相逆に叱る仲

 ホームルームが終わって、教師が教室を出て行く。

 放課後を手にした学生達は、三々五々に部活へ帰宅へと散って行き、仲良し同士はそこに別れの挨拶や雑談も差し挟んでいた。


 実景みかげは、前の席に座るクラスメイトが立ち上がる音に反射で顔を上げて、でも声をかけることもできずに離れる背中を見送る。


 そのクラスメイトが教室を出て行くまで視線を外せずにいて、それから鞄に教科書を詰め始めた。


「なんなんですのー! 黙って見てれば、本気で友達作る気あるんですのー!」


 バン、と奇乃あやのが手をついた実景の机が、ぴしりと罅縁ひびえが入った音を立てた。


 実景は呆然と、突如として目の前に現れた奇乃に目を丸くしている。


「あやちゃん……? え、幻覚?」

「だーれがイマジナリーフレンドですの。実物でしてよ」


 自分の孤独が幻影を生み出したと勘違いする実景に、奇乃はふん、と鼻を鳴らして平らかな胸を張った。


 ちなみに、目の前の奇乃が実景の幻覚でない証拠はもう一つ、ざわめくクラスメイト達も存在していた。


「え、なに。だれ?」

「え、生えた? いま、生えたよね、あの子」

「ばっか、人が床から生えるか。でもどっから出て来たんだ、あれ?」


 奇乃が盛大に目立っているのを察した実景は、左右に首を振る。


「あ、奇ちゃん、なんで学校に……?」

「友達ですから、一緒に帰ろうと思って迎えに来たんですの。ついでに校門までこっそり様子を見ようとしたら、想像以上に実景ちゃんがだめだめのだめで見てられなくなりましたの。挨拶くらい気軽になさいませ! 友達を作るのに挨拶もできないでどうするんですの!」


 疾風のように喚く奇乃に、実景は頭を掲げて自分を庇った。


 奇乃は、家での凛とした態度と打って変わって、意気地なく縮こまる実景を見て、ムッと口を尖らせた。


「実景ちゃんが言えないなら、わたくしが代わりに言ってあげますの。どなたか、実景ちゃんとともだ――」

「うわああああああああ! だめぇぇえええええ!」


 奇乃が教室に顔を巡らせた瞬間に、実景は彼女の首根っこを掴み、埃を巻き起こして教室から逃げた。


 瞬時に消えた二人を、クラスメイト達はぽかんと見送った。


 旋風のように校門を飛び出した実景は、顔を真っ赤にして奇乃の肩に掴みかかる。


「奇ちゃん、だめ! だめだから! うわあ! これで変な奴だってみんなに思われたらどうしよう、もうグループ分けで仲間に入れてもらえなくなっちゃうよ!」


 この世の絶望を見たように打ちひしがれる実景に肩を揺さぶられて、奇乃は少しだけ罪悪感を、そして掴まれても抵抗出来ないくらいに隙のない実景の強さに欲情を抱く。


「実景ちゃん、頭がゆーれーまーすーのー」


 取りあえず、このまま揺さぶられ続けると脳震盪を起こしそうだから、抗議の声を上げてみた。


「あ、ごめん」


 そしてパッと手を離されて、急に勢いがなくなって慣性に引きずられてがくんと首が跳ねた。


 筋を違えそうになった奇乃は、右手で首を包んで揉みほぐす。


「無自覚って、実は一番厄介ですわよね」

「ご、ごめんってば」


 居たたまれなくて謝罪を繰り返す実景に、奇乃は肩を竦める。


 それで彼女の右手を取って、駅に向かって歩き出した。


「帰りますのよー」

「う、うん」


 実景は戸惑いながらも、満更じゃなさそうに、頬を緩めてにやついている。

 誰かと一緒に下校するのがそんなにも嬉しいのかと、奇乃は胸の内がくすぐったくなった。


「あれ? でも、奇ちゃん、もう帰るお金しかないって言ってたよね? だいじょうぶなの?」

「ああ、無人駅が多かったから、キセル余裕でしたわー」

「え、奇ちゃん、たばこなんてだめだよ!」


 奇乃の使った隠語の意味を知らなかった実景は、言葉通りに受け取って批難の声を上げて、足をびたっと止めた。


 実景と手が繋がっていた奇乃も、がくんと体が引っ張られる。


「あふっ」


 肺から息を溢した奇乃の腕を、実景がぶんぶんと振り回しだす。

 実景の力でやられたら、流石の奇乃も腕が飛んでいってしまいそうになる。


「ちょ、落ち着いて、キセルって煙草じゃありませんの。こっちでは使わない言葉なんですの?」

「え、どういうこと?」


 奇乃の言葉に、実景は腕をぴたりと止めて、話を聞く体勢に入った。


 奇乃はほっと胸を撫で下ろして、疲れた声で説明をする。


「キセルっていうのは、乗る駅と降りる駅だけ切符を通して、間の料金を節約することですのよ」

「奇ちゃん、だめだよ! 犯罪だよ!」


 説明をした途端、また真剣に非難の声を上げる実景に、奇乃は、えー、と顔を強張らせた。


 まさかこのまま警察に連れて行かれたりしないかと冷や冷やする。そんなことされたら、家族から家出娘認定されていて捜索願が出されているらしい奇乃は、一発で強制送還されてしまう。


「ちゃんと鳥栖駅で入場券と、一つ手前の無人駅からの一区画分は切符を買いましたわよ?」


 いけしゃあしゃあとお金を払ったと言ってのける奇乃だが、それはキセルするのに必要最低限の支払いで押さえたと告白しただけだ。


 まだ奇乃は、実景の生真面目さを全く理解出来ていないらしい。


 実景は目を吊り上げて、奇乃に詰め寄った。


「奇ちゃん、そんな悪い事しちゃダメだよ」

「え、でも、別に駅員に呼び止められたりしませんでしたし」

「バレるバレないが問題じゃないの! 悪い事は悪い事です!」

「あうぅ。それ、うちの地元で子供に教えられる標語に似てますわー」

「誤魔化さない!」

「ひぅ」


 奇乃は茶化して煙に巻こうとするけれど、弟を叱るので慣れているのか、実景はちっとも話を反らさせずに自分の言い分を突き付ける。


 これで機嫌を損なって、ただでさえ実現に遠い果し合いがさらに困難になるのを避けるために、奇乃は素直に謝るしかなかった。


「ご、ごめんなさい、ですわ」

「うん、もうしちゃダメだよ。お迎えも、無理して来なくてもいいからさ」


 取りあえず、初犯は見逃してもらえるらしく、奇乃は緊張を息と一緒に外に逃がした。


「喜んでもらえると思いましたのにー」


 まさか裏目に出てしまうなんてと、奇乃はとぼとぼと歩く。


 けれど、実景と繋がったその腕がまたピンと張って、ほんの数歩で行き詰った。


 奇乃は、また何か実景が気にするようなことを言ってしまったのかと、怖々と振り向く。


 そして目に入ったのは、ほんのりと紅差した頬を俯けて隠す実景の姿だった。


「ううん、来てくれたのは、嬉しいよ。お友達と一緒に帰れるなんて、夢みたい」


 随分と簡単に叶う夢だと思いながらも、奇乃は表情を綻ばせるだけに留めた。


 叶わぬ夢を抱く奇乃にとって、誰かの夢を叶えるのは、割とすごく、誇らしく思えることだったから。

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