尾張訪問②

 比良城の南を流れる庄内川を挟んだ対岸の沖積低地には、成願寺という天台宗の寺院があった。成政が出立の準備を進めるまで時間があったので、距離が近く比良城近辺では最も名のある寺の一つということもあり、立ち寄ることにした。


 名を名乗ると住職は恐縮しきった様子で、他の坊主も表情を強張らせて緊張した面持ちだったが、そんな中俺の存在に気づかず弓の修練に没頭する齢二桁に満たないであろう小坊主がいた。


 その弓は百発百中とまではいかないもののかなりの精度であり、思わず感心して声を出した。住職が慌てたように声を掛けようとするも、俺がそれを手で制して近寄っていく。


「弓が好きなのか?」

「へっ?」


 俺が声をかけて初めてその存在に気づいたようで、その子供は退けぞった。


「冨樫伊賀守だ。その歳でそれ程の弓の腕、いつからやっておるのだ?」

「齢六つの時からです」

「そうか。お主、名前は何というのだ?」

「太田又助と申します」


 太田家とは近在の土豪であるという。食い扶持を減らすために幼くして預けられたのだと住職から耳打ちされた。勉強熱心で文字も読めるらしい。


 そこまで聞いてこの子供は太田牛一なのではないかと思い至った。信長公記の作者であり、弓の名手としても有名だった。


 伊賀の識字率ははっきり言って低い。他の周辺諸国に比べても、その差は顕著だろう。土地柄で貧しい暮らしを送り、勉学に励むことのできる層自体が極々限られていたのだから、それは当然のことではある。


 その上でこの歳で文字を読めるとなれば、ますます欲しい人材だ。本当に太田牛一ならば、ここで捕まえぬ手はない。そういえば六角家には日置流の吉田重政が弓術師範として仕えているので、太田牛一に習わせれば弓の腕もさらに上達するだろう。


「住職よ、この又助を当家に仕えさせることは可能か?」

「はっ、無論にございます。お恥ずかしい話ではございますが、寺の財政は苦しく、ご覧の通り伽藍も修繕できないほどで、その反面養わなければならぬ童は増えていくばかりで困っておりました。少しでも負担が減るのならこちらとしても正直助かりまする」


 寺の住職にそう頼むと、快諾の返事が帰ってきた。


「ふむ、そうか。ならば又助以外にも童を連れて帰ろう。できれば文字が読める者がいいのだが、勿論武芸や知略、どのような者でも光るものがあれば歓迎だ」


 磨けば光り輝く才を持つ子供は又助の他にもいるはずだ。それに子供は忠誠心を植え付けられれば決して裏切らない味方になり得る。まずは又助を小姓として、その他は文官、武官と適性から判断して育成させよう。


 住職の申す通り、成願寺の伽藍には劣化が目立ってきていたので、気持ち程度ではあるが修繕費用を寄進すると申し出ると感極まっていたな。


 成政と又助らを加えた一行は、織田弾正忠家が領有する津島を訪れた。日ノ本有数の商圏を形成しており、津島の町衆の財力が織田弾正忠家の財政を支えている。


 津島は木曽川の分流である天王川に沿った湊町で、堺や博多にも匹敵する規模の商圏を有している。尾張、美濃、伊勢、三河から多くの特産物が集積され、地方に運搬されていた。その価値を十二分に理解していた信秀の父・信定は武力で屈服させるのではなく、津島南朝十五党の棟梁である大橋家に織田信秀の娘を嫁がせることで、支配体制を確固なものとした。


 そうした経緯で、織田弾正忠家がのし上がる強固な経済基盤は既に整っているわけだ。肝心の信長は未だ生まれたばかりの赤ん坊で頭角を表すまでは二十年以上ある。信長が台頭してくれば冨樫も六角も恭順しなくてはならないかもしれない。だからそれまでに尾張は何としても武力で押さえ込み併合するか、同盟を結び味方につけるか、いずれかが必須になる。幸い時間はあるので、焦る必要はないだろう。


 尾張には見所が多かった。尾張の現状も把握することができ、有望な家臣も獲得できた。今回の尾張訪問は首尾良く終わったと言えよう。


 その後は津島から桑名に船で渡り、定頼の弟が養子として入っている北伊勢の梅戸家を訪ねた。八風街道の要所であり、定頼もかなり重視していることがわかる。


 稍にとっては叔父にあたる梅戸高実は、三十代半ばの実直そうな人物だった。


「兄の葬儀で一度だけ会ったことがあるが、覚えておらぬだろう。あの時はまだ一歳だったかな」


 高実は姪の稍を前にして昔を懐かしんでいた。北伊勢の現状を聞いたが、やはり北勢四十八家も一筋縄ではないらしい。互いに相手の隙を窺い抗争を重ねており、必ずしも協力関係というわけではないようだ。


 そもそも六角家が北伊勢攻めを足踏みしているのは、烏合の衆でしかない北勢四十八家が外敵には連合して当たるために攻略に時間を要することや、一度伊勢に出れば峠越えが必要なため、畿内の情勢に対応しづらいことがある。しかしそれよりも北勢四十八家の筆頭格である千種家が、伊勢国司の北畠家と同系の血筋であることから支援を受けており、手を出しづらい状況になっていたことも理由にあるはずだ。六角が梅戸家に養子を送り込んだのは、要所である八風街道を押さえて北伊勢への影響力を維持したかった思惑があると思う。


 六角が北伊勢を重視するのはやはり伊勢湾に面した湊の存在だろう。近江には海がなく、陸路や川など他勢力の領地を通じての商売を行う必要があった。北伊勢を直接支配下に置くことで海路から全国の商圏へのアクセスが可能になる。


 ただ史実では定頼は娘である北の方を北畠具教に嫁がせており、六角は基本的に北畠に対して融和的な姿勢を取っている。北畠との敵対はなるべく避けたいわけだ。だが婚姻関係を結ぶ前の現状では、北畠の息がかかっている千種を滅ぼせば北畠と敵対する恐れがある。そのために梅戸家に養子を送り込むことで、北伊勢の橋頭保として一定以上の影響力を確保しようとしたのではないかと見ている。


 その結果かどうかは定かではないが、北勢四十八家は梅戸派と千種派に分かれており、その間で頻繁に小競り合いが起こっているのだという。この対立を六角も北畠も関知していない。北畠としても六角との関係悪化は出来るだけ避けたいということなのだろう。


 梅戸家は八風街道を押さえており、関所の収入で財政は潤っているらしい。六角家の一門ということもあるだろうが、歓待の宴はかなり豪華なものだった。


 今回の伊勢・尾張訪問は多くの収穫があり、非常に有益なものとなった。稍も見知らぬ土地とあって楽しんでいた。新婚旅行としては本質的にかけ離れていたが、稍の弾けるような笑顔が見られたのが、一番の収穫かもしれない。

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