・不敗のジョッキー、バーニィ・リトーのラストラン

「何やってるのー、バーニィー?」

「ちょっとな」


 本場入場で観客席に向けて弓を撃ってみたかったが、やはり無理だった。

 大観衆が注目する中、馬上で弓を射るモーションを見せるとソコソコではあるが観客にウケた。


 スピード血統であるメイシュオニゴロシは、距離適正と騎手のガン疑惑を危ぶまれて、現在3番人気だ。

 飛行機の中で俺があんなことを言わなかったら、今頃は女神様に八百長を強いられていたかもしれない。


 セクハラ転じて福と成す。ってやつだった。


「よう、ビールは美味かったか?」


 お祭り騒ぎの本場入場を終えると、オニっ子にまがって9番ゲートに入る。

 既に知ってはいたが、俺たちの隣はまたもやあいつらだった。


「おう、美味かったわ。こっちの世界のビールはいいな……。最初は炭酸がきつくて驚いたもんだが、そこがまたキレがあっていい」

「こっちは減量に必死だっていうのに……その気持ちの悪い馬術が恨めしいぜ……」


「ははは、今回も勝たせてもらうぜ」

「そうはいかねぇ。ジャパン人騎手の意地をお前に見せてやるよ」


 こいつともこれでおさらばか。

 エースジョッキーだそうなのに、気取らない面白いやつで気に入ってたんだけどな……。


「ワタベ、色々あって俺ぁこれがラストランだ。悔いのないレースにしようぜ」

「ああ……ガンってのは、本当なのか?」


「飛ばしに決まってんだろ。今は勝負のことだけ考えろ」

「おう……」


 俺は一言も嘘を吐いていないぞ。勘違いしたフライドなんとかちゃんと、裏を取らずに記事にした週刊誌が悪い。


「がんばろうね、バーニィ」

「当然だろ。強制された使命はあるが、俺の夢はお前をダービー馬にすることだ。必ず栄光へと俺が導いてやる」


 高らかなファンファーレ。そしてその後に訪れる静寂。誰もが夢のレースの始まりに期待を寄せ、馬券を片手に固唾を飲む特別な時間が訪れた。


 泣いても笑ってもこれで終わりだ。ダービーに勝とうと負けようと、俺は女神の気まぐれが起きない限り、元の世界へと帰ることになるだろう。


 俺はダービーに勝ちたい。誰のためでもなく、俺のために勝ちたい。あちらの世界に名誉も賞金も持って帰ることは出来ないが、それ抜きで俺はこの勝負に勝ちたい。


 俺は競馬が好きだ。


「バーニィ……右のあの黒いの、なんだろ……?」

「んなのいいから集中しろ」


「でも……変な匂いがするよ……?」

「匂い……?」


 感慨に浸っていると、ゲートの下部に黒い何かが付着していることにウマっ子が気づいた。

 なんだこれ? 嗅いだことのない匂いだ。トーキョ競馬場って変だな……。


 だが今はそれどころじゃねぇ。


「出走だ、気合い入れろ、オニっ子」

「うん……!」


 ところがその黒くて臭いやつは、何者かが仕掛けた罠だった。パンッと、その黒ずみが火花を立てて爆ぜた。


「わ、わあああああーっっ?!」

「お、おいっ!? 落ち着けオニっ子っ、もうレースが始まっちまうっ」


 それに驚いたオニっ子は、ゲートの中で暴れ出した。

 だというのに正面のゲートが音を立てて開かれる。各馬が一斉に飛び出してゆき、俺たちだけがゲートに取り残された。


「クソッ、こんなの汚ねぇぞ!!」


 どんなレースも最高のスタートを切る騎手が出遅れた。もはや死んだも同然の大失態に、スタンド席がざわめいている。


 それでも俺たちは遙か前方を走る馬たちを追いかけて、スタミナが失われようとも置いて行かれないよう距離を詰めていった。


「ご、ごめん……ごめん、バーニィ……ボク、ボク……ああああ、ボクのせいだぁぁ……」

「落ち着けよ、まだ負けたとは決まってねぇよ」


「でも、でもぉ……」

「ヘタレんな、お前には最高のスピードと末脚があるんだ。ちょうどいいハンデだと思いやがれ」


「う、うん……がんばる、ボクがんばるよ……!」

「焦らなくていいぜ。ただいつものように走ればいい、俺がお前を勝たせてやる」


 俺はまだ動揺しているオニッコをなだめがら、己の中で渦巻く悔しさを気迫に変えた。栄光を手に入れんがために走りに集中し、ただ勝利のために前を見すえた。


 どこの誰の仕業か知らないが、イカサマ野郎の思い通りにはさせない。

 大波乱の展開に競馬場がまだどよめいている。

 俺たちに賭けてくれたファンに、勝利をくれてやりたい。


「バーニィッ……」

「おう、調子出てきたじゃねーか。さあ勝負といこうぜ!」


 もはや消えたと思われていた俺たちだったが、スタミナ切れを起こした馬たちを追い抜いて、最後の第三コーナーに入ったところで18頭中、14位まで追い上げていた。


 加速しながらコーナーを周り切り、スタンドからの大歓声が湧く直線コースに俺たちは飛び込む。


 まさかの可能性を期待するファンたちが、信じられない末脚と予想外のスタミナを披露するオニゴロシ号に、興奮の声を上げていた。


 距離適正ギリギリ、さらには出遅れも加わった。オニっ子は苦しそうにあえいでいる。それでもこんな汚い手に負けたくない一心で、俺たちは前の馬たちを追い抜いてゆく。


 正面をふさごうとする馬たちを巧みにかわし、先頭のアルデバランとワタベに追いすがった。


 あと300、苦しいが届くかもしれない。

 あと200、いける……いけるか……!?

 あと100、俺たちはついにアルデバランに追いついた。


「バーニィ……!」

「待たせたな、ワタベ」


 そこから先は根性と根性、気迫と地力のぶつかり合いだ。

 高ぶり切った集中力がほんの100mを永遠に等しいほどに間延びさせ、俺たちは最後の決着を付けた。


「バーニィ……アンタ、やっぱ天才だよ……」


 ゴールインだ。勝敗は当事者である俺たちにすらわからねぇ。

 勝利判定は写真判定に持ち込まれていった。

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