第3話 取材開始

 着いた初日は特に何かするわけでもなく、旅行のように夕食を堪能した。

 早めの就寝で起床は六時。七時に朝食を食べ、本格的な取材に身を乗り出した。

「あまり良い天気とは言えないね」

「今日は降らないらしいですが、徐々に崩れていくらしいです」

 雲は太陽を隠している。遠くにには、灰色の雲が空を覆っていた。

「こっちに流れて来なきゃいいけどね。さあ、行こうか」

「いきなり取材に行って、怒られませんかね」

「事前に連絡を入れておいたから大丈夫。さあ、行こうか」

「…………なんです、この手は」

「え?」

 大きくて優しい手だ。流れのままに掴んでしまいそうになるが、それはダメ。アウト。僕が僕を許せなくなる。

「昨日繋げなかったからさ。今日は弾みで繋いでくれるかと思って」

「弾みってなんですか。それにここは田舎ですよ。先生が思っている以上に、田舎は男同士が手を繋いだら変な目で見られます」

「そういうものだね。仕方ない」

 先生はしぶしぶ手を引っ込め、行こうと促した。

 民宿から歩いておよそ二十分ほどにある、風が吹いたら今にも倒れそうなほど古い屋敷だ。民宿も年季が入っているが、異なる古さだ。時代錯誤というのか、江戸時代からここだけ進化していないイメージ。

 先生ほど勘は鋭くないが、直感的に何かあるとピンときた。

 建物の前には男性が立っていて、にこやかにこちらを見ては一礼する。

 口元を覆い隠すほどの真っ白な髭を束ね、癖なのか緊張なのか、ずっと顎を触れている。

「ようこそいらっしゃいました。私は村長の大村と申します。はるばると関東からおいでなすったとか。では、部屋にご案内します」

「部屋?」

「ええ、まずは大広間へどうぞ。電話ではお忙しそうでしたし、しっかりと説明をしていませんでしたから」

「先生、あの、」

 大村さんがくるりと前を見た瞬間に声をかけるが、先生は人差し指を立てた。

 人付き合いがど下手な僕が口を挟まず、彼に任せた方がいいかもしれない。

 民宿の中は綺麗だったが、この建物は見た目通りの内装だった。あまり手入れを施した跡はあるが、どちらかというとあまり手を加えたくない印象に見える。施したくても、何もできない。

「鳥居は潜れますか?」

「私は問題ありませんよ。君は?」

「僕も大丈夫です」

「だそうです」

「前に来た取材陣は、一人だけ潜りたくないと言い始めた方がおりましてね。いろんな諸事情を抱えていても、出入り口はここしかありませんから、大変困りました」

「ああ、宗教上の問題ですか。それは仕方のないことです。趣向や趣味なども他人には分かりづらいですし」

 先が見えないほど長い廊下だ。進むたびに襖があるが、それぞれ花の絵が描かれている。使用していないのか、物音すら聞こえない。

「月桂樹の花の襖です。お間違えなく」

「春に咲く花ですね。可愛らしい」

 大村さんが襖を開け、中の奇妙な光景に目を見開いた。

 座卓に蝋燭が並び、灯りはそれしかない。天井にはちゃんと灯りはあるが、つけられていなかった。

「皆さん、お客さんですよ。関東からいらした方です」

「こんにちは。数日間、お世話になります。コパーフィールドと申します。こちらは相田です」

 全員が一斉に僕らを見る。

 僕も頭を下げた。

 彼の物怖じしない態度を見習いたい。

「失礼ですが、日本語お上手なんですね。あなたのような風貌の方はこの辺ではいませんから、失礼な目を向けられるかもしれません」

「父親がアメリカ人なんですよ。見た目のギャップによく驚かれます」

「そうでしょうなあ。ここは田舎ですし、余計に注目を浴びますよ。ですが悪気があってのことではありません」

 日本人として扱おうという心意気は微塵も感じられず、毛肌の違う人種はそもそも異なる生き物だと突きつけられたようだった。

 一言何か言おうか口を開くが、それより先に先生が大いに笑う。

「それで、ここは何の集まりなんですか?」

「まず、この地に伝わる風習についてお教えしなければなりません」

 座卓の回りに集まっていた人たちは、皆一斉に火を吹き消した。

 部屋に暗闇が訪れる。僕は先生の手を掴んでいた。

 すぐに灯りがつけられるが、それでも夕方よりも暗く夜よりは明るい。

「大丈夫?」

 先生は心配そうに僕を覗き込んだ。

「大丈夫です……すみません」

 あれだけ手を繋がないと啖呵を切ったのに、結局掴んだのは僕だ。先生は手放さずに優しく包み込んでくる。

 居心地が悪くなり、すぐに離した。

「そちらの空いている席に座って下さい」

 僕らが座ったタイミングで、大村さんは口を開いた。

 この地では、黄泉と繋がる門がどこかにあり、あの世から人ならざる者がやってくると言われている。

 何百年も前、信じず奉る地蔵を踏み荒らした男がいた。くだらない迷信だと村中に言い回り、ろくに仕事もせず酒に溺れてしまった。

 男の家に、神が舞い降りた。男は飛び起き、何事だと悲鳴を上げる。

──お前が黄泉を塞がねばならん。神子となれば、やがて地に降る災いを防ぐことができよう。

 ところが、男はただの夢だとだんまりを決め込んだ。神に掴まれた右腕が赤く紋章のようなものが浮き出ていたが、誰かの悪戯だと目を背けた。

 男の回りでは、次々に人がいなくなった。まるで神隠しにあったように。

──分かっただろう。お前が黄泉を塞いでいれば、このようにはならなかった。

──十年に一度、人間を差し出すのだ。

──そして神子となれ。

「これが私どもの知っている伝承です」

「なるほど。生贄を捧げるというものですか」

「しかし、あくまで噂でありますが。そのような儀式などするはずがありません」

「失礼ですが、こちらも儀式ですか? 電気もつけずに蝋燭をこんなに立てて、私には何か恐ろしいものが起こるとしか思えません」

「これは、神の怒りを静める昔からの風習のようなものです。特によそから人がいらっしゃると、お怒りになる。空を見たでしょう? 雷様もお怒りに」

「はあ」

「とはいえ、辺鄙な村に来て頂き感謝しかありません。観光事業に力を入れていかねばならないと思っていんですよ。道も悪いし自慢できるものがない」

「料理はとても美味しかったですよ。東京にいると、なかなか食べられないものばかりでした」

 会話を先生任せにするのはどうかと思い、口を挟んだ。

 大村さんは嬉しそうに笑い、

「そう言ってもらえますと救われます。食事を売りにするのもいいかもしれせんね」

「ちょっと話を変えますが、この屋敷はどなたか住んでいるのですか?」

「昔は住んでいましたが……今は博物館や図書館が一緒になっている建物なんですよ。離れには私と家族が住んでいますが、建物内をうろうろするだけでは会うことはありませんのでお気なさらず」

 先生は顎に指を当て、まさしく考える人だ。彼の癖。へらへらしている普段とは違い、真剣な顔つきは二枚目だ。へらへらしていても二枚目だけれど。

 大村さんはお茶まて出してくれ、こちらの話をいろいろ聞きたがった。

 専ら対応するのは先生であり、僕は横で食感の面白いお菓子を頬張る。ゴマとクルミの味がする。なんていうお菓子だろう。異様な空気の中では、ほのかな甘さに救われた。

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