第三章②

「父さん……どういうことなんだ?由衣ちゃんがこの世にいないって……まさか……」

 陽行は鷹斗をまっすぐ見る。

「鷹斗、彼女は生きている。でも、この世にはいないんだ。これは複雑でね、また時間のある時にゆっくり説明するから、今は何も聞かず、待っていてくれ……私と椿なら……椿ならきっと彼女を戻すことが出来る……」

 陽行が“彼女は生きている”と言った。その言葉一つで、鷹斗の気持ちは明るくなる。生きているなら何だっていい。また、三人で笑い合えることが出来たらそれで……。

「父さん、俺、由衣のこと迎えに行ってくるから。留めても無駄だよ。俺の意志が固いことは嫌って程、知ってるだろ。それで……父さんにはここにいてもらいたいんだ。多分、父さんの力が必要になるかもしれない。もしかしたら危険な状態になるかも……だから父さんはここにいて、俺の命綱でも握っててくれ。俺に何かあったとき、ここに父さんがいないと、あいつを戻すことも、俺自身が戻ってくることも出来ないからさ……」

 椿はそう言いながら、へと行く準備を始めた。

「椿……」

「なんだよ鷹斗……留めるなよ……」

「いや、留めはしないけど……」

「じゃあなんだよ」

「いや……何て言うかさ……こうなると俺ら警察には手に負えないって言うかさ。悪いな……力になれなくて……」

 椿は彼の肩に手を置き、「気持ちだけもらっておくさ」と微笑んだ。

「君たち二人は本当に昔から仲が良いな……合鍵も渡してるようだし、椿が人に関心を持って自分から関わろうとするなんてな……そっかそっか……二人の仲は引き裂けんな……」

 陽行は何かを勘違いしているのか、神に祈り始めた。

「父さん……何かおかしくなったのか……?」

 鷹斗が言う。

「いや、元からあんな感じだ。でも……確かにまあ……分からなくもない」

 椿はそう言うと、持ち物全てを持ち、外に出た。


 ♢ ♢ ♢


 椿がまず向かったのは、由衣が向かったであろう駅前のドラッグストアだった。

 トイレットペーパーが無くなりそうだからと、安いところを聞いてきた。それに対して自分は、笹倉がいつもそこで買っていたなんて言ってしまったから……。椿はドラッグストアで買い物をしている女性客を見るたびに心がちくっと痛んだ。

「椿っ!」

 突然声を掛けられ振り向くと、慌てて走ってくる鷹斗の姿があった。

「鷹斗……何してんだよ」

「いや、何って……。お前があの世?に行くときは俺は無理だけど、それまでの間なら一緒にいれるだろ。何かあったとき、そばに誰かがいれば、まあ……何とかなるかと思って。それで?何か手掛かりはあったか?」

 椿はそう言う鷹斗の顔をじっと見た。

「ん?何だよ……」

「お前って……いい奴なんだな……」

 そう呟くと、椿は“手掛かり”を彼に話した。

「由衣が神隠しに遭ったのは間違いない。けど、それは偶発的なものだったんだ……」

「偶発的……?」

「ああ。神隠しってのは、人間が忽然と消えることを言って、どんなに探しても見つからないものを言うんだ。それに神隠しには共通点があって……」

 椿は脇目も振らず、神隠しについて語り始めた。

 しばらく経って、椿の“講義”は終了した。

「……それでだな……その、パターンによって神隠しかどうか判断できるってことだよな?」

「ああ、そうだ。少なくとも俺はそう思ってる……。それに、多分由衣は……あそこに入ってしまったんだ……」

 椿が指差した方向、そこにあったのは鳥居だった。

「あれって……鳥居……だよな?鳥居って神社にしかないものなんじゃないのか?」

「ここは神域なんだ。だから鳥居があるのさ。確かに鳥居って聞くと、神社しかイメージないよな。でも、必ずしも神社にだけ鳥居があるわけじゃないんだ。」

「椿……そもそもさ、鳥居って何のためにあるんだ?ここは神社ですよってシンボルとか?」

「神社の入り口にある鳥居は、神域と外界……つまり、人間が暮らす俗界との境界を表しているんだ。お前の言う通り、シンボルもある。でもそれだけじゃなくて、神社の中に不浄なものが入るのを防いだり、結界としての役割もあるんだ。その近くにドラッグストアを建てたんだが……商品が多すぎて神域にまで達してる。それも神域に一部が入り込んでるのは、運の悪いことにトイレットペーパーだしな。由衣はあそこにあるトイレットペーパーを取ろうと、邪に侵された神域に立ち入ったんだ。その時に鳥居をくぐってしまった。おまけに、今日は風が強い……神隠しが起きるには絶好のチャンスってわけだ……」

 椿はそう言って、ポケットから水晶を取り出した。

「それ、何するんだ?ガラス?」

「いや、これは水晶だ。水晶には霊石の力もあってな、昔からいろんな儀式に使われたりしてたんだ。災いや危険から守り、魔や邪を祓い……俺たちみたいな人間にはこいつは絶対に必要なものって感じだ……」

 左掌に水晶を乗せ、そっとドラッグストア裏の神域に近づいた。鷹斗には何も視えていないようだったが、椿の目にははっきりと視える。水晶が微妙に動き、少しずつ変色してきているのだ。

「やっぱり……」

 そう呟いた椿は、水晶をポケットにしまい、鷹斗に言った。

「帰るぞ……調査はここまででいい。後は家に帰って、由衣を取り戻す……」

 椿の目は自信に満ち溢れていた。


「その顔、何か見つけたんだな」

 自宅に戻った後、椿の顔を見た陽行の第一声がそれだった。

「ああ。しっかり見つけてきたよ……由衣が消えた手掛かりを……」

「そうか。椿、あっちに行く前に何を見つけたのか、これからどうするのかだけ話して行ってくれ。じゃないと、何かあったときに助けられないからな」

 陽行にそう言われ、椿は話した。

「もちろん話すさ。二人にはちゃんと話しておかないと……。鷹斗には話したが、今回の由衣の神隠し、これは偶発的なものだったんだ。神域が侵され邪が蔓延はびこってる。その証拠に水晶が変色した。かなりの邪だ……。で、その邪がある場所は元は神域だったようで、鳥居もある。俺は中には入ってないが、由衣は買い物に夢中で気付かず、無意識のうちに邪が蔓延る鳥居をくぐったんだ。あいつのことだ、もしかしたら何か感じたかもしれない。でも、まさかと思ったんだろうな……。恐らくだが、あの場所が今回の神隠しの“入り口”だ。由衣がいなくなった条件は偶発的、つまり短期間に同じ条件が揃うことはない……。だから俺は、黄昏時たそがれどきにあの鳥居をくぐる……」

「椿、お前に説明するのも気が引けるが……黄昏時は“逢魔おうまが時”だぞ。何が起こるか分からない……。それでも行くんだな?」

 陽行のその言葉に、椿はしっかりと頷いた。

「そうか……なら、これを持っていきなさい……」

 彼は椿の手に小さな巾着袋を手渡した。

「これは……?」

「お守りだ。邪気を祓うためだけじゃなく、お前を守ってくれるよう、私の力を込めてある。役に立つと良いんだが……」

「こんなのいつ用意してたのさ……」

「今朝だ。お前のことだから、きっと彼女の元へ行くと言うだろうと思ってね。まあ、お前の性格上、簡単に予測できることだ」

 陽行はそう言った。彼は椿のことが手に取るように分かっていた。だから椿でさえ、様々な意味で陽行を超えることは出来ないでいた。

「父さん……ありがとう。助かるよ……」

 お守りを手に握りしめ、椿はそう呟いた。

「あ、あのさ……今、このタイミングで聞くことじゃないんだろうけど、黄昏時って……いつ……?」

 鷹斗が不思議そうな顔をして、聞いてきた。それを見ていた椿は笑うしかなかった。

「はははっ!お前、ホントにタイミングが……はははっ。良いか?黄昏時ってのは、夕暮れ時のことだ。いわゆるとりの刻だな。この時間は怪異にも遭遇しやすいし、“大禍時おおまがどき”と呼ばれるくらいに大きなわざわいがある時間帯だと考えられて……」

「ちょ、ごめん。酉の刻って……」

「午後五時から午後七時くらいだ。昔は日本独特の時間表示法である延喜式えんぎしきを使っていたんだ。これは二四時間を十二支で表していて、一つの干支で二時間分の時間を示しているんだ。酉の刻なら、あっちに行けるかもしれない……。逢魔が時って名前がつくくらいなんだ……絶対に行ってやる……」

 椿の説明に鷹斗の頭の中は“?”がいっぱいだった。

「ごめん……さらに訳分かんない……」

「うん、だよな。簡単に説明すると俺はその時間帯に、あの鳥居をくぐるってことだ」

 あ、ふんふん……なるほど。鷹斗はそう頷いた。けれど鷹斗は「あのさ、その……“あっち側”?ってとこに行くんだよな……?

どうやって帰ってくるんだ?行くのは簡単に行けるのかもしれないけど、ちゃんと帰ってこれるのか?」とどこか不安そうに聞いてくる。

「どう説明すればいいのか分からないけど……俺なら大丈夫だ。向こうに行って、由衣を連れて、ちゃんと二人で帰ってくる。安心しろ……」

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