・ジャパンダービー(G1)当日出走前

 レース当日、あの夏草賞以来のトーキョ競馬場にて、タマキさんとの打ち合わせに入った。

 といってもタマキさんも調教師のおっさんも、いつだって俺を信頼して任せてくれる。騎手冥利に尽きる超好待遇だった。


 ところがそのタマキさんが、思わぬ女性を連れてやってきた。

 花の香りがする。どこかで覚えのある香りだ。美人だったらいいなと、俺は表情を引き締めて顔を上げた。


「紹介しよう、この子はエリス。私の孫だ」

「……んなっ!?」

「どうも、エリスです。お噂はかねがね……」


 その孫は女神エスリンとうり二つだった。

 ふわふわとした白い巻き毛は、このジャパンではそうそうお目にかかれるものではない。


「美人だろう?」

「あ、ああ、まあ……」

「嫌ですよ、お爺さま……。それではまるで言わせてるみたいですよ……?」


 慎ましげなお嬢様姿に、おっさんはちょいと胸のときめきを覚えてしまった。

 だがきっとそれは、あの厄介な性格の女神様が猫をかぶっているだけだ。魅力を感じたら、俺の負けだ。


「調教師とも話し合ったが、作戦は今回も君に任せる。バーニィくんは我々よりも馬の心に通じているようだからな、オニゴロシ号とよく話し合って決めてくれたまえ」


「助かるよ、タマキさん。けど、ちったぁ馬主らしいわがまま言ってくれてもいいんだぜ?」

「だったら孫とお喋りしてやってくれないかね? エリスは五木賞での君の勇姿を見て、すっかり君のファンになってしまったそうだよ」

「やだ、お爺様……そんな言い方されたら、恥ずかしいです……」


 まるでやんごとなき姫君のように恥じらう姿を見て、俺は神に願いたくなったね。

 どうか神様、お願いします。このたおやかで美しいお嬢様の正体が、女神エスリンではありませんように、と……。


「では私は行くよ。君とオニゴロシ号がダービーの栄光を獲得してくれるよう、観覧席から祈っているからね」


 だが現実は残酷だ。タマキさんが立ち去ると、エリスちゃんは見せてくれなくてもいい本性をさらけ出した。


「喜べバーニィ、八百長はしなくても済みそうじゃ」

「はぁぁぁ……っ」


「なんじゃ、いきなりでっかいため息じゃの?」

「そりゃないぜ、エスリンちゃん……そりゃないわ……。それに、この場所で八百長とか言うなよ」


 6月の暖かな陽気によく似合う、白いワンピースに白い幅広帽子に俺ぁ男のロマンを感じていた。

 それが俺に指図をしにしゃしゃり出てきた女神様だったなんて、おっさんは悲しい、とっても悲しい……。


「ふっ、知れたことか。いいか、そなたはどんな手を使ってでも、アルデバランを負けさせろ」

「ってことはよ、例の勇者様候補とやらは、アルデバラン号に賭けたのか?」


「うむ……単勝に1000万エンだ」

「うげっっ……?!」


「もし勝てば3.2倍のオッズで、3200万になるな。ん、どうした?」


 上等なトラクター2台分の金を、たった2分半のレースに普通ぶち込むか……?

 ソイツ、イカレてやがる……。こんな大バカは生まれて初めて聞いた……。


「ソイツ、とんでもねぇバカ野郎だが、確かに超大物だわ……」

「わかるか。世界を動かし得る器は聖人君子にではなく、狂人や奸雄にこそ芽生えるのじゃ。常人が踏み留まるところで、フルスロットルで突っ込める者こそが、勇者じゃ」


 わからんでもないが、そういうやつはサックリと死んでゆくのも俺たちの世界の常識だ。


「じゃ、ただ勝てばいいんだな?」

「うむ、アルデバランが負ければ、そなたが勝とうと負けようとなんだっていい。体当たりをしかけてでも、あの馬を負けさせるのじゃ」


「イヤだね。勝負のルールは守る」

「そうか、だったらルールを遵守した上で妨害を果たせ。そなたがこちらの世界の技術を持って帰れるかどうかは、わらわの気分次第であることを忘れるな?」


「はっ、脅かしても無駄だぜ。俺たちがダービーに勝てばそれで目標達成だ。アルデバラン号とワタベなんて、俺たちが実力でねじ伏せてやるよ」

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