泰俊の覚悟

 到着早々の呼びかけに、集まった家臣らは困惑の面持ちであった。近くの国人にも声をかけたが、集まったのは粟田五兵衛吉員と、末松信濃守家為の二人のみ。いずれも野々市の近辺に位置する国人領主であり、冨樫家が本願寺に追放された後も加賀に残った者である。素破である植田順蔵はこれらの支援を受けて国内に潜伏していたらしい。しかし冨樫家臣であることから酷い扱いを受けていたという。冨樫家の本拠地帰参に少なからず感激を抱いているようだ。


 石川郡に居を構える他の国人領主は本願寺に洗脳を受けており、呼びかけには靡かなかった。これが今の冨樫家の限界なのだろう。こちらを見つめる数多の双眸は、自然と己の身を引き締める。


「皆集まったな」

「はっ、これで全てにございまする」


 主だった家臣は、謁見の間に揃った。先祖代々この場所で朝廷の使者を始めとした多くの人間を応対してきた。その名残は、荒れた今の状態でも確かに残っている。


「早速だが伯耆守よ。今の加賀をどう思う。世辞を抜きにして答えよ」

「はっ、治世は荒れ果て、民は苦しんでおります。そして多くが一向宗に身を委ね、意のままに操られておりまする」


 俺が名指ししたのは、槻橋伯耆守氏泰という重臣。元々俺の傅役として、教育を任されていた。槻橋家は元々加賀の北半国守護代も務めた家柄で、先代は最期となった長亨の一揆の高尾城の戦いまで政親に味方した。一族八人が討死し、残ったのは当時は幼かった氏泰のみ。しかしその比類なき忠誠心が認められ、冨樫家でも大きな信頼を寄せられるようになった忠義の塊だ。氏泰という名前には、父と私の泰という偏諱が入っている。これは父と泰俊がどれほど信頼していたかを表す証左であろう。


「そうだ。そしてこの現状を打開せねばならぬのは誰だ?」

「……それは」

「構わぬ。その心の内、申すが良い」

「加賀介様、そして靖十郎様にございまする」


 空気が冷たくなるのを感じる。このような事を面と向かって言うのは、礼を失していると皆が察しているからだ。氏泰も忌憚なく話すよう促されたとはいえ、居心地の悪さに顔を微かに歪ませている。


「そう、本来ならば加賀守護である父、そしてそれを継ぐ私が対処せねばならぬものだ。しかしお主らも存じているとおり、今の加賀守護には力がない」


 そもそも越前に逃亡し、溝江家を頼る状況に追い込まれたのは何故か。父・稙泰と泰俊は先代と同様に本願寺の傀儡として加賀守護として野々市に身を置いていたが、昨年に大小一揆と呼ばれる本願寺の内紛が勃発した。これは本願寺の急速な拡大政策が既存の宗派・寺院との摩擦を生み、畿内、北陸を巻き込んだ戦いのうちの一つに数えられる。


 加賀は冨樫家から実権を簒奪し一向一揆が主導する特異な政治体制を築いていた。そして加賀の統治は賀州三ヶ寺と称された本泉寺、松岡寺、光教寺の合議によって運営されていたのだが、ここに北陸全土に門徒を抱えていた越前の本覚寺・超勝寺が入ってくると、途端に軋轢を生じさせる。


 賀州三ヶ寺は超勝寺の不義に不満を露にし、討伐の兵を挙げた。しかしこれに対し超勝寺がこれを山科本願寺に報告すると、逆に賀州三ヶ寺が反逆者として討伐の令が下されることとなる。賀州三ヶ寺には越前の朝倉や能登の畠山が助力したものの及ばず大敗を喫した。冨樫家は賀州三ヶ寺側に味方していたため、加賀を追われたという経緯があったのである。


「しかし私は先程、御神託を授かった。下間を始めとする本願寺の者は三年の間この地を空けるとのお告げだ。その間に加賀守護として国を丸く治めよとの事であった」

「なんと!」


 俺の言葉に、家臣らの表情は驚きの色に染まった。それは先程彌四郎がした反応と同じく、もれなく羨望の眼差しを帯びている。


「しかし、畿内の混乱が収まったのち、坊主共はやはり帰ってくるのですな」


 一同は一転静まり返った。だが俺はそれを諭すよう、冷静に言葉を紡ぐ。


「うむ。三年後に本願寺の坊主どもは加賀に帰ってくる。それまでに地盤を固めねばならぬ。それが出来るか出来ないか、やってみなくてはわからぬ。違うか?」

「いえ、その通りにございます」


 俺の視線に応えたのは、重臣の英田次郎四郎昌継。こちらも守護代を務めたことのある冨樫家の庶流である英田家の人間である。しかしその口から発せられた言葉とは裏腹に、昌継の口許は僅かに歪んでいた。


「ふっ、信じられないという表情だな。無理もない。今の状況は芳しくない故、そしてこれまでの私を見てきたからこそ、それは的確な懸念であろう」

「いえ、そのようなことはございませぬ」

「よい、よい。全て事実である故な。しかし御神託を授かり、目が覚めた。私には加賀を平穏に治める義務がある。ようやくそのことに気づいたのだ」

「靖十郎様……」


 自虐にも見える俺の言葉に、空気が少し湿っぽくなる。


「三年ある。我らには三年の月日が残されている」


 俺は中指と人差し指を立て、希望がある事を示した。それに賛同するように、「そうだ!」や「我らならできる!」といった声が高々と響く。


「これがどれだけ大きいか。神は冨樫家に最後の機会を下さったのだ。これを裏切るは加賀守護の恥。そのためにはお主らの助力が不可欠だ。頼む。力及ばぬ私に力を貸して欲しい!」


 最後は頭を深々と下げた。上に立つ者はプライドが邪魔して、頭を下げるなどそうそうできることではない。それに主君はみだりに頭を下げるものではない。それゆえに、家臣らは慌てた様子で諌めるかのように膝を立てた。


「靖十郎様、頭をお上げくだされ! 我らは神の御神託を受けた靖十郎様に、全てを捧げる所存にございますぞ」


 その言葉を皮切りに、次々と追従する者が頭を畳につけていき、最終的には全員が俺に向かって頭を下げる恰好となった。


「皆の者、かたじけない。この未熟な我に力を貸してくれるというその心意気、大変嬉しく思う」


 俺が感謝を述べると、中には感極まって嗚咽を漏らす者まで現れ出した。それに内心苦笑しながらも、決意を胸に抱きつつ静かに、されど力強く一言一句を紡ぎ出していく。


「この三年で加賀をこの手に再び収められなければ、私は腹を切る覚悟がある。加賀に戦乱を招いたのは、この冨樫家の責任。これを収拾できないのなら、守護など要らぬ」


「は、腹を切るなど、そのようなこと間違っても申しますな」


 伯耆守が狼狽した様子で諌めるが、俺は口を真一文字の結んだまま、その双眸を射抜いた。


「私の言葉が冗談に聞こえるか?」

「……いえ」


 伯耆守はそれ以来口を噤んだ。長い間傅役として俺の側にいたのだから、心から心配しての言葉なのだろう。しかしその言葉は、「加賀を治めることなど無理だ」という本心を浮き彫りにしているに他ならない。俺だって腹を切りたくはない。しかし何の因果か、普通のサラリーマンだった俺がこの舞台に立っているのだ。


 俺には決定的に違う部分がある。それは歴史を知っていること、知識を持っていることだ。前者は言わずもがなで、三年というのは何の根拠もなく言っているわけではない。実際に史実では山科本願寺の戦いのあと、畿内の情勢が落ち着くまでの三年間は、加賀が空き家同然の状態になっている。下間一党はこの享禄の錯乱で家中で意見が割れ、加賀の指導者であった下間頼秀は失脚し、新たに下間頼慶が指導者として君臨することになるが、それは天文四年(1535年)になってからだ。それまでは加賀は指導者が不在の状態になる。この好機を逃して本願寺門徒の帰還後は何もできず結局逃亡した史実は、何としても回避したい。後者は知識によって守護としての力を高めていけるということ。主だったものでは、単純なお金稼ぎであろう。お金がなければ何もできない。資金力のない守護家の庇護下に入ろうという人間はどこにもいないのだ。財政が潤えば、本願寺とも戦える地力をつけられるかもしれない。


「加賀の民を救う。それが我らが責務だ」


 俺は噛み締めるように自らの口に拳を当てた。

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