監獄の穴と蜜愛の迷宮

不来方しい

第1話 小説家と担当者

 しつこいほど鳴らし、何度も響くコール音にみしっと受話器が軋んだ。そろそろ僕のせいで壊れるんじゃないかと思うほど、最近は持つだけでぎしぎし鳴る。

 上司が憐れみの眼差しで見つめてくるのをしかと受け止め、電話を切った。

「行ってきます」

「頑張れ」

 同情もいらない。これが仕事だ。そう言い聞かせないとやっていけない。

 車を走らせ、外ではメイド服を着た女性と何人もすれ違う。

 職場の出版会社は秋葉原のど真ん中にあり、初めて来たときは驚愕しすぎて声を失った。未知の世界で、きさらぎ駅のように混沌の世界へ迷い込んだのかと思ったくらいだ。

 秋葉原から僕の担当する小説家の先生がいる家までは、十五分ほどで着く。秋葉原と上野は近い。ちなみに僕の家も上野。上野は住みやすいと話したところ、なぜか彼は引っ越ししてきた。普通、仕事の関係者と同じ場所に住むのは嫌なんじゃないかと思うが、変わり者の彼の考えることだ。よく分からない。

 高級マンションの最上階でインターホンを鳴らすと、眠そうな声をした男性が出てきた。前髪がリオのカーニバルに出演する踊り子みたいな頭になっている。

「先生、おはようございます。午後ですけど」

「やあ、千夏。中に入って。今日はパエリヤを作ったんだ。食べるかい?」

「仕事中です。本名は止めて下さい。原稿の調子はいかがですか?」

「もう終わったよ」

「データを早く下さい」

「君が中に入って一緒にパエリヤを食べてくれるなら渡すよ」

 ああ言えばこう言う。

 クリス・Oをペンネームとして活動する先生は、超がつくほど売れっ子だ。映像化もしたり、容姿の美しさもあってか女性ファンが多い。見た目と性格の不一致という面白さもあり、男性ファンも多い。つまり、男女問わず人気だ。

 そして、本名はクリストファー・コパーフィールド。アメリカと日本人のハーフだ。

「相田千夏君。さあどうぞ」

「……おじゃまします」

 恭しく一礼するものだから、仕方なく中へ入った。

「今日のパエリヤは最高のできだよ。なんと、エビも入ってる。エビ好きだろ?」

「ええ、好きですよ。なんで知ってるんです?」

「中学の給食で、いつもエビフライを最後に食べていたじゃないか」

「……よく覚えていますね」

「記憶力がいいからね。さすが小説家だろう?」

 小説家はあまり関係がないと思うが、とりあえず頷いておいた。

 実は、中学生のときの同級生だったりする。まさかこんな形で出会うとは、夢にも思わなかった。過去の僕を知る人物。だからこそもあるが、それ以外の理由でも彼とはやりづらい。変えてほしいのに、僕が担当になってから原稿の進みが早いからと半年以上希望は通っていない。

 本当に、やりづらい。

「パエリヤを食べるんじゃなかったんですか?」

「え? 君は食べるよ?」

「なぜあなたはカップ麺を出しているんですか」

「だって、カップ麺の方が美味しいじゃないか。さあ早く席について」

 僕にはパエリヤとコンソメスープ。彼はチーズとパクチーを乗せたアレンジカップ麺。

 正直、店で食べるものと遜色がないくらいに彼の料理の腕前は一流だ。なのに、好きな食べ物は『カップ麺』。ファンも承知で、よく手紙とカップ麺が送られてくる。どちらかというと、カップ麺が主役のように。

「顔色がよくないね。ちゃんと食べてる?」

「……食欲がなくて、朝も昼もあまり食べなかったんです。助かります」

「いえいえ。お代わりあるからね。冷製スープにしてよかったよ」

 心なしかエビが多い。それに冷製スープはよく冷えていて、するする喉を通っていく。美味しすぎる。

 冷製スープをお代わりして、肝心の仕事に気づいた。

「そうだ原稿!」

「送ったよ。パソコン見て」

「いつですか?」

「ご飯食べる前にトイレに行っただろう? そのときに。こうでもしないと君は一緒にご飯食べてくれないから」

 口を開いたとき、ずらずらと言い訳を述べられる。口を閉じるしかない。

「ありがとうございます。では次もよろしくお願いします」

「あのさ、次の小説の相談なんだけど」

「なんでしょう」

「日本の風習や因習を元にしたものを書きたいと思うんだ」

「珍しいですね。初めてじゃないですか」

「そうそう。お互い相思相愛だけど両片想いなふたりが、とある集落の風習を調べにいって事件に巻き込まれ、吊り橋効果でハッピーエンドを迎えるって話」

「いやに現実的ですね。因習って話ですが、どんなものを?」

「ちょっと行ってみたいところがあるんだ。取材についてきてもらえないかな」

「上司に掛け合ってみますが……場所はどこです?」

「東北。ずんだ餅とか、アップルパイとか楽しみだねえ」

「アップルパイ? 東北で有名なところってありましたっけ?」

「青森が有名じゃないか」

「リンゴですね。アップルパイは、有名かどうか分かりませんけど。東北のどこへ取材しに行くんですか?」

「岩手」

「……………………」

「あ、その顔はあれだね? 僕をバカにしているね? ちょっとした冗談だよ。岩手の有名なものってアイスクリームだってことくらい知ってるんだから」

「アイスクリーム?」

「ぜひ君にも食べてもらいたいね。今度ネット注文しておこう」

「分かりました」

「お、食べてくれるのかい? 嬉しいなあ」

「あ、いえ、そちらではなく、岩手に取材しに行くことです」

 大きな耳が垂れ下がるのが見える。

 可哀想だが、ここで気を緩めてしまうとろくなことがない。主に自分自身にだ。拳を作り、僕はお疲れ様でしたとだけ伝え、マンションを後にした。


 久しぶりに過去の夢を見た。何年ぶりになるか、あれは中学生の頃だ。

 親の都合で引っ越しをしてうちのクラスにやってきたのは、風貌がアメリカ人よりの日本人だった。

 金髪碧眼に肩まで伸びた髪に、早々担任から髪を切れと忠告を受けた彼は、すぐにクラスの人気者になった。

 ちょっと変わり者で、誰にでも優しくて、さらに嫌みのないハンサム。僕は、とても苦手だった。できるだけ近づかないようにしていた。

 スクールカーストと呼ばれるものが僕の通った中学校にもあり、僕は下の下だった。彼は当然上位。対照的すぎて僕は見向きもしなかった。

 本好きが相まって出版会社に勤めることになり、担当になった小説家の先生が変わり者だと聞いて、ペンネームを聞いても、まさか彼だとは微塵も思わなかった。そもそも、当時の彼と小説家なんて結びつきもしない。どちらかというおモデルやスポーツ選手のようなイメージだ。体育で活躍していた彼は、バスケットボール選手なんかが似合うと勝手に思っていた。

「……やめよう」

 ただの夢だ。あの頃は終わった。忘れたい。忘れたかった。夢を見るほど、僕の傷は深い。

 朝食を発掘しようと冷蔵庫を開けると、昨日無理やり持たされた残りのパエリヤがあった。それを温め、インスタントのみそ汁で朝食の完成だ。

 いつもより豪華な食事にヨーグルトもつけ、洗濯物を取り込んだ。

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