浮かべて首を傾げる。


「ハレには今回のこと、何も話さないよ?」

「そういう問題じゃないんだヨ、バカドワーフ」

「私たち、気にしないのに」

「ハ? 気にしろヨ、ムカつく女だナ。そういうところだヨ」

「うーん。難しい」

「バカにはわからないヨ」

「またそんなこと言う」

「うるさい」

「…本当にハレに会わなくていいの」

「くどい。しつこい奴は嫌いだヨ」

「まったくもう……分かったよ」


 不満を表すことに慣れていない心優しいドワーフは、わざとらしく眉間にきゅっと皺を寄せてみせる。そしてそのまま、退屈そうにこちらを見ながら煙草を燻らせ始めた先程の若い女性兵士に声をかけた。


「あの、この子の治癒だけお願いしてもいいかな」


 眠そうな目をした彼女は「いいよー」と返事をするとレダタを手招く。


「このお節介女」


 レダタはキッとカノウを睨むと、ズカズカと歩いて兵士の方へ向かう。


「また今度、落ち着いたらお茶でもしよう」


 黄色の羽の揺れる小さな背中に声をかけた。

 レダタは盛大に鼻を鳴らすと、追い払うように血の滲む赤い左の手をしっしっと振った。


 -


 都市から離れた、道もない鬱蒼とした森のど真ん中にハレの家はある。

 寝ぼけ眼のウミの右手をカノウが、左手をエンショウが引き、尾をヨミチが肩に担ぐという傍目から見れば人身売買を疑われるような絵面で一行は森の中を進む。

 世話焼きな王国兵に貸してもらったランタンが、辺りをぼんやりと橙色に優しく照らしているお陰で、すっかり日が暮れて夜になっても木の根に躓くこと無く歩けている。

 暗いのに、空気が綺麗だ。うざったいほどに深く呼吸を繰り返しながらエンショウは歩く。粘度の高い迷宮の暗闇を知ってしまうと、月明かりの影で吹き溜まる闇は爽やかで心地よいものに感じられた。

 開放感のせいか、疲労も傷の痛みも忘れて、一行は賑やかに談笑しながら歩く。それこそ、兵士にからかわれたような、ピクニック気分で。


「で、結局カノウちゃんはハレさんとどんな感じなの?」


 ヨミチが、弾んだ声でカノウに訊ねた。先程からヨミチはずっと、「恋バナしようよ!」としつこく皆に振っていたのだが、対する反応があまりにも芳しくないためついにカノウにターゲットを絞って無理やり付き合わせることにしたらしい。

 だがあからさまな人選ミスにより、会話は恋バナというより質疑応答のようになっていた。

 助け舟を出すべきかとエンショウは迷ったが、今回カノウ、エンショウを筆頭に「こちら側」はそこそこやらかしてしまっているため、見逃すこととする。

 ヨミチとハナコには、できる限り機嫌良く過ごしてもらいたい。パーティーの解散を切り出されたら、もう引き止められる術がこちらには無いからだ。

 この兄妹、こちらの四人と合わせても職能のバランスが良く、昨日の冒険者大登録会で見た他の新人と比べて人格も能力もかなりまともなのだ。

 少なくとも、突然笑顔で刃物を突きつけてきたり、息をするように他人の懐から財布を盗んだり、街中に貼られた指名手配ポスターの絵に限りなく近い顔をしているということは無い。

 盗賊コースの講習で並びあった面々を思い出し、エンショウは遠い目をする。

 明らかに本業が紛れていた。あれらを柄が悪いという言葉でくくるのは厳しいものがある。やはり、「盗賊」という職能の名が悪いように思うが、ウミも戦士コースでやたらとナイフをぺろぺろと舐めている気持ち悪い男を見たと言っていたし、魔法使いコースにも教官の話すことに片っ端から意義を申し立て続けて退席させられたのがいると聞いたので、「冒険者」になろうと志す人間自体の質が推して知るべきなのかもしれない。

 もし本気で迷宮に惹かれ探索を夢見るのならば、王国軍に入隊するのが一番平和で安全だ。その手間を省き自己責任で迷宮に入ろうという連中だ。完全に自分たちを棚に上げた発言だが、やはり空気が違うなと思う。大学からの派遣で来ているらしいハナコが、王国軍付きでなく冒険者として潜るのが不思議なくらいだ。

 とにかく、もうあの珍獣猛獣だらけの中からまともな人間を探すことはしたくない。

 だからカノウよ、パーティーの未来のために頑張って彼にロマンスを提供してやってくれ。


「どんな感じって、どういうこと?」


 真面目くさった顔でカノウは聞き返す。


「ラブかなってことだよ♡」

「一緒にいすぎて今更そういうのはないかな。仲のいい友達の一人です」


 熱愛スキャンダルが疑われた酒場の歌姫が同じ言葉でファンに言い訳をしていた気がする。


「その"友達"は…そういう友達!?」

「友達にも種類があるのか?」


 さらに真剣みを帯びた顔でカノウは聞き返す。


「そりゃあるよぉ」

「そうなんだ……。よく分からないけど、幼馴染で、親友だよ。困ったことを相談し合える仲というか」

「男女の関係はないと」

「無いよ!」

「ふむ。無自覚な幼馴染ラブってやつだね。ある日急に相手を異性として意識しだしてドキッとしちゃうやつだ」


 訳知り顔でヨミチは頷く。


「幼なじみって言うなら、レダタの方がハレとは旧い付き合いだよ」

「三角関係要素もありと。ハレくんにぞっこんのレダタちゃん、そんなレダタちゃんをほっとけないカノウちゃん。なるほど、この展開だとハレくんはきっとカノウちゃんのこと好きだね、間違いない」


 何を期待しているのか、ふんふんと張り切るヨミチと反対にカノウは全くピンと来ない様子である。


「まあ、恋愛と言えば僕。僕と言えば恋愛っていうところあるじゃない? だからやっぱり、気になっちゃうよね。これから仲間になるかもしれない、モテ男の存在はさぁ…っ!」


「モテ……?」と、カノウに続いてエンショウも首を傾げる。


「レダタちゃんだっけ? 可愛かったもんねぇ。フェアリーってみんなああいう顔かたちなのかなぁ。すごいイケメンきたらどうしよう!」


「イケメン………?」と、半分寝ていたウミも目を細める。


「ま、見た目に関しては会ってみてのお楽しみかな」


 説明を諦めて、カノウは大真面目に頷いた。

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